蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

楽器との調和 

本日、菊洋晶子社中の引き初め会が開催されました。
私共の師匠である菊洋先生は、筝曲以外にも表流の茶道教授、小原流のいけ花師範という三つの顔をお持ちですので、お茶の行事や各ご流儀の理事会が続く年初を避け、例年この時期に社中の研究会を兼ね、弾き初め会を催します。
各人が現在稽古を重ねている曲を持って集いますので曲の完成度はまだまだで、気心の知れたお姉さん弟子や仲間であるからこそ聴かせられるという貴重な修練の場です。長いお付き合いの尺八の先生方も応援に駆けつけて下さいますし、プログラムまで準備されて内輪の会と言えどとても真剣に取り組みます。前年の秋頃から、曲目や担当するパートのご指示を頂き稽古を始めるのですが、毎回少し背伸びをするような課題に取り組ませてくださる先生の親心を感じます。

この度私は4つの演目で参加をさせて頂きました。筝曲3曲、三絃1曲という内容です。必須の科目である古典曲と、来春の演奏会のための宮城ものという実にトラディショナルなラインナップ。どれもこれも手強い曲で、何年にもわたり格闘中です。通しての演奏が終わった後、先生からの「もう1回やったら?」というダメ出しを何度か頂きましたね…

このような会が有難いのは、普段のお稽古では曲を習得するために自分より技量の高い先生と一緒に演奏するため、自分の演奏技術を高めていくためには「合奏」を繰り返すしかないからなのですが、通常、合奏というのは何かしらの演奏会のために詰めて行われるのが普通で、個人が稽古中の曲の合奏というのはほとんど機会が無いのです。しかし「三曲演奏」といいますように、修練すべき曲のほとんどは他楽器(箏・十七弦・三絃・尺八など)との合奏ですので、普段の稽古では「掛け合い」という他楽器との絡みの部分を歌いながら稽古することになります。自分が弾きながら他の楽器の節を歌えばそりゃあ当然「都合よく」合う訳ですが、実際に合奏してみると決してそういう訳にはいきません。「漸時徐」とある次第にゆっくりとなる部分や、裏連と呼ばれる技法の際に衝撃のズレが生じたりします。なので、尺八の先生までお出で下さるこの場ががどれほど多くの学びを与えてくれるか、言葉では表現し尽くせません。

本日の演奏で感じたことは、「曲と呼吸を調和させられるようになった」ということ。ヨーガを始めて2年ほど経った時、呼吸のことが「あ、わかった!」と思えた瞬間がありました。こういう時には吸えばよい、こんな時には吐いた方が助けになるのだ、ということを正に体得し得たと感じた瞬間でした。その体感を持った後は、指導の際、呼吸について「いつか必ずわかるので待ちなさい」ということを安心して申し上げられるようになりました。呼吸というのは非常に(当然ながら)パーソナルなものですので、その方その方が「見たもの・体験したこと・考えたこと」を写し取る様にして今のその呼吸が成り立っています。自分の呼吸を今そのように生じさせた「何か」と調和をすることができるようになれば、自ずと自分の呼吸とは仲良くなれるでしょう。本日は「私と楽器」が調和できるようになりつつあることを感じ、嬉しくなりました。この先、共に演奏する「他者」とも調和ができるようになれる日を目指していきたいと思います。

本日の会では娘との合奏も行いました。「この音とまれ」というマンガで、男子学生二人が宮城道雄先生の「さらし風手事」を超絶技巧で演奏し入賞するというエピソードがありまして、当時マンガを読んで「この曲を弾いてみたい!」と言っていた娘との共演をこの度画策し、今年5月5日の「菊井箏楽社・花のコンサート」で親子共演をすることとなりました。

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あの当時の娘はまだとてもこの曲を弾きこなせる技量がありませんでしたが、数年を経てそれが夢ではなくなっており、今回の共演は私のわがままに応えて貰った形です。親子だからこそ「お家で仲良く合奏」という訳にはいかないので、本日が初の合奏。完成にはまだまだですが「息が合った」という感覚があり、初にしては良かったとの講評を頂きました。演奏後に顔を見合わせて合奏のお礼をお互いに言い合うときには、親子ではなく兄弟弟子(娘の方が姉弟子)としてであって、自分の学業だけでも大変な中で芸を15年も貫いてきた我が娘を、心から敬う思いが募りました。
奥深い宮城先生の名曲を十分に弾きこなせるよう、頑張らねば!


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