蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№361 ストレスを変えるちから

「ブラフマ神の昼が始まる時、未顕現なるものから、この世に顕現するすべてのものが生じてくる。夜が来ると、すべての顕現している事物は未顕現の中に帰滅していくのだ。」   バガヴァッド・ギーターⅧ-18

 

 

セリエの論文では、一般にストレスをまねく要素として、

・不安

・情報の欠如

・主導権の喪失

の三つを上げている。

慢性疾患を抱えた人の生活には、これが三つともある。

 

急性ストレスと慢性のストレスは分けて考える必要がある。

 

急性ストレスとは、脅威に対して即座に短時間だけ起こる身体反応だ。
(大嫌いないきものに出くわしたとき、息が止まりそうになる)

慢性ストレスのほうは、ストレッサーの存在に気付いていない、もしくは気付いても逃れようがないため継続的にストレッサーに晒され、ストレス・メカニズムが長期的に活動を続けている状態である。

(苦手な人に毎日小言を言われて具合が悪くなるし、その人がここにいなくても、想像しただけで気分が沈む)

 

ストレスに対処する体の反応は「闘うか・逃げるか」反応とも呼ばれ、直接的な危険から私たちを守ってくれる。
スズメバチが飛んで来たら私はあわてて逃げるが、蜂が近くにいなくなればホッと息をつく)

しかしこの反応が、終わることなく慢性的に続けば害になる。
スズメバチだらけの部屋に押し込まれた挙句、外から鍵をかけられた。「もう出られない」と観念してしまったら抵抗する気力さえ失われ、大きな危険に至る。もしあなたが大暴れしたら、その部屋の壁はあっさり壊れてしまうかもしれないのだが、その可能性が検討されることがない)

 

コルゾール値が慢性的に高ければ、体内組織が破壊される。
アドレナリン濃度が慢性的に高ければ、血圧が上がって心臓に害を与えてしまう。


慢性的なストレスが免疫系の働きを抑制することは、多くの研究が明らかにしている。

ストレスのレベルが高ければ、視床下部―下垂体―副腎の軸によって放出されるコルチゾールの量も多くなる。

 

コルチゾールは傷の治癒に関わる炎症細胞の活動を抑制する
疲れが取れない、と感じているとき、ほんのちょっとした傷でも治りが悪いと感じたことは誰にでもある経験だろう。
それを大事なサインとして受け止めて欲しいのだ。

 

健康に有害なライフスタイルと精神生活から抜け出せなくなっているのは、個人的な問題だけが原因ではない。社会がそのような生き方を要請するとき、そこから外れて生きようとするのは大変な勇気を必要とする。

 

ところで、2019/1/19のテレグラフの記事で、「ホロコーストユダヤ人大量虐殺)を生き延びた人は、ホロコーストを経験してない同年代の人よりも長生きとみられることが最新の研究で分かった」と報じられた。

 

ホロコースト生存者は、より楽観的で、物事に対処し自分自身に気を配るすべに長け、社会的ネットワークも広いという。

 

また、医療社会学者アーロン・アントノフスキー博士が提唱したSOC=Sense Of Coherence 「首尾一貫感覚」というものがあるが、これは人生であまねく存在する困難や危機に対処し、人生を通じて元気でいられるように作用する「人間のポジティブな心理的機能」のことを示す

SOCとは生きる力であり、ストレス対処力であり、大きく3つの要素から成り立つ。

 

・把握可能感(comprehensibility):状況を理解できると感じる
・処理可能感(manageability)  :何とかなるという感覚 
・有意味感(meaningfulness)  :ストレス対処も含め、人生には意味があるという感覚

 

ちなみにこの三つ、よく考えるとすべて主観であって実際に状況をよく理解できていた」というわけではない。

しかしこの感覚が、彼らをスレスレのところで生き延びさせたのは間違いがない。

 

「きっとなんとかなるんだ」「自分は絶対に死なないぞ」という思いに根拠はなかっただろうし、たびたび絶望に襲われただろう。

しかし何度もそこから這い上がって、「絶対に生き延びて、ほんとうの自分の人生を生きるんだ」と自分を鼓舞し続けたところに、不思議な縁やチャンスが生じて、彼らを生かしめたのではないか。

 

冒頭の、ストレスをまねく三つの要素「不安・情報の欠如・主導権の喪失」をもう一度思い返して欲しい。

この三つをなんとかして克服し、
「状況を理解できる・何とかなる・人生には意味がある」という内的な感覚をそだて、「ものごとを楽観的に考え、自分を大事にし、友達に助けを求める」ことができれば、この社会が要請する逃れ難いストレスから救われるかもしれない。

今の社会自体が変わって欲しいという思いを、私は持っている。
しかし同時に、どんなに社会が変わっても同じように慢性ストレスは生じるだろう。
それは人の心の癖が生むものでもあるからだ。

 

生きるという活動にストレスが生じないことはないが、そのストレスを受け取る主体である自分に力を取り戻したいと願う人にはできることがある。そしてこの方法でうまくいった人が既にいると、伝えたいのだ。