蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№465 限りある私として

いつか手が触れると信じつつ いつも眼が捉えたる光源のあり  萩原慎一

 

 

和歌が好きである。主に近現代のもの。
20代の頃に初めて手にした、俵万智編「あなたと読む恋の歌百首」がそもそもの始まりだったように思う。上皇后美智子さまの日本語に対する感性は実に美しいと思い、御歌集「瀬音」も長く手元に置き慈しんでいる。

 

だからといってまだ出会っていない歌人の作品を探してみたりすることはなかったのだが、この夏に情熱が燃えあがった。ひとがその気持ちを表現するのに、三十一文字という制約のなかで凝縮された表現の方が、自由な言葉よりも鮮やかで鋭く胸に迫るように思えたのだ。でも自分で詠むわけではないから、いつかどこかで誰かが詠み、私たちが今ここで愛誦できるもののなかからシンパシーを感じるものを選び、味わってみている。

 

アンソロジーで読むのがとても好きなので、そういう本を探し求めている。昨日も東京から戻ったその足で書店に向かい、一冊の歌集を手に取った。これはある歌人単独の歌集になる。若い方で、惜しまれて亡くなったという帯の文章も気にかかった。

 

原慎一郎。
1984年生まれ。1997年、男子中学御三家としても知られる武蔵中学校に入学し、野球部に入部。顧問教諭に怒鳴られ萎縮する様子をきっかけに、いじめへと発展し、長期間に渡って行われ続けた。17歳の時、偶然近所の書店にイベントで来ていた歌人俵万智に触発され短歌の創作を始め、様々なコンクールに応募を開始すると同時に頭角を表す。
2017年に歌集『滑走路』の出版が決まり、5月に入稿。長期間いじめを受けてきたことに起因する精神的な不調が続いており、2017年6月8日に自死した。享年33歳。
出版間近であった歌集は遺族によって引き継がれ、2017年12月26日に歌集『滑走路』が角川書店より発売された。

 

私より15歳若い才能ある歌人。歌集からは、もがき苦しみつつ懸命に生き、人を愛し、世界の美しさに打たれ、それを表現してきた軌跡が読み取れる。

 

冒頭に紹介したものは、人が心の中に憧れをもちながら一歩ずつ前に進もうとする様子を美しく表現してくれていると感じる。私も確かに、何らかの光源を捉えているからこそ堪えられることがある。共に何かをしたいと感じる人々も、同じ光を見ることができているのだと思える。

 

今このときに、私の心のなかのフックにかかったものをいくつかここに書き留めておきたい。

 

遠くからみてもあなたとわかるのはあなたがあなたしかいないから 

君からのエールはつまり人生を走り続けるためのガソリン

恋をすることになるのだ この夏に出逢いたかったひとに出逢って

きみといる夏の時間は愛しくて仕事だということを忘れる

癒えることなきその傷が癒えるまで癒えるその日を信じて生きよ

 

 

かつて兄弟子に、「たくさん遊ばなければダメだよ、勉強を必死にして良いヨガの先生になれるんじゃないんだよ。お茶やお箏で楽しく遊ぶからいい仕事ができるんだよ」と言われたことがある。その意味を、今も十分に理解できているのかどうかはわからないが、芸の世界から離れず今ここにいることと、誰かの言葉に心がしんとすること、そして仕事を通じて人に寄り添いたいという思いは繋がっているように思える。

 

人はいつか必ず死ぬ。私たちは一度も生まれたこともなければ死ぬこともないと聖典は教えるけれども、私は名前のある有限の自分自身として誰かに触れ、そして愛したいと切望する。聖典を信じていると心は強くなるのだろうか(そう教えられている)。個性のある誰かを愛そうとすると、心は傷つき死ぬことがあると思う。それでもいいのではないか。

だから死んでほしくなかった。
兄のような人にも、歌だけを通じて触れ合うこの15歳年下の歌人にも。 

 

歌集 滑走路 (角川文庫)

歌集 滑走路 (角川文庫)

 

 

あなたと読む恋の歌百首 (文春文庫)

あなたと読む恋の歌百首 (文春文庫)

  • 作者:俵 万智
  • 発売日: 2005/12/06
  • メディア: 文庫
 

 

瀬音―皇后陛下御歌集

瀬音―皇后陛下御歌集