蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

No.745 ささくれ

9月11日
今日は朝から五コマのセッション。先程本日ラストの仕事を終えたところ。
初めに断っておきますが、今日は楽しい話じゃないです。お詫びしておきます。


クライエントさんと過ごす時間はどれも楽しいし、Asanaを含むものは自分も心地よくなって双方向で癒される。でも流石にこの長時間で多少疲労しているのか?

一週間ほど前から依頼されて、現時点で自分の仕事と直接関わりはないがいつか必ず緩やかに繋がっていくはずの件に気を巡らせてきたが、そのことに関してあるひとのある一言で心が猛烈にささくれだった。

やってらんねーな!という気持ちでいっぱいである。もしかしてもしかすると、ただ無意識に疲労しているのかもしれない。いつもふらふらし過ぎているから。

信頼ってなんだろう、任せるってどういうことだろう。
どんなことも私より上手くやれる人がいる。Yogaだってお茶だって子育てだって。
なんにしても、いつまでも自分は未熟で行き届かない。ベストを模索するだけで精一杯だ。この個我で生きることは一回きり、今日も一回きり。上手くいかない日も、そうあるべくいつかどこかで決めてきていたのかもしれない。Veda的に表現すると。

今日こうやって言い知れないほどの不快感と、涙が滲むような感覚を覚えることも、もう既に一度終えられたことでそれを追体験しているだけなのかもしれない。

今晩、この瞬間私はやさぐれている。何かを試みようとした時の自分の覚悟や、責任感をぶっ飛ばされた気がした。しかしこうやって書いてみると、自分が思うことのどれもこれもがバカバカしく思えてくる。

明日は愛するオタクの協力で、久々にお点前の稽古をさせてもらえることになった。
こんな心境でも、釜の前に座ればきっと心は澄んで静かになるだろう。そう信じている。

それがずっと弛みなく続けるということの力であり価値だとも思う。続けてみなければわからないことを、誰かの意見で揺るがせにしたくない。私は不器用なので、淡々とやってみることしかできない。無駄骨に終わるかもしれないから、私に何かを頼むのは辞めたほうがいいかもしれない。

今日はJK剣士も、後輩に指導しながら思わず涙が流れてしまったらしい。想いがあるから悔しい気持ちも湧く。そして私は、想いが伴わないことは何ひとつとってもやることができない。迷惑な性格である。