蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№118 ようやくここに

一月ぶりの中野先生とのセッション。
先月お会いした1週間後に、多くのことが一度に明晰に見えてきたように思えて、突然セッションを再開したくなったことにも深い訳があったと感じている。

中野先生は2016年に初めての書籍を出されたが、来月、2冊目をお出しになるそうだ。なんだかとても嬉しい。
実は以前のご著書は、長らく怖くて開けなかったのだ。当時の、悩み苦しんでいた自分と再会しなくてはならないような気がして。今日になってようやく、薄紙でカバーを掛けてそっと開いてみると、確かにそこに古い私がいるような気がしたけれども、個は薄まって大きなものに包まれ、優しく暖かだった。過ごしてきた年月と、導いてくれた人や物事が、私というものを今のように拡げ、変えてくれたと感じた。

先生の所を始めて訪れたのは、2005年の初夏だったと記憶している。生まれた子が中学に上がるくらいの時間。親元で、物心ついてから自立するよりも長い年月を共にし、お会いしていない時にも私の心のなかでは対話が繰り返されていたことを振り返ると、なんと豊饒な時であったかと思う。そしてようやく、今日のような話を聴いて頂けることに深い感慨を覚える。

鈴木俊隆師の講話集(2)に書かれている「もし法の車輪が回っているなら、物質的な車輪もまた回るだろう」という言葉、そしてステファン・ボディアンの著書の中の「お金の心配というのは、あなた『生存の恐怖』の力を緩め、本来の自分は決して壊されることがないということを思い出すまで続く」という言葉の意味を理解したいとずっと思ってきたが、答えに近付いているように思う。

落ち着く先は私の願望とは異なるかもしれないが、よりあるがままで自然だろう。
無理が極まれば止まるしかないが、そこは想像以上に安らかな境地なのに違いない。
この世の誰も、愚かだからといって簡単に居場所が無くなったりはしないはずだ。

今晩は、「マハーバーラタ」講義と瞑想の会だった。
混沌の中から甘露が出てくると「マハーバーラタ」にもある。

攪拌された乳海のように、私も様々なものを呑み込んでみたい。
小さな個の自分を混沌の中に投げ込んでしまいたい。
皆がくたくたになるまで乳海を攪拌する間、自席で心地よく座っていたという、願いを叶える神(ブラフマ神)の目で、世界を見てみたい。

禅マインド ビギナーズ・マインド (サンガ新書)

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過去にも未来にもとらわれない生き方

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