蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№831 そういうことだったのか

この20年、考え抜いてきたけどぜんぜん理解に至れなかったことがあるのですが、数日前突然「わかった」気がしました。

 

この「わかった」感がほんものなのかニセモノなのか検証しなくてはならないので、「わかって」そうな数名の方に、今の気づきを言語化して確かめてみましたが、大丈夫そうでした。

朗報です。

 

 

20年考え続けてきたことというのは、なぜ人は不幸や症状に悩むのかということであり、なぜ自らをしあわせにできないのか、それができると言っている人もいるが、それは具体的にどうしたらいいのか?ということです。


このヒントのようなものは、当然ながらYogaの智慧には散りばめられています。

 

っていうか?
たぶんそのことをそのままズバリと教えてくれているのだろうと薄々は思ってきましたが、

 

わかりにくすぎるやろ!!!

 

これではまるで謎かけであります。マジでみんな困っています。私も困ってきました。

 

 

この大いなる疑問に風穴が開き、多少なりとも「もしや??」という感覚が生まれ出したのは2020年の春先のことでした。

 

あの日私は水道橋にいた。

O先生も一緒にいた。そのときご一緒していたもう一人のあの方が、私にデイヴィット・ボームの話をしてくれた。そのときの話は要するに目に見えない世界の重要性についてで、美味しい料理を食べさせてくれる居酒屋で食事とお酒を堪能しながら、「精妙な世界」の話で盛り上がった。

そしてその後、O先生と二人、夜のファミレスでパフェを食べた(お約束)。

 


その後不思議な偶然に導かれるようにいくつかの本に出会い、何人かの人に出会い、対話を重ね、「??」と悩みながらも考えを深めていきましたが、数日前

 

「え、要するにそゆこと?!」

という気づきに至りました。実にシンプルでした。

ぱーっと視界が広がり、これまでのあれやこれやが、実に緻密に美しく関連しあっているのがわかりました。最後は知識ではなく、体験を通じた落雷のような「わかった」感、いえ、もっというと既に「知っていた」感でした。

 

この感覚と共に後ろを振り返ると、天空の城ラピュタムスカ大佐(大尉?)の如く、「読める!読めるぞ!」という感じで、なるほどあれがこうなってこういうことを言っていたわけね、なるほどふむふむという至極シンプルな話だったのですが、わかんなかったときは本当にわかりませんでした。

 

なのでひとこと言わせてもらうとすると、

 

もっとわかるように教えてごせや!!(境弁)

 

ということであります。


で、これは先にわかった人が、まだ「なんでやねん」と思って困っている人に、「実はな」と言って教えていくという伝言ゲームですので、なるべくこの伝言内容が曲がって伝わらないように、聞いた人が「嘘やん!」と思って怒ったり泣いたりすることがないように、しっかりお役目を果たしたいと思います。

がんばるで!