蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

足るを知るということ ~DARCでのヨーガ指導

鳥取DARC(薬物等依存回復施設)でのヨーガ指導に出向かせて頂くようになって、この秋で3年目になります。

立ち上げ当初は継続が危ぶまれるほど、ご参加頂く療法士の先生方の采配に頭を悩ませたものですが、今年になってから日本ヨーガ療法学会本部の先生が毎回ご参加下さるようになり、常時3名ほどで伺えるようになりました。
立ち上げ当初は県幹事長の職についていた私も、この10月からは幹事として補佐的な立場で参加させて頂いています。

指導開始の時からヨーガ実習をしてくれている方の中には、施設のスタッフとして活躍しておられる方も現れ、指導者としては嬉しい限りです。
ヨーガがこういった分野でも用いられていることはあまりご存じない方も多いように思いますが、本来、ヨーガは自分自身の中で切り離されてしまったものをもう一度結び合わせるために行じるものですので、何ら不思議はありません。

一般的な教室や講座では、丁寧に時間をかけて個々の実習者様のお話を伺っていきますが、DARCの皆さんは、そのご準備が出来ていられない方もたくさんおられます。
「フェーズ」と呼ばれる4つの段階に応じて生活を律して回復を図っていかれますが、このフェーズがかなり上の段階に達していないと、薬物依存の経験のない私たちとの対話はお辛いようです。

昨年、当時フェーズ3であった方と面談する機会を頂きました。
1年近くの指導の中で少しずつ会話を積み重ね、1対1での対話が実現しました。
これまでの彼の半生は壮絶なもので、対する自分のこれまでが「森の木のうろでまどろんでいる子リス」のように長閑なものであったと思わされました。
(この表現は、村上春樹の言葉であるように思います。生徒さんの壮絶な人生について伺う度に、この文章が頭のなかに立ち上がります。)

まっすぐに私の目を見て、「先生たちは、売名行為のために、ここにきてヨーガを教えているんだろ。何か得することがなければ、タダで来たりしないよね。」と言う彼。
生きていて「しんどいなあ」と思うことは私にもありますが、基本的に人の好意を信じることが素直に出来るくらいのしんどさしか経験してこなかったことを、彼に教えられました。

自分の現状にケチをつけることばかり得意であったことが、かつて私にもありました。ヨーガを始めとする智慧に正しく触れていなければ、今も同じように思っていたかもしれない。
当たり前の毎日が、当然のように思って生きてしまうことが多いけれど、今こうしていられることを日々寿いで生きたいと改めて思います。

ご縁を頂き、私を支えて下さっている先生方、仲間、家族に心からの感謝を捧げます。
普段なかなかお目に掛かれない先生方にも、心の中で思いを致しています。

面談に応じてくれた彼は、今は更にフェーズを上げて、変わらず私たちを迎えてくれています。
「こうしてまだ生かされていることが不思議でならない。自分にしかわかってやれない仲間がいるから、力になりたい。」
地獄を見、人にも見せてきた彼の言葉を、いつまでも忘れずに大事にしていきたいと、強く思っています。

 

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鳥取DARCから望む日本海