蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№636 アイシタヒト

かけがへのなき一日がかけかへるもののなきままかがやきてゐつ  小池純代

 


4月19日
ただいまー。
14時台の伯備線特急やくもに乗って米子に帰りついた。あんことういろ(うちのにゃんこ)も私の顔を見るなり駆け寄ってきて「ごはんおくれ」と鳴く。長い不在に完全ムシされるかと怖れていたが、空腹のまえにはすべての問題が水に流されるかのよう…。

いつもは家にいるひと誰彼かまわず「ごはんおくれよう」と要求しまくっているういろ。「え、さっきあげたよ」と聞かされて「またダマされた―!」と思うことの繰り返しだったが、そもそも「ごはんおくれ」とにゃあにゃあ呼びかけるヒト自体がいないのだから食の量が減ってしまったらしく、抱え上げると軽くなっていた。あんこも撫でると手を舐めてくる。なんだろう、このサービス精神の旺盛さ。JK剣士がいなくてさみしかったのか、あんこちゃんや。


さてこの二日間どこにいたかというと、名古屋にいた。ホントだったら今日午後は御影公会堂でレッスンをして、明日は神戸・二宮に鍼灸の先生と一緒に泊まっていたはずだったのだがすべてキャンセルとなって、2日前倒しで帰ってきた。名古屋ではいくつか予定していたことがあったのだが、これもコロナの影響で半分しかコンプリート出来ず。

名古屋では名駅に滞在、セントラルタワーズ近辺をうろうろしていたのだが入る店入る店どこも相当な人の入り。20日からは名古屋でも時短営業になるとかで、先日の駒込焼肉屋さん明翆園のごとく駆け込み飲食で満員御礼という感じだった。
去年のことを想うと、みな逞しいなと思う。もちろん私も逞しい。昨年は家に籠ってうだうだしていたが今年の春はこんな感じで家にすらほとんどない。次は30日から五反田に滞在となる。


さて、最近YouTubeでループ再生して延々聴き続けている曲がある。
20代のある日、飛騨のスキー場で大音量で流れるあの曲を聴いて以来の古内東子ファンの私。スキー場で流れていたのはあの曲。君には何でも話せるよと言ってくれるカレが誰より好きなのに、何でも話せるというその言葉には微妙なニュアンスが隠されているらしいあの曲である。今改めて歌詞を考えるに、なにゆえそんな中途半端なメンズに心奪われたものであろうかとちょっとイラっとする。私がすっかりお姉さんになってしまった証拠だろう。

しかし「恋愛の神様、教祖」と呼ばれたという彼女、アレコレいい曲がありますね。
で、今ハマってるのはホレた男と別れることになった女子の歌で、サヨナラと言いつつもあなたのすべてを忘れない、いつか他の誰かに愛を囁くときにもあなたのことを想って噓をつく悪い女になるでしょうという曲である。これまたお相手はどげな(=いったいどのような)いい男であったものであろうか。妄想が膨らむではないか…しかし膨らんだつもりがニコラス・ケイジとかニコラス・ケイジしか思い浮かばない。困ったものである。

で、この曲を聴いていたら、YouTubeで大変よく似た「サヨナカイツカ」というタイトルの映画がご紹介された。2010年に公開された映画だそうだが、その頃と言えば子育てと体調不良とで外界と切り離されていたからまったく知らない。原作小説があるというので探してみたら池袋の三省堂にあったのでゲット。本日、揺れる伯備線車中で読み始めた。


人は死ぬとき、愛されたことを思い出すのか、愛したことを思い出すのかという問いかけ。誰かとのかかわりのなかで、自分自身に生じる意味。そこで生じた意味は永久に失われないものもあるだろうし、時とともに意味をなさなくなっていくものもあるだろう。

小説は今晩読み終えることができるだろう。感想は明日書いてみようかな。

 


雨の匂いを空気に感じても
傘なんて持って出掛けない
先行きが不安な世の中でも
あなたがいればそれでよかったよ

眠れない夜も電話したら
あなたの声が薬になったよ
魔法みたいに

さよなら愛してた人、すべてを忘れない
いつか誰かに抱かれる夜も
あなたのこと考えてる 悪い女になるでしょう

 古内東子「サヨナラアイシテタヒト」