蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№568 自称凡人

ふるさとは海峡のかなたさやさやと吾が想わねば消えてゆくべし  川野里子

 

 

 

2月10日

五反田駅徒歩数分の場所に滞在中。大きなお風呂があってうれしい。
自ら人体実験した結果を人様にお教えさせて頂いている身としては、毎日色々しなくてはならないことがあって冷静に考えると結構大変。でも既に頭がヘンなので、自分としては別にこれがフツーで大変ではない。

どんなことをしているかと言うと、起きたらまず舌の掃除、そのあと白湯を飲む。鼻腔の手入れ。目の手入れと眼球運動。頭皮の手入れを含む全身のアビヤンガ(オイルマッサージのこと)。調気法とバンダ。こんなこともいったんルーティン化したらどうってことない。セルフケアをサボって、他の特殊なケアを受けることの方が面倒だから。でもルーティン化したといっても意識化はしっかり行い、日々、微細なその差を感じ取って対応している。ただやればいいわけじゃない、変化を知ることにルーティンの価値がある。


先日、松江の最高に美味しいコーヒー(このときはグァテマラ)を飲みながらクライエントさんと語ったとき「僕は変人と言われるんです」と伺った。変人と言われるのが哀しいご様子。ふむふむとお話を聴きながら、手元にある皿やらカップやらを4つ順に並べて、「ここが普通の人、ここが変人、ここが異常者、ここが宇宙人」とご説明し、だから変人くらいどうってことないってと言い聞かせた。
あ、ちなみに「自称凡人」は宇宙人以上でヤバいんですよ。自分で自分のことを凡人と言うのは、お釈迦様とイエス・キリストとうちのリーダーくらいですからね。真に受けないように。



“異常者”って言うのは、数年間東洋哲理を教わっていた先生がよく使っていたワードで、「宿命的にも振り切れちゃってて、平々凡々な生活は望んでも手に入らない人」のこと。どうやら誉め言葉である雰囲気だった。かつて帝国ホテルのカフェでこの方とサシでお話ししたとき「壺井さんは異常な人で、異常な家族です」と力強く断言され、森の子リスのように平々凡々たる人生を静かに(鳥取県で)送っている自覚のある私としてはちょっと不満だったが、先生は「ほらまたここに異常な仲間が」という感じで嬉しそうだったな。

ちなみにその直後夫に「バリバリ稼いで全然家にいないのと、ずっと家にいてショボくれてるのどっちがいい?」と訊ねたら「前者でお願いします」と即答された。今、全然稼げていなくても家にいないのはOK。寛大な夫でほんとによかったよ。


東洋的な考えでは輪廻を信じているので(そもそもYogaって、この輪廻の輪から外れるためのものですからね?お忘れになりませんように)、前回の生を終了した後、想像するに個我が絶対者に含まれるように還っていき、「この前はああいうことをやってなかったから、次はぜひやっとくかな」とか思った結果、「次回こんな感じで行きます!」と自分で決めて出てきているらしいよ。それが誕生日に象徴されているとたくさんの人が考えているわけですよね。インドにも占星術があるし、中国や日本にも色々ある様子。

そんな考え方に従うと、私や我が家の家人は異常な部類らしい。私の見立てではJK剣士は宇宙人である。ちなみに駒込の某師匠も宇宙人だと、これはご自分で言っておられた。「俺は地球人ですらないんだぞ、この世界で暮らしにくくてもしょうがないだろ」と仰るのを、JK剣士がチョコレートパフェを食べながら眩しそうに見つめていた。よかったなあ、宇宙人仲間がいて。

 

で、たぶん、私が仲良くしている方々はたぶん、変人以上宇宙人以下、プラス自称凡人のヤバい人って感じだと思う。だいたいどの人もこの人も“異常者認定”を受けた私から見ても「うわぁ、この人フツーじゃないな」と思うくらいフリ切れている。壺井と異常な仲間たち、実に楽しい。

 


人と違うとか、ちょっと変わってる、と言われながら生きるのは苦しいだろう。まあ、慣れればなかなか楽しい。その点、東京はなかなかいいなと思う。幅が広い感じがする。ここに比べると地方はちょっとツラい。地方に住んでてツラい人は旅に出るといいと思うし、今こんな感じでオンラインのやりとりが盛んにできるから最大限活用して欲しい。

長女がとうとう東京の人になったが、保護者役を買って出て下さったお二人の紳士もオンラインゼミナールで出会った方々であることを思うとなんだか感慨深い。
ふたりのSさん、我が子をどうぞよろしくお願いします。
可愛くてたまらず「蝶よ花よ」と育ててきちゃった気がするので、人生の厳しさとオヤジの生態、おっといけない、日本の紳士の生き様を教えてやってください。心の底から頼りにしています!