蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№359 私が決める

「憎むこともなく期待することもない(カルマ・ヨーガ)行者は、常に行為を放棄した者と理解されるべきである。実に二極の対立感情を克服した者は、容易に束縛から解放されるのだ。」 バガヴァッド・ギーターⅤ-3

 

 

他者との関わり合い――とくに精神的な関わり合いは――は、私たちの生活のほとんど一瞬ごとに、ほとんど意識されないまま、私たちの生物としての機能に無数の影響を及ぼしている

 

健康な生活を送るためには、私たちの精神の働き、周囲の感情的な状況とからだの機能との関係における複雑なバランスを理解することが不可欠だ。

 

医学ではふつう、ストレスとは非常に厄介ではあるが単独の出来事、たとえば失業や結婚生活の破綻、大切な人の死などの出来事だと考えられている。
確かにこうした大事件は多くの人にとってストレスの原因になり得るが、もっと目立たない、しかしからだにもっと長期的な害をあたえるような日常的なストレスがある。

心のなかから生じたストレスは、外からはまったく正常に見せかけながら、からだに悪影響を与える。

 

心のなかのストレスに幼いころから慣れてしまった人々は、アドレナリンやストレスホルモンへの嗜癖が身についてしまうと、H・セリエは考えた。

(*ハンス・セリエ:ストレス学説を唱え、ストレッサーの生体反応を明らかにした生理学者

セリエは実験で観察した身体的変化を表現するに相応しい言葉を探していて、「たまたまストレスという言葉を思いついた。それは昔から日常的に使われていた言葉で、特に工学関係では抵抗に対して作用する力を意味していた」。

引っ張られて伸びた輪ゴムに起こる変化や、荷重をかけられた鋼鉄のバネに起こる変化を例にあげている。こうした変化には肉眼で見えるものもあれば、顕微鏡で見なければ分からないものもある。

ハンスのあげた例は、重要なポイントを分かりやすく示している。
ある有機体に課せられた要求が、その有機体が通常満たすことのできる能力を超えているとき、過酷なストレスが発生するということである。
輪ゴムなら切れてしまう。鋼鉄のバネなら変形してしまう。

ストレス反応は、感染や負傷によってからだがダメージを受けたときに起こる。
心理的なトラウマによっても、そうしたトラウマを負う恐れがあると感じただけでも――それが単に想像に過ぎなくても――ストレス反応は誘発される。
たとえ本人が「良いストレス」だと信じているときでも起こりうる。

 

ストレス体験には3つの構成要素がある。
1 出来事:肉体的でも精神的でも、その生物が脅威と感じること(ストレッサー)

2 解釈システム:人間の場合は神経系、とくに脳

3 ストレス反応:知覚された脅威に対する生理面、行動面での適応反応

 

何をストレッサーとみなすかは、出来事の意味を解釈する処理システム次第となる。
ストレス刺激を受ける人物の性格と、現在の精神状況も大きく影響する。

 

ストレッサーとストレス反応との関係は、一律でも普遍的でもない。
また、ストレス体験はどれも独自のもので、今現在のことだが、過去からの余韻をひきずっていることがある。

各人の気質と、それ以上に各人の人生経験によって、ストレスの受け取り方が異なってくるのである。

ラージャ・ヨーガの瞑想では、過去の振り返りを行う。
過去の振り返りを「現在」行うことで、出来事に対する自分のストレス反応を知り、この先の反応をどのようなものに変えていくかを改めて決断していく

ヨーガは徹底的に、自分自身の調査活動である。
私は私というものをよく理解した上で、今この瞬間、この様な在りようである自分自身を全面的に愛し受け容れる。

そして同時に、これから先も死ぬまで変化を受け容れ、今日の私を微笑ましく振り返ることのできる度量を年々育てていきたいと願っている。
その取り組みを「人生」という長いスパンで捉えているので、焦る必要がない。

カラダがやわらかくなるのではない。
心がやわらかくなることが、ヨーガの効能である。