蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№520 ともだち

人生に付箋をはさむやうに逢ひまた次に逢ふまでの草の葉   大口玲子

 

 

 

12月24日

クリスマスイブらしい。それよりも何よりも、お兄ちゃんの月命日。まだたった二カ月しかたっていないのが信じられない。永遠のような時間が過ぎた気がする。


いつもどおりの平常運転でなにもそれっぽいことはしていないが、JK剣士にはいかにもクリスマスっぽい飾り付きの骨付き肉?を食べさせてみた。私は、“京都宮津明治26年創業飯尾醸造の富士酢”で鶏胸肉を煮たスープを食べた。クリスマスにはまったく関係ないが「富士酢」で煮るとなんでも美味しい。ぜひお試しあれ。

最近「菓子禁」を実践する人が多い我が家なので、当然ながらケーキなどというものを予め準備したりはしない。しかも実のところ、我が家には調味料として砂糖の常備すらない。調理に砂糖を使ったのは、子供にケーキを焼いてあげていた何年も前まで。長女より年上のオーブンが息絶えてからはそれもとんとないので、砂糖が無くても困らないのである。

こういう生活を送っていると、最近のサツマイモは甘すぎていかんとか、この甘酒の甘みはえぐいなどということが体験できてなかなか面白い。ちなみに冬はストーブで小豆を煮て食べるが、このときの甘みはレーズンでつける。驚くほど甘くなるので分量には要注意である。

山あいの町のレッスンから帰ろうとしたらお茶の師匠から電話がかかってきて、「今どこにおる?」とお尋ねがあった。師匠からのお電話は、いつも必ずこのセリフで始まる。このお言葉は直訳すると「いますぐおいで」という意味になる。

仕事に出ていますと申し上げると、やはり予想通り”今すぐ”、子供たちのうちのどちらかを寄越すようにとのこと。我が家から師匠宅までは、スキップしてもたぶん3分くらいである。JK剣士が本気で走れば数十秒であろう。
我が家では複数の者が、先生のところで複数のお稽古をしているので、生活のなかで稽古を最優先してこの場所に住んでいる。3人×お茶かお箏かお花(複数選択可)×週1回もお稽古に行っているからね。いったいどれだけ頻繁にこのお家にお邪魔していることであろうか。あまりにも近いので演奏会が近くなると呼び出され、夜遅くまで追加の稽古をさせられてしまうさせて頂けることもある(下手くそだからしょうがない)。とても便利である。ただしこの家は、すごく古くて死ぬほど寒い。

さて、先生がなんとクリスマスケーキを下さるという。
大人がふたりだけのおうちなのに18cmものホールケーキをお買いになって、1/4しか召し上がられずに我が家に下げ渡されたのだった。さすが、物の買い方が常に豪気な先生らしい。先日も「茶道具で80万円なんて普通」という発言を繰り出し、入門1年から数年の若い方をビビらせていた。いつも小食でらっしゃるのになにゆえ18㎝ものサイズのケーキをお求めになったのであろうか。子供たちにとっては嬉しいことである。もしかしたら「どうせ菊妙(←私のこと)のところは、ケーキも買ってやっておらんのだろう」とお思い下さったのか?!師匠の愛は海よりも深い。

仕事から戻ると、珍しく私の分のケーキを残してくれていた。O先生が下されたバウムクーヘンはほとんど残ってなかったのに、クリスマスだから気を遣ってくれたと見える。しかし残念ながらこんな時間に甘いものを食べると、顔が老けて(法令線が深くなり、口元がブルドックみたいになる)明朝ガッカリすることになるので遠慮しておいた。明日、間違いなく誰かが食べてくれるだろう。

 

 

