蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№533 最高の恋人

不逢恋(あはぬこひ)逢恋(あふこひ)逢不逢恋(あふてあはぬこひ)
ゆめゆめわれをゆめなわすれそ                  紀野恵

 

 

 

1月4日

帰ってきたよ。

米子空港のエプロンに雪山ができていた。あれは完全に凍みている。今週また、前回を超える寒波がやってくるというから、きっと春まで寝雪になっちゃう。駐車場に車を停めてなくてほんとうによかった。

久々に車で出かけようとしたら、当然愛車にもどっさり雪が積もっていて、こちらもやっぱり凍みていて車の雪下ろし用アイテム(正式名称はなんだろう?)ではビクともしない。ちょっと焦った。

 

さて、私は通常12週間1クールでオンライン・セッションをお受けしている。約3か月。でも”3か月”という括りじゃ嫌、ダメ、なのである。
ひと月は28日×4、そして×3で12週。こちらの方が人間のリズムに合ってる気がする。

 

ほんとうはお兄さん弟子の真似をして「40週1クール」というのがいい。
ある方とこの約10カ月のセッションを行ったことがある。最後はホントにお子さんをお産みになるというギフトがあった。

40週って、人間が生まれてくるのに必要な日数。前後数日の誤差はあるけれど、40日間お母さんのお腹のなかにいれば「月満ちて」生まれてこれるということになる。
お兄さん弟子のセッションは「もう一回安心して生まれ直す、そして本当の自分を思い出す」ということだったからこの期間がどうしても必要なのだ。

まあでも私はただの「ヨーガの先生」だから、12週区切りでいいや。

 

お蔭様で、常時数名の方がこのクールに入っていてくださり、毎週定期的に2時間くらいのやり取りを交わしている。毎週2時間、一対一って、相当熱いです。
ご経験者様はお分かりになるでしょう。ここまでやると、時々リアルで会っても他人の気がしない(私はね)。始めたばっかりの方に「離れてるにも関わらず、届くエネルギーが強すぎる」と言われてしまったこともある。でも、愛だからいいんだよと慰められた。愛ならいいよね、熱苦しくても。

2日前のセッションでは、12月からこのクールに入っているYくんが「つぼいさんって何して生きてる人なのかわかんない」と言ってくれた。3クール目に突入しちゃったAさんが「それって最高の誉め言葉だね」と言う。

 

なにして生きてるか? 
息して生きてる。それだけ。

今、私が、ここに存在していられる因はすべて絶対者ブラフマンにあり、Pranayama(呼吸)で毎瞬私をチャージしてくれる。それだから生きていられる。これ以上のことは何にもない。ほかはすべて後付のおまけみたいなもの。これが土台、そして基盤。

何の努力も要らない。どんなに私がバカでも大丈夫。無条件に愛されている。そのことに絶大な安心感と、至福を覚える。
愛されているから、人を愛したいと思える。

 

からだの調子が悪いとか、夜眠れないとか、細かいことはいくらでも悩みが生まれてくるのだけれども、根本解決はどこにあるかと言うと「無条件で愛されていて、ここにいてもいいんだ」と安心できることだと思っている。そうすると肉体の内的な仕事なんて、劇的に変わってしまうのだ。
ほんとです。これは体感できる、リアルな現象。

誰かにリアルに愛されることはその優れた疑似体験になり得るので、上手くいくとすごく良い癒しが得られるだろう。でも「私が安心したいから」と思って恋愛や結婚をしても絶対にうまくいかないから、気をつけたい。

ピンでここに立って、わけもなく満足だから人と愛を交歓できる。これをしあわせと言います。しあわせには条件がないので、無尽蔵の源泉から湧いてきて人に分けてあげられる。もし条件があったら、それはしあわせのように見える不幸。この不幸は期間限定だったり、感覚器官(五感)で味わえるものだという特徴がある。

たとえば、これはダルクの方に教えてもらったのだけれど、ドラッグの気持ちよさって何時間も続かないそうだ。値段もすごく高いし、リスクはもっと高いのに! 対費用効果で見るとヨーガの方が断然安い。やればやるほど無駄に気持ちよくなったり、元気になったりする点も評価できる。

このワケがわかってコツをつかんだ人は、他者に対して“しあわせ還元活動”をしていかねばならない。そうでないと絶対者ブラフマンに絶対叱られます。

もう一度言います。絶対に、叱られます。

この人が怒ったら相当大変なことが起きるので、重々気をつけて欲しい。私が怒った時みたいに、ものを二階から道路に投げ飛ばすくらいじゃ済まないですよ、ほんとに。

 

かつてヨーガで救われたと思い、このことを人に教えたい!と思ったにもかかわらず、当時今よりもっとずっとおバカさんだった私。数か月前まで毎月決まったものが口座に振り込まれる怠惰な生活を長年甘受していたせいで、「やっぱ色々大変そうだからやめようかな~」と思った。そうしたら酷い目に遭って身ぐるみはがされた。それ以来、ヨーガの神様を怒らせないように、いつでもどこでもヨガヨガ言って生きている。

世のなかには、私にとってのヨーガの神様みたいな”なんらかの力”に魅入られてしまった人が、ちゃんと一定数いる。そういう方に出会ったとき、この世のゆたかさを知って胸が熱くなる。

その人が、もっともっとそのお力を他者に捧げるためにあえて与えられた試練に挫けそうになって、しょんぼり落ち込んだりひとりでヤケ酒飲んだりしていることを知ってしまったら、「なにを言ってるんだあ!」とその背をどやしつけたくなる。でも私は気が小さくてシャイだから、そんなことはできない。だからこっそり氣を送ったりしている。

クライエントさんのなかにも、そんなしょんぼりモードにときどき入り込んでしまうひとがいる。そう、あなたのこと。今「私のことだな…」と思ったでしょう。そうです、ズバリあなたです。

しょんぼりしている場合ではないの。あなたのなかにはいつもいつでも世界で最高の恋人がいて、あなたに力を与えてくれいる。

でも誰でも時々、ついうっかりその感じを忘れてしまうことがある。
だからヨーガがあったり、私みたいな者が必要だったりするんじゃないかな。
ただそれだけだと思う。

 ほら、今、息してるでしょう? 大丈夫だよ。