蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№327 現れのひとつ

 

久々に再会した方が、「今は陰謀論を信じている」と言った。
常々、その方が語ることに刺激を受けてきたので、これは数冊本でも読んでみるかなと思ったが、なかなかこれというものに出会うことができなかった。これは数か月前の話。

今、感染症の影響で、様々な事が大いに変化を遂げつつあるなか、自分自身ものの見方が揺さぶられて、既存の枠組みが確固たるものではないことを確信しつつある。
過去に「これは読んでおいた方がいい」と言われ背伸びして読んだ書籍の中で出会った事々が、今、現に目の前で起きているような気がする。

私たちが携わる分野は、オルタナティブメディスンと呼ばれる。
ナチュラルでなんだかよさげに聴こえるだろうか? でも、オルタナティブは何かの代わりということだから、本当はこんな名称で呼ばれたくない。

これまで知らなかったのだが、報道の世界にもオルタナティブと呼ばれる人たちがいるそうだ。この世界は、平凡に暮らす私たちがほんとうに知りたい情報が平気で消されたりするところだった。

この数日、色んなことを自分で調べてみた。きっかけはある人の言葉だったり、また別の人が教えてくれた映画だったりする。
とんでもない!と思うことから、これはあり得るかも…と思うことまで、インターネットの広大な海の中の、日本語で入手できる狭い世界で、私からするとアッと驚くようなことが語られており、今私が知ってアッ!と言っていることを数年前から語っている人もいる。

すべてのことに、割合は違えど真実が含まれている。答えがないことに対して、私たちはどのように自分の態度を決めていけば良いのであろうか。

昨晩は、この世界で自分ができることが一瞬見えなくなったような気がしたのだが、今日は世界の枠組みが揺らいで見えたことに感謝している。きっとこれは瞑想みたいなものなんだ。これまでまったく見えなかったものが、目の前に立ち現れてくるという経験は。

明日のオンラインでのレッスンのために、ウィルバーの「存在することのシンプルな感覚」を取り出して読んでその文章に癒され、今こういう時だからこそ、私は非二元を大事にしたいと強く感じた。

 

常に、既に現前しているのだから、この数日に私が目にしたもの、聞いたものもスピリットの現れの一つなんだと、そう思うこととそれを伝えることしか、私にはできない。
だからどうしても世界に向けて語りたいことを、淡々と語っていくしかない。決して出会うことのないひとが、たったひとりだけでも聴いていてくれるかもしれないと信じて。


「冷たい水晶のような透明な夜、月が静かに大地を照らす。そこにいるものに、すべては遊びであることを思い出させるために。月の光が眠っているハートの夢に火をつける。そして、夜の深みのなかから、あなたを起こそうとする。あなたは、もっとも単純な祈りに答える。あなたは、今、ここに自分を見出し、いったい、すべてにどんな意味があるのかを考える。その時、あなたは、気が付く。そして、すべては解きほぐされる。やがて、あなたは月として身を起こし、月の夢を自分の心のなかで歌う。あなたは大地として身を起こし、その祝福されるべき住民たちに栄光を与える。やがてあなたは太陽それ自身として身を起こす。無限に輝いて、あまりにも明白な太陽として。この原初の純粋な「一味(ワン・テイスト)」に始まりはなく、終わりもない。入り口もなければ、出口もない。不生不滅。すべてはただあるがままである。はるかに響く滝の音だけが残って、この物語を語る。この水晶のように冷たく、透明な夜に、かくも美しい月の光を浴びて歌う滝の音が、すべては、あるがまま、あるがままと語る。
 偉大な禅の老師の法常が死ぬ時、リスが屋根の上で鳴いた。老師は言った。
『まさにこれである、それ以外のものではない。』」

―「存在することのシンプルな感覚」第9章より引用
 ケン・ウィルバー/松永太郎訳 春秋社2005