蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№685 行列のできるらしいオンナ

窓辺にはくちづけのとき外したる眼鏡がありて透ける夏空 吉川宏志

 

 

 

 

6月8日
東京ふらふらライフ再開。昨日は寝不足と腹痛でもう別のフラフラでよろよろ五反田のホテルに辿りついたのだが、もうその時点で疲労困憊だった。今回のホテルは最上階に大浴場があるので、なにはともあれ湯に浸かってリフレッシュ。いやー、お風呂っていいな。体が温まるとほんとにいい。肉体関連の内的仕事が急に楽になる。

お風呂で元気を取り戻し勇んで日暮里駅に向かった。
もう書いていいだろう、書いていいことにする。
日暮里駅徒歩数分のヤキニク屋さんには堂々と「昼呑みできます」と書いて貼ってある。昼に呑めるんだったら当然夜も呑める。なにを吞むかはあえて聞かないこと。みんな大人なんだからね?

昨日は三名での会食だった。真面目な会食なのだ。お二人を改めてお引き合わせをする、という大役をになって私はここにいる、はずなのだが…いやもうほんとに久々に吞めるからワクワクドキドキして待つ二人。師匠は遅れ気味。いいかな、先に呑んでいいかな…ダメかな、いいよね、でも、という逡巡の挙句待ちきれないで電話した私。「うん、今、日暮里駅に着くところ」とお聞きして「すいませーん!N三つ!」と叫んだ。

師匠はつい先程まで、秘密の場所でリーダーとお会いになっていたそうである。リーダーのご様子を伺ったところ、お変わりなくお元気とのことで嬉しかった。
肉を焼き、食べ、Nを飲みつつつつ和やかに会食は進み、全然マジメな話にならなかった。やっぱり愛が大事とか、エネルギーがどうとか、セクシャリティが云々とかそういう話題である。壺井と話すといつもこの話題になるよな~、と師匠がお笑いになるがそれは仕様がないのです。やはり愛はなによりも大事だからです!

愛にはいろんな表現があるが根っこはおなじ。人を癒すのも治すのも成長させるのも、愛の力。この愛の力の作用を人はああだこうだと解説や証明をしようとするのだが、愛は愛。ジャスト愛。エビデンスなんて要らない。

寂しさを感じつつ生きる人があまりにも多いように感じるこの世のなかで、誰かに優しく、そっと背に触れてもらったり、ハグしてもらえたら、人という存在のなかでなにかが起こる。そのとき否応なく、そしてあまりにも自然に成長ということは生じるだろうという師匠のお言葉を聴き、感動のあまりNのジョッキ(中)を持つ手が震えた私。

いや、この10数年、この方に師事してきてほんとによかった。飛び込むタイミングが早かったから価格も安かった。なんと今、師匠に師事しようとしたら驚きの価格。昨夜それを聞いた私はひっくり返りそうになった。いや、あのときメールしてほんとによかったな~。しかし値段は関係ない。師匠は愛の人である。そこがなによりも素晴らしい。


ところで、ここ最近の私の神秘体験?のことや、それがめちゃくちゃ気持ちいいことを語ったところ、師匠より「Yogaで長い時間をかけて準備してきているから、ポジティブなカタチでエネルギーの恩恵を甘受できるに決まってる」というようなことを言って頂いた。なるほど~!

ヨーガ療法では、伝統的Yogaで当然扱うところのチャクラやプラーナ(エネルギー)の話はほとんど出ない。いや、出さない。なぜってもし医療機関とかで仕事することになった場合、そのネタは完全に禁じ手だからである。なんだおまえオウムか、もう二度とくるなって言われちゃう。
私がこの僅か10数年でやってきたのは、基本的にはヨーガ療法の使い手としての訓練なので、エネルギーに関する知識はまだまだである。しかし幸いなことに呼び名は違えどエネルギーは万国共通、いえ全宇宙共通なので、こうやってYogaとは関係ないところから教えを受けることができる。ありがたい。そして地道な訓練無しに高いエネルギーに触れちゃったら、Jさんみたいにしんどくなったりするんだな、ということがわかった。こりゃもうJさんも諦めてYogaするしかないわ、うん。


さて、これまでずっと規夫師匠に「おまえは雰囲気が怖いんだ、だからモテないんだ」と言われ続けてきた私。いや、モテてどうすんだ?と思いながら、仮にも先生なんだからビビられるよりいいに決まってると思い返し、怖くなくなるためにはどうしたらいいのと悩んできた。しかし!昨晩とうとう「今の壺井なら行列ができるぞ」と言われた。

「デートしようか~」と世界に向かって叫べば、木霊が還る代わりに、私の前に昭和な男子の行列ができるということだろうか?ほんとか?それ。

いやしかし成長したよ、私。あのお師匠さまにとうとうそんなこと言われるなんてさ。リーダーが交通費支給してくれて都会の水を浴び続けたからかな?もっと師匠のおそばでお話を伺って勉強したい~、と思ってきた夢が叶ったからかな。靈氣の伝授を受けて神秘体験させてもらったからかな。まあどれでもいいや。物事が現象として起きるには深いレベルでなにかが起きる必要があるが、それを意識化するのは至難の業だね。

そして昨日の会食で為されるはずだったマジメなハナシはどうなったのだろう?お引き合わせはあれでよかったのか?!しっかりしろ、私!