蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№585 再生の地

脂身のない肉なんてうちのおらん地球みたいなもんやでしかし  じゃこ

 



2月27日

明日はJK剣士が通う学校の卒業式である。諸々準備のため部活は休み。母が出張中に毎朝「おはよー」とLINEしても翌日の夜におかしなスタンプを返してくるだけの彼女が、なんと今日は「今から帰る」と連絡してきたではないか!月の三分の一は家にいないでフラフラしている身とあっては、ここぞとばかりに存在感をアピールしようとして「ランチ行く?」と声をかけた。

JK剣士とのランチは、萬龍軒もしくは寿司の二択である。そして今日は寿司。当然回る。素材がなんでも美味しい鳥取県だから回転寿司のクオリティも高い。しかし、ここで私たちかたく決めていることがある。すなわち「回ってくるものだけ食べる」というルール。

いや、みんながいろいろ注文したらそのおこぼれが流れてくる感じなのはよくわかるのだが、回転している寿司なのに自ら注文してしまったら女が廃るっていうか?おまかせで回らない寿司屋で食べるんじゃなかったら、黙って回っているものを食べるべし!淡々と今この瞬間、この寿司屋で、回転しているものとの出会いを享受するのみである。「なにが流れてくるかな~」とも思わず来たものにすっと手を出し、「寒ブリだったか、うむ」とまるでこれが運命だったとばかりに食べたら、案外好きなものばかり(鳥取はタコやアナゴは美味しくないと思うから食べない)という展開になるのではないか。


ひたすら目の前でぐるぐる回っていくネタを見つめながら、絶対者ブラフマンの御業に思いをはせている母。ちゃんと食べなさい、とJK剣士に叱られた。

 

 

数日前、しげにいちゃんの4回目の月命日だった。まだ4か月しかたっていないなんて、嘘のようだ。今日はランチのあと、鳥取県西伯郡南部町(我が家から車で約20分)にある赤猪岩神社に詣でてきた。あかいいわ、と読む。昨年2月、一足先に詣でたしげにいちゃんから「いいところだから行っとけ」と言われ、雪のなか長靴を履いてお詣りした。

ものすごくざっくり解説します。
古事記に詳しいひとがいてもゼッタイにツッコまないでください。私も古事記ファンなので結構詳しい方だけど、いまそういう場面じゃないから。あなたも我慢して。

出雲大社に祀られている大国主大神が、ご兄弟(八十神)と一緒に、今の鳥取市あたり(因幡国)にヤガミヒメという超美人の嫁取りに行きます。
往路で起きた事件が、イナバのしろうさぎ救難ですね。
大国主大神はただの荷物持ちだったんだけど、たくさんいたきょうだいをさしおいて、超美人のヤガミヒメから婿に選ばれてしまうわけです。さすがです。

しかし復路でまた事件発生。嫉妬した兄弟たちが大国主大神を殺すと決め、「山の上から赤い猪が来るから止めろ」と云いつけておいて真っ赤に焼いた大石を落とすという、甚だ面倒なことをやってしまいます。男の嫉妬は実に怖ろしいですね…。

猪はつかまえとかないと近隣住民が困るからな!と(きっと)思った大国主大神は、嘘を真に受けて焼けた石を真正面から抱き止めてしまいます。当然焼け死んでしまいました。
首尾よくいったので満足して帰っていく兄弟。

ま、でもこのままにはならんわけですよ。だって今、出雲大社があるわけですから。ご安心ください。
結局のところ、ご母堂が根の国の神様にお願いしたところ、二人の貝の女神さまが差し遣わされます。ハマグリの女神さまと、アカガイの女神さまです。このお二人の治療によって大国主大神は無事生き返り今に到ります。めでたしめでたし。

はい、長かったですが、そういう由来のある地がここ。死と再生の地。

神社の裏手には今もその大石が埋まっているとされ、その岩の上端は見ることができる。とても素晴らしい、そして強い氣の漂うところで、私は大好き。でも今日は、再生の神と仰るがしげにいちゃんは行ったままで帰ってはこない、昨年ここに来たのになぜ、と責めたい心もあり、同時に、他人でありながら現身を去る直前に合わせて下さったことにありがとうと、申し上げる気持ちで詣でてきた。

2016年に統合医療学会山陰支部が発足したとき、なんとこの鄙びた南部町で設立記念講演が行われ、川嶋みどり先生まで来てくださったのである。ちなみに私が司会デビューしたのもこのとき。以来、山陰支部の研究総会の司会をずっと仰せつかっている。

でね、このときある方の講演で初めて知った。ハマグリとアカガイの成分って、今も火傷の薬に含まれているということを。神話と現代は、ちゃんとつながっている。

「受難」「再生」「次なる発展への出立」の地として、訪れるひとが数多であったという南部町・赤猪岩神社。これからも折に触れてお詣りし、しげにいちゃんとテレパシーで交信したい。

ちなみに南部町のHPには、この神社についてのページがあるのだが「大国主大神を救ったのは、二人の神と母の愛である」と書かれている。愛を入れてあるのは、よかった。

母だろうが他人だろうが、やはり人をケアするのに大事なのは愛。二神のような力をもたない私たちにできるのは、そのひとを心から思うことと、物理的にではなくとも、寄り添うことである。愛という言葉に抵抗があるなら、“あなたを大事に扱うこと”と言いかえていい。先日読んだ本にあった言葉。何の本だったか今思い出せないが、この言葉だけが強く印象に残っている。