蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№443 出会いに揺さぶられる

「『私はブラフマンを知っている』という誤った観念を捨てて、アートマンの見は不断であり、行為主体とはならない、と知っているもの、その人だけが真実にアートマンを知っており、他のものはそうではない。」 ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 12-13



人は別れ、そして出会う。

6歳で生まれた土地を離れてから、いくつかの場所を転々としてきた。
土地土地によって、景色も空気も、味も、もちろん人の気質も違う。
山はどこにでもあるけれども、目に見える山並みも異なる。私は若く感受性の高い時期を九州で過ごしたので、あの山並みは見ただけでわかると思っている。

生まれて初めての勤務先が、その任務特性的に機動性の高いところだったので、1日で日本の北から南まで移動したこともある。例えば、九州に行こうとしているのに、北海道、青森、埼玉経由であるとか。
そういうことを経験すると、ある1日が、この国の中でどんなにその在り様が異なるかがわかる。私の当たり前は、どこかでは非常識となる。

そういう感覚を理解して、今いるここの、今のこの年齢や経験の自分の基準や考えに対して、常に柔軟性を持って生きていければいい。
今の自分の考えに「それウソかもしれないし」とツッコミを入れてやれるような、客観性をもっていたい。

自分の足場や基準値が大きく揺さぶられるのは環境要因も大きいけれども、人と出会い、触れ合うことがもっともはげしい変動を与えてくれる。

慣れ親しんだ誰かとの別れは、その記憶が穏やかに残り続けることでいつまでも自分自身に滋養を与えてくれるようなものもあるし、逆に、思い出のすべてが塵になってしまうような別れもあるだろう。哀しみのあとで、記憶が浄化されるような別れもある。

転々としながら生きてきたこともあって、また自分自身の生き方から、私は多くの別れを経験してきた。
距離が人を隔てるとは思っていない。
意思さえあれば、時間や距離は軽々と飛び越えることができる。でも人は山ではないのに、まるで山のように動かない人もいる。その場合は、関係性を構築しているどちらかがそれをひょいと乗り越える軽やかさを持たねばならない。

乗り越えるためには、乗り越えたいと思う心が必要で、ということはやはり人を隔てるのは距離ではなく心である。同時に、心があっても時やタイミングをどうしても乗り越えられない場合がある。
そういうときに、この世は人の力では何ともしようがないものによって動かされているのだなと改めて感じる。

 

基本的に、人と人の関係性に対してペシミスティックな見方が私の根本にある。
これまでの生き方だけでなく、親の世界観も私に影響を与えている。

人は簡単にわかれてしまうことがある。
誰にでもいつか必ず死がやってきて、どんなに愛しいひととも別れる日がやってくるだろうに、それでも人は生きてわかれる。生きていることに対する傲慢さのように。

ほんとうは、私たちは一瞬たりともわかれていない。
そもそも、わかれることのできる私というものが存在しない。
それは理解しているはずなのに、誰かとの別れを寂しいと思い、その心の動きから言葉や音楽が生まれる。

だから新しい出会いに憶病にならず、その出会いから関係性が深まっていくことや、その出会いによって自分自身が大きく根底から揺さぶられて何かが壊れるような怖れを抱いたとしても、壊れる自分なんてないという正気を取り戻して、揺れる自己存在を見つめていられる視点を養っていきたい。


逆らえぬ感情には従うがいい
それがつかの間のものであろうとも
手をとらずにいられぬときには手をとり
目の前の人の目の中に覗くがいい ……

 (谷川俊太郎詩集・手紙「水脈」より )