蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№286 「ブッダ」再読

早朝、襖の破壊に高度な技術力を発揮する我が家の猫・あんこちゃん(3歳サビ猫)が、襖をカリカリと爪でひっかく音がしたため、飛び起きて襖をあけて睨み合う、ということが三度にわたって繰り返された。

年末にようやく、大穴を修繕したところなのでまたやられてはかなわん。
こちらのアンテナも活性化しているので「カリ…」という音で、覚醒する。
さすがに三度も起きると、夢は忘れてしまう。残念。
ちなみに、あんこちゃん対策に衝立のようなものは置いてあるのだが、あまり役に立っていない。

さて、今日は久々に手塚治虫の「ブッダ」を読んだ。

ヨーガの勉強をする過程で、「お釈迦様もヨーガをやっていた」ということを聞いた。
当時の修行と言えば、やはりヨーガだったのか。
がしかし、お釈迦様は、ヨーガという方法を途中で捨てたわけだ。

今回読んでいて、お釈迦様が、これまでの修行法に葛藤を覚え、歩む道を変更しようとする時、それまで所属していた集団の人たちに色んなことを言われてしまうことがとても辛く感じた。
自分自身が、同じように、既存の勉強法に対して変化を求めているからなのかもしれない。

この本には絶対者ブラフマンが登場して、お釈迦様に色々と智慧を授けてくれるので、ヨーガを学んで来た私にも受け入れやすい。
こういう解釈でブッダの評伝を描ける手塚治虫は、やはり偉大だなあと思う。
とても自由だ。