さて数日前、米子で一番仲良しのヨーガ教師仲間と出会った。
前回会ったのは半年前、6月のこと。彼女もとても忙しい人なのでなかなか会えないが、年に二回ほどは何時間も話をしている。「意見交換会」と言ってもいいくらい突っ込んだ話になるのは、それぞれがヨーガ療法やラージャ・ヨーガを始めとする学びを自分の生活のなかに落とし込んで、生きることを通じて学びを消化しようと苦悩し続けているからだと思う。

この半年間に起こったことをお互いに報告しあった。
彼女は介護施設で施設長という要職についているので、常日頃から人の看取りにあたっている。お兄ちゃんが逝ってしまった話を当然ながらさんざん聞いてもらったが、駆けつけて数日間を共に過ごせたことが、実に素晴らしい体験であったことを改めて認識するようにと促された。でもこのことを「ああ、よかったな」と穏やかな気持ちで振り返るためには、もう少し時間が必要であるとは思う。理性的には、今のような状況のなかで恩寵のような経験であったとは理解している。あくまでも頭では、ということ。

 

半年ぶりに会った私を見て、彼女が「変わったね」という。この夏、自分自身の些細な体調不良(老人性の症状と言われた!)から、中高年期以降の女性の健康について深く考え始めたことでこれまで考えもしなかったことに思い至ったことや、修行そのものに対するアグレッシブな意思も変化を遂げたことを語った。
これまでの私は修行僧のようであったから、生徒さんもついていくのが大変であったろうと思っていたのだと、ずっと一緒にヨーガを学び続けている仲間から言われるのは複雑な気持ちだった。

 

全国各地でヨーガ療法士になるための勉強はできるけれど、その学びの過程で前職を辞し、ヨーガの道で生きることを決めたこともあって、米子で一緒に学んだ仲間たちのなかでは異常かと思うほど熱心に様々なところへ足を伸ばしてきた。3年にわたったアーユルヴェーダの専門家教育を皮切りに、7泊8日の集中内観、ウクライナでのボランティア指導に参加など、ここまでやっている人は本部所属のスタッフですらいない。東京辺りまで行けばそんな奇特な人も必ず何人もいると信じているが、この地では何というか、私は異常な人なのだった。

 

そういう生き方をしていると、ヨーガ仲間でも親しく腹を割って話せる人は減っていってしまう。これはヨーガの世界に限った話でもなく、どの分野でもあることなのだろうと思う。しかもインテグラル理論まで学んでしまったので、ただヨーガに没頭して師匠のことを100%受け容れその言葉通りに働くこともしない。となると、私が信頼しウマが合うと思える教師は、米子では彼女一人。全国的に見ればもうちょっといる。それでも片手に収まるほど。僭越なことだとはわかっているけれど。

 

当時一緒にインストラクターになるための勉強をした約40人のうち、10年が過ぎた現在も資格を維持しているのは私たち二人だけ。彼女は自分の専門分野のなかでヨーガを最大限に応用し、活用してはいるけれど、本職があるから教えてはいない。教師として公に活動しているのは私たったひとり。
ヨガ・インストラクターの資格はバカでも取れる。ものによっては1泊2日で取れる(取得に最低3年もかかるのは、認定ヨーガ療法士だけだと思う)。ヨガ教師に憧れる人も多いだろう。しかし続けていくという面から見れば、実に狭い道だと思う。私がこの道を歩み続けられるのは、支えてくれる多くの方がいて下さるからであり、同時に、絶対者ブラフマンが私をこの道で使い回すと決めたからだ。これからもすべてを明け渡し、許される限りこの道を歩もうと思う。というか歩まないと、すべてをとり上げられるからそんな怖いことはちょっとできない。

 

この仲間も数年後には定年を迎える。以前と考えが変わって、定年を延長して今の職に貢献することは考えていないようだ。この人が教えに回ると、間違いなく素晴らしいことが起こると私は確信している。彼女が定年するまでに、若輩の私ももう少し実力を蓄積して、名実ともにフリーになった彼女と共にヨーガを用いて何ができればいいなと、妄想している。