蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№315 見えないところの意識的な動き

コロナの関連で県外でのセミナー等はことごとく延期になっているため、先日はZOOMを用いた遠隔でのレッスンを試みたところ、ポイントを絞って指導することで、十分に効果を出せるという感触を得た。メッセンジャー等を利用して対話のフォローを密にすることで、実習者が体感できる変化も生じている。生徒さんに言語化を行って頂く事で、むしろ対面・単発のレッスンよりも有効なように感じる。
ただしこの言語によるフォローが、受講者・指導者共にハードルが高いかもしれないので、更なる工夫が必要かもしれない。

睡眠の質を上げ、リラクゼーションの感覚を体得することで、免疫力を上げることにもつながる。
ヨーガの動きは、目に見える部分以上の精妙なレベルにも働きかけることができるので、今のような状況だからこそ、生命の力を活性化していく活動を積極的に行って欲しい。指導者側としても、様々な伝達・指導方法を試行する努力が必要と思う。

さて、以前、アサナ(体操)しか教えていなかった頃は、毎日2時間から3時間も体操していた。その当時は体が面白いほど動いた。振り返るに、その頃は痛みを抱えて教室にやって来る生徒さんのお苦しみを深く理解できていなかったと思うし、多く動かなければ固くなるような体の使い方をしていたことが分かる。

「多く動かなければ固くなるような体の使い方」とは、外側の大きな筋群に頼る動き方であって、スポーツ選手の方にはそのような方が多いような気がする。けがや痛みで悩んでいる人には、特に当てはまるようだ。事実、私も過伸展で体を傷めることがあった。これは理学療法士の大石先生とのコラボにより理解し得たことで、先生には深く感謝している。

この度中殿筋を傷めてからは、体表面から触れることが難しい身体機能を内面から意識し、仰向けの休めの姿勢(シャーバアーサナ)のまま、肩甲骨周辺の筋肉と骨盤内の筋肉を対角線上で連動させて動かすような運動を行っている。ハンカチやタオルを洗濯した後、斜めに引っ張ってしわを伸ばすことと似ている。

部分的に体のどこかが固くなり拘縮が起きると、全体のバランスが崩れ症状が生まれる。固くなっているところが悪い訳ではない。結果的にそこに負担がかかったということなのであって、痛みや症状が出たときに、それを良い契機としてメンテナンスに繋げていくことが重要だ。

こういった静かな動きは、傍から見ていると寝ているだけに見えるかもしれないが、意識化の訓練にもなるし、他者の手を借りる施術で動かすようなところを自力でほぐすことができる。その部分で滞っている“何か”のバランスを調える感覚である。

いつもお世話になっている柔道整復師の先生はヨーガの先輩でもあるが、ヨーガを始めて間もない頃、施術中に「関節を通るプラーナの流れを意識するように」と指示を出されて、まったく意味が分からなかったことを思い出す。今はこれが理解できる。外側のカタチを気にするような体操から、内的なものを変化・変容させる動きへ、少しは進歩したのだろうか。

この内的な感覚について指導するのはとても難しいので、まず感じることを十分に学んで頂かねばと感じている。この感覚をつかむためには、呼吸の意識化の練習が役に立つ。
次回はその話を。