蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№615 自由

息あつくわれをまく腕たへてきしかなしみをこそ抱かれたきを  沢口芙美

 

 

3月29日

二日前、JK剣士は久々の遠征に行った。広島県三次市へ。たぶん今年度の遠征は4回くらいしか行っていないと思う。本来であれば年間何十件もの遠征が予定されているのに。あまりにも久々の試合は、感が鈍っていてぜんぜんダメだったらしい。
やはり試合で勝つには試合稽古をするしかないんだねと訊ねると、「ママだって楽器は弾かんとうまくならんやろ」と返される。そうだなあ、脳内稽古だけではムリがあるしね。でも稽古はできるが本番(舞台)は一瞬。舞台の”感”などは、何十年もかけて養っていくものなんだろうと思う。だから先代宗家が「芸には刺激がどうしても必要だ」と仰ったのだろう。

JK剣士たちの場合も試合と稽古はまったく違うと。よくチームメンバーの対話で理論と現場の違いについてはなしをするけれど、それとおんなじってことだな。

 

 

さてさて、三次遠征を終えて渡米準備のため稽古も休むことにしたJK剣士だが、カントク=もしかして次年度担任?から「待った」がかかった。4月1日から6月3日まで行っとくつもりだったのだが「単位足りなくなって夏休み前には留年決定」という天のお告げがあったのだ。がーん…留年はちょっとイヤよね、さすがに。しかも留年したら部活動できなくなるんだって。なんのために米子H斗にいるのかイミがわかんなくなっちゃう。

誰も聴いてないからいうけど、ニポンのコウコウのお勉強ってなんだかほとんど受験勉強じゃない?だったら「日数」とか「単位」とかもっと鷹揚に構えてくれてもよろしいんじゃなくて?まあモンカショウとかが決めてることとかあるのかもしんないけど。こういうこと書くと「医療の世界でも…」みたいなハナシになりそうだからここらへんでやめとこうっと。

 

それでJK剣士は再計算をして、今は残念ながら「自粛期間」というものがあるので帰国後すぐに学校に行けないことも勘定して5月半ばに帰国することにした。久々に登校する日がなんとまあインハイ予選だという。エントリーはしておいて棄権する方向で検討中。誰もが必死にそこに水準を合わせてくる場面で、恥ずかしい試合はできないからね。でもみんなの応援ができるのはよかった、大事な仲間だから。


JK剣士が渡米中、ハハは以前書いたように東京で延々と文章を書いて暮そうと思い、今ようやくあたまのなかに「こんなふうに」という絵が描かれてきたのでそれを温め育てつつ、長期滞在の準備をしている。一番悩ましいのは参考文献で、発送用のバッグに入れたり出したりして考えているところ。

 

まあでも私は世の中の多忙な方々とはまったく異なる空気の中で生きており、家にいようが外にいようが基本的にあんまり変わりない。大きく異なるのは猫の存在と楽器の有無くらいだろうか。


18歳で某国営企業に入り、「私物/シブツ」と呼ばれる、「官品/カンピン=国から貸与もしくは支給されたもの」以外を収めるスペースが衣装ケース1個しかないという生活を始めたとき、「なんとかなるんやん」と感動した。
またキエフでのヨーガ療法指導に出向いた時はホームステイだったので、当地の方のリアルな生活に接することができたのだが、旧ソ連時代に建ったという高層アパートの上階(18階)には技術的な問題でガスが届かないとのことで、小さな電熱器ひとつですべての調理をしているのを目の当たりにして、日本のライフスタイルってあれもこれも過剰だと思った。ちなみにご存じない方もあると思うが、ラップにも箱はない。中身のあの巻き巻きしているところだけが積んで売ってあります。

しかもお茶まで始めちゃって、そこは皆様ご存知の「ワビサビ」の世界であるからして、ムダなものは全然ないというミニマムな空間(茶室)に触れた。贅沢をいえば季節ごとのお道具をとっかえひっかえして遊びたいが、年がら年中同じ茶碗でもいっこうにかまわへんよね、という幅広い心持を教えてもらった。

私のスーツケースは、基本的に便利な国内での旅を想定していて10泊とかするわりには小さいけれども、このたびJK剣士が入手したような(JK剣士が丸まったら入っちゃいそうな)大きめのスーツケースにあれもこれもつめこんで、それでもう用が足りるっていうのはいいなと思う。

まあでもその思いが極まり過ぎちゃって、「ヒマラヤにもっていけないものはもういらん」とまで思うときがあったけれど、最近はそれを真逆にふってみたりもしている。だからヒマラヤにはゼッタイに履いていかない(履いては行けない)9㎝のヒールをいくつか保有して、茶道具のように季節のうつろいにあわせて履き替えたりしている。

ちなみに今シーズンはルノワールの描いた薔薇をモチーフにしたサンダルをゲットしたので、そうさね…6月の終わりあたりからお目見えできるのではないだろうか。その年の気候を見ながらだが、きものでいうところの単衣から薄物が来たくなる頃に、この靴を履きたくなるだろう。

迷妄の世界で遊ぶって決めてここに来てるんだから、アレダメコレダメっていうのを人には決めさせたくないよね。私は私のなかに在るアートマンと、そこに間違いなく繋がっている絶対者ブラフマンとともにいついかなるときも自由だ。怖ろしいほどに。もしだれかが私を押さえつけて屈服させようとしても、私のなかの真に私であるものはゼッタイに誰にも屈しない。

生きていてどんな苦しいことがあったとしても、絶対者とともに在るやすらぎと愛を感じることができる。昨夜、そのことを確認させてもらえた。

今この瞬間、限りなくしあわせだ。