蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

バカでも大丈夫らしい

昨日、敬愛するお師匠様に、半年ぶりにお目にかかることができました。
この方は東洋哲理の師で、しばらくご療養中であられました。

久々にお師匠様にお目に掛かることができとても嬉しく、また、昨日のご講義を拝聴し、大きな気付きがありました。

数年前初めてお師匠様お会いした日に「バカなまま死にたくないんです!」と申し上げたところ、笑われました。そのことを思い出しました。
ここ数カ月で、私は苦しい経験をしましたが、半年前に恐ろしくて堪らなかったことが、特に恐れるものでないことに気付くことができました。
また同時に、バカなままで何が悪いのと思うようになりました。

「バカなまま死にたくない!」
と思っていたものが、
「バカがなんで悪いの」
と言い出すなんて、凄いパラダイムシフト! 正に悟り!

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 人が苦しみを克服するために智慧が必要で、智慧が無いとまた苦しむと思い、それを仕事の根幹にしていたのですが、実は苦しみなどないことに気付くことが智慧であったとは。
「すべては迷妄である」とヨーガでも学んで来たはずなのに。
頭でわかっていたはずのことを理解するには、生かされる限り生きるしかない、と今は思っています。

いいらしいですよ、あなたも私も、この様で。
上手く生きようとか、楽に生きようとか無理なことを願うから、今回の私のように足を掬われてしまう。
「今、こうでなければいいのにと思うことこそが病気」
これはヨーガの教え。つくづく過激!でも、これがたぶんほんとのこと。
「これでいいのだ!」の境地で生きても、毎日色んなことが起こる。
ただその物事に応諾して、一所懸命に生きることだけであって、誰かからみた立派な人生や恥ずかしくない人生を生きることを目的にしない。

私は「龍の背に乗って天を昇る」という宿命を持っているそうです。
お師匠様が教えて下さいました。
まんが日本昔ばなし」のあの子は、根性座ってるな!、と思います。
相当怖いと思います。常人の感覚では。
でも、「やれ」と言われてNOはないのです。
天が付きつけてくることに対して、迷わず応諾するのがヨーガなのですから。