蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№495 あなただけの美しさ

落日のなかを一途に逢ひにゆく矛盾を越えて迫りくる人   辻下俶子

 

 

 

オタクの約束について、先日弟分が教えてくれた。
どなた様かにお誘いを頂いたとき、「行けたら行きます」って言うことがありますよね? あれって、「もし都合が合えばね」という意味で使いませんか? でもたぶん行けないわ、というニュアンスで。
ところがどっこい、オタクの世界では、ほんとのほんとに「行けたら行くね!」という意味なのだそう。オタクさんは義徳に熱いのね。秋葉原はなんだか怖くて大の苦手だったけど、考えを改めてみる!

 

 

今日、某SNSを見ていたら、「Yoga・二の腕」という文字が目に飛び込んできた。その双方に対する意識が高い私は、もちろん見てみたよ。ところがそれは広告で、しかも激しくへんてこりんな広告だった。

 

「30代からの二の腕痩せシェイパー “華奢見せ”するならこれ ながらホットヨガ、筋トレで 楽して細腕がかなう 再入荷決定!」

いろいろと不明である。

そして、たるみが気になるパーツのグラフなどが続いている。
お腹47.2%、二の腕28.6%、そしてふともも、首、背中。
振袖、カバ肩、と哀しい言葉が続く。

この、腕を華奢にするらしいアイテムには、ヨガにいそしむ女性を彷彿とさせる「ヨギー〇」という名称がつけられている。
価格は4800円のところ、今なら三割引き。まあ!3360円!!

 

この広告を見てしまった私は、早速これをO先生にシェアした。
「広いですね、Yoga…」とのお返事。とても上品な表現。そして、どうしていつも私が「こんなのYogaじゃなーい!」と魂の叫びを上げているかわかるよ、と言って下さった。

 

 

この二の腕痩せシェイパーが悪いとは、私は思わない。人間は、どんなきっかけで変容の道に導かれるかわからないから。ただ、これが医師が考案したものとうたっていることは引っかかる。だから凄いのよ、効くのよ!と言われているように感じる。 ほんとかな?これを着れば、望む結果に辿り着けるのかな? 
ではなぜ、クリニックで二の腕痩せの施術を行っているんだろう?


みな、どうしていいのかわからない。
ほんとうに困っている。

例えば、これだけのひとが腰痛で悩んでいるのに、どうしたら腰痛で楽になれるのかは伝わっていかない。ほぼ腰痛と縁を切れた人だっているのに、その人の体験のエッセンスみたいなものは伝わっていかず、一見役に立ちそうな一般論がパッケージ化されてまかり通っていく。

「治る」ということ、そしてそれ以前の「なぜ痛くなったか」ということも、とてもパーソナルなこと。
この世に一つとして同じ腰痛はないし、あなたもたったひとりしかいない。
あなたはあなただけの腰痛に立ち向かっているのに、どこかの腰に役に立ったか立たないかわからない方法を提示され、懸命にそれに取り組むのに救われない。そんなことが起きていることを私もよく知っているから、すごく悔しい。

だから尋ねたい。

そもそもあなたの言う「腰」ってどの部分のことなの? ほんとうに痛いのはどこなの? いつも痛いの? 時々痛むの? どんな動きをしたときに痛くなるの? その痛みはどんな感じなの? どんな色なの? どんな形なの? 
そのことを、目を閉じてちゃんと感じようとしたことがある?
痛むとき、あなたはどんな気持ちになるの? 悲しいの、怖いの? 
いつ、どうやって、自分はだいじょうぶって感じているの?

 


二の腕をなんとかしようとするとき、間違いなく姿勢が大事になる。
猫背の状態で浅い呼吸をしていると、二の腕は弛んでくる。二の腕もだが、脇の上部がダブダブしてくる。そういう状態のときは、たぶんお腹も上手に使えていない可能性が高いし、肩も動きにくくなっているはず。
そして呼吸は浅く、体内では酸素と二酸化炭素のガス比率がおかしなことになっている。要するに過呼吸状態、生体にとっては危機的状況。からだに異変が起こる前に呼吸が乱れると、4000年前から言っている。

何といっても身体はすべて繋がっていて、ひとつとして独立した別の部分なんてない。どこかを動かし、何かをすれば、必ずどこかが影響を受ける。存在って、そういうもの。肉体と、あなたもわかれていない。
ほんとうのこと言うと、からだだけじゃなくて、すべてがそんな風につながっている。あなたが今日こんなつらい思いをすることが、きっとどこかの誰かのためになっているんだよ。きっと、必ず。だからがんばって。でも、あなたも癒されなくては。

 


私だって、かつて肉体重視でYogaに手を出した女。体型が戻りきらない第二子出産後に。だからお腹や二の腕をなんとかしたい気持ちは、痛いほどわかる。うつ症状があったあの頃、甘いものばかり食べていた。身長があるからあまり太って見えないが、顔がアンパンマンみたいになっていたような。

 

幸いなことに、手を出したのが負荷のかかるAsanaのDVDだった。今思うとあれが良かった。15年位前のことなので、本の名前もその先生の名前も忘却の彼方。カナダ在住の日本人インストラクターだった。

ポイントは覚えている。
足首はフレックス、どのポーズでもグッと力を入れた状態で5呼吸キープ。
外から見た形にはこだわらず、自分にとって「キッツイ」状態で負荷をかけキープ。

そのとき呼吸を止めなかったら、そりゃからだは変わっていくよね、と今の自分ならわかる。当時はカラクリこそわからなかったが、「なんかわからんがヨガって凄い…」という思いだけは育った。実際に、身体の感覚や形が変わったから。結果的になんだかんだでこうなっているので、カナダの先生に感謝である。

 

あなたにとって、ちょっと(4割程度)キツイことが大事。キツすぎると変化が起きにくくなる。人と比べられたりするような環境では絶対ダメ。息が止まったらダメ。外形にこだわったらダメ。

大事な変化はわずかずつ起こる。
埃を少しずつ払っていくような感じで。だんだんとなにが問題だったのかが、自分でわかるようになってくる。それに気付いたとき、最初の悩みのことは思い出されもしない。

とまあこんな風に書いても、自分ひとりでやるのは大変。だから最初は先生と一緒に練習して”自分というものに対する勘所”を掴んでいくのだが、最後は自分でやれるようにならなくては、救われない気がする。

 

 

体の症状と向き合っていくとき、身体だけを見ていてはいけない。
心と身体は分かちがたく結びついているし、人が生きている以上、目に見えぬ命そのものが大いなる影響を与えているのだから。

あなたは、毎日どんな生活をしているの? 毎日どんなことを考えているの? つらいことはないの? どんな子供時代だったの? お母さんはどんな人だったの? どんなことを思っていたの?
そういうことをあなたから聴きたい。今のあなたの言葉で聴きたい。
言葉では言えないことを、黙って感じ取りたい。
それができないのに、Yogaをやったことにはならない。そう教わったし、そう考えている。

Yogaは体操ではないし、二の腕を華奢にするためのものでもない。
結果的に身体が美しくなるとしてもそれは目的ではないし、体操したから美しくなるのでは絶対にない。身体を通じ、身体以外のものに働きを委ねるから、美しくなる。
その美しさは、絶対的な自信と言いかえてもいいと思う。他者評価の入りこむ余地のない、私だけの美しさ、そして至福。

Yogaを、生涯かけて行じておられる方をイメージさせる言葉を、そんなアイテムにつけないで欲しいな。