蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

筝曲 ~伝統的なものの懐の深さ

筝曲を学んでいます。
10数年経ちました。
何か大きなきっかけがあったわけではないのですが、師との得難いご縁がありました。

私は、茶道と筝曲という二つの大きな趣味を持っています。
芸は遊びです。
この二つの遊びが、私の表の顔であるヨーガ教師の仕事を支えていると、以前、先輩弟子に言って頂きました。なので堂々と遊んでいます。

遊びですが、特に筝曲は苦しいことが多いです。
月に三度、師匠と一対一で1時間強の時間を過ごしますが、その日その時の心理状態が如実に演奏に反映されてしまいます。

古曲と呼ばれる伝統曲を、何年もかけて稽古します。
今弾いている曲は、3年かかってもまだ弾きこなせません。
弾いても弾いても自分のものにならない、古曲の深さに気が遠くなります。

演奏会には現代曲で出ることが多いのですが、現代曲は時間を費やしさえすれば、大体弾けてしまいます。
ところが古曲は、弾くものの内面を映し出すかのようで、ひとりで練習しただけでは上手くならないのです。
ここが、ヨーガと似ています。

私にとって、茶道と筝曲とヨーガは同じものです。
同じ大事なものを追求する、三つの道です。
演奏も、点前も、ヨーガと同じ心持で行えた時うまくいきます。
ヨーガは、一人で、自分だけのために行うものなので、相手のある点前や演奏より、ずっと簡単なように感じられることがあります。

箏は龍に例えられます。
決して簡単には乗りこなせない。
来夏、試験を受けます。
準師範として称号を頂いた時、少しは乗りこなせるようになっていることを願います。


*「琴」と表記されることがありますが、正しくは「箏」です。
 ご興味がおありの方は違いを調べてみて下さいませ。

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