蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№502 愛を語る踊り

わがこころ君に知らればうつせみの恋の籬よ超えずともよし    伊藤佐千夫

 



12月7日
昨日、無事上京。羽田空港第2ビル内のカフェでブログの仕込みをした後、鎌倉へ向う。「吾妻鏡」が好きなので、鎌倉と修善寺は一度行ってみたいとは思って来た。

「湘南の海を見ながらインテグラル理論を語り合い、ワイン片手にみんなで堕ちていく会 」に参加するため、長谷なる駅まで出向かねばならない。しかしなぜか私は平塚なるところにいた。いったい鎌倉はどこに行ってしまったのであろうか。

ここで私を助けて下さったのは、なぜか静岡で仕事をしているO先生だった。「よっちゃん、ここどこだろう…」というメッセージに素早く反応し、「藤沢か大船で江ノ電に乗り変えなさい」という啓示を与えて下さった。ほんとにすごい。ありがとう!

 

そして江ノ電という、我が鳥取県でいうところのJR境線・鬼太郎電車のようなものに乗り、藤沢~長谷間を移動。ここが湘南かあ、と景色を眺めながら会場に辿り着くことができた。

 

私のことを田舎者だと思っているでしょう。ええ、そうですとも。県外出張するときしか公共交通機関には乗らないし、1時間に一本しか来ない特急列車が信号待ちのために停車してしまう伯耆の国の住民ですもの。外苑前に行こうとして逆方向に行ったりして、上京するたびに「私は今どこにいるのかな?」というメッセージを、誰かに送っている。

 

 

さて、堕ちていく会。
次から次に抜栓されるスパークリング・ワイン。今朝起きたとき、血管をスパークリング・ワインが流れている気がした(二日酔いではありませんが)。
規夫師匠に「鳥取から来たの?!」と、驚いて頂けてすごくしあわせだった。しみじみ来てよかった…。
中級講座のお仲間と師匠、そしてホストのMさん、総勢7名で始まった宴会に、Mさんのお友達やご近所の方も続々と加わり大いに盛り上がった。

 

ダンスが得意なOさんもお誘いしてあったので、酔いに任せて「踊ってください!」と懇願するとお許しが出た。

しかし、随分長いこと私は踊っていない。
手はどっち、脚は右?左?というお恥ずかしい技量なのだが、なにしろOさんは“リードがうまい”と有名な元学生チャンピオン。ちゃんと“踊らせて”くださった。

ラテンダンスです。ルンバ。
ほら、「シャル・ウィ・ダンス?」で竹中直人が踊っていたアレ。「愛を語るように踊りなさい」と以前先生に言われたけれど、どういうことかしらね?

身を委ねて踊らせて頂き(それ以外できないからね)、最後はのけぞってのキメポーズまで。さすが、ダンスの王者はもっていきようが上手い。
周囲の酔っぱらいの歓声をうけ、ものすごくいい気分。もちろんその後、「私も!」という女子が現れたのは想像通り。

 

 

お茶も、人に添うようにものごとを行うが、一定の距離感がある。
茶道にはこの間が大事だと思うが、ダンスでは人と人の間が小さい。この「間が少ない」というところに、非常に重要な学びがあるような気がする。考えれば考えるほど、自分に足りないものばかりのような。


何事も「誰に学ぶか」が大事だと思って来たが、もう一度ダンスをやりたいなと思い、いつも私に美味しいものを食べさせてくれるマダムYに語ったところ、「東京で一流の先生のレッスンを受けてみなさい」と言ってのけてくれた。なるほど、確かに。それいいかも。

やっている活動がトラディショナルに傾きすぎている嫌いがあるので、ここでいっちょラテンダンスをばーん!(この言葉のなかに、いろんな要素が含まれていると思って下さい)と踊れるようになったら、自分のなかのおカタイなにかがぶっ壊れるかもしれない。
大人の女性の真の健康と喜びについて真面目に考え、語っていきたいと思っている今だからこそ、改めて踊ってみたい気がする。

だから、チャンピオンOさんにまた胸をお借りしたい。
と、ここでこっそり呟いておいたらなにかが動くかもしれない。とても楽しみである。

 

 

さて、昨日無事、お酒の力をかりて規夫師匠に相談をすることができた。
先生、私は本が書きたい。
かくかくしかじかで、こういうところに着地させる、そんな本にしたい(まだ秘密)。

「単著でね、いいんじゃない。企画書を書いてごらん、見てあげるから。帯はSさんに書いてもらうといいよね。」とのお言葉。
まだ何も書いてないくせに帯だって…。そしてたぶん私は、調子に乗ってSさんに「ねえ、帯書いてね」と言ってしまうのだろう。

 


ねえ、ヨーガってどういうことなのかな、と聞いて下さった方がある。

皆さんのイメージでは、この言葉にはどういう答えが正解だと思われるだろうか?
怖ろしいほど懐の広い世界なので、正解なんて、実のところない。でもこの答えに自分なりの正解を持っていないと、教師は指導ができない。

だから私の答えは、「一つであることを思い出すこと」。
ここでも度々書いているけれど、私たちはほんらい分かれていない一つの存在だった。
十全に体験を味わい遊ぶために、一つだった私たちは二つに分かれた。

でも記憶喪失になってしまって、自分がひとりぼっちであるように思い怖れながら生きている。この記憶喪失を治すのがヨーガ。だからヨーガをしたら、ああ大丈夫だったんだと思えるようになる。安心感を取り戻して、また積極的に遊べるようになる。

 

たぶん私がこれからご指導させて頂く方々は、何かを成し遂げる過程で心身の不調を抱えてしまった方たちなのであって、これまで町の教室で一緒に楽しく体操していた方々とは、求めるところも、立つところも違ってらっしゃる。

 

そういう方々にヨーガを使って頂くにあたって何より大事なことは、今、無意識に身のうちに抱えてらっしゃる緊張感やこわばりを手放していかれるよう、お手伝いすることなのだと思う。楽になったあとに、「ああ、実はすごく固まっていたんだな」と思えるように。
座禅や瞑想を通じ、努力によって到達するのと同じ境地を、違うルートを通って身体的に感じてもらうこと、それが今の私に為し得る最大のご支援なのではないかと考えている。これはとても大事なことなので、教師である自分自身がしっかり考え抜いて、より精妙ななにかを見出していきたい。



ところで、昨夜のアヤシイ会に遅れて乱入したとき、規夫師匠が開口一番、私の噂について嬉しそうに聞いてこられた。噂の発生源は目の前にいたので、コラコラと叱っておいた。

女性が解放されて心身共に健康と幸福を手にしようとするとき、制度の軛を意識化しておくことは非常に重要である。このことは男性以上に、女性にとっては大事なことと感じている。
なので最近は、機会があれば色んな方に色んなことをネホリハホリ聴いて回っている。これがまた、皆さま色んなことをお話しくださるのです。壺井先生にはつい打ち明け話をしてしまうと、ダルクをはじめ色んなところで言われる。

で、そんな話を伺ったなかでの気付きをここに記していたら、疑惑が生まれたね。

まあいいや。粋な噂はないよりあった方がいいのかも。
だから、Oさん、許してあげる。私にも、秘密くらいあるかもしれないっていうことで。
だから、愛を語る踊りを私に教えてね。