蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№243 「自助のための他助」

「蛮行のヨーロッパ」を読み進めている。今は214頁。

「飢餓は戦争のまさに直後において最も困難かつ危急の問題の一つだった。連合国軍は(略)食料配分を彼らの最優先事項とした。だが、最も啓蒙された政治家や行政官でさえ、食料を純粋に物理的な要求と見なすきらいがあった。食料には精神的な次元も属していることを悟るのは、飢えに苦しむ人々と直に向き合った最前線の人々に委ねられていたのである。」81頁

近頃、ファスティングが流行っているようだ。
断食は精神修行の側面が強いので、病院で断食療法(東北大学方式、というのがあるそうだ。)を施すと、家族病理などが噴き出てくると習ったことがある。
この、食料には精神的な次元も属し、という言葉に、断食療法について学んだ時のことを思い返した。

「国際救済復興機関、またの名をUNRRA。(略)UNRRAのエトスの中心にあるのはDP(*避難者)には食料や避難所、医療処置だけではなく、カウンセリングや教育、レクリエーション、さらには政治活動の機会さえもが与えられねばならないという思想だった。…このような活動が一新された自尊の念を与えることで、彼らを人間として再建するであろうことが期待されていたのである。」183頁

もの知らずな私は、UNRRAのことを知らなかった。
当初、連合軍が避難者たちのケアを担当していたが、深く傷ついた人々の世話を軍隊方式で行えば、新たな心の傷を作ることにもなっただろう。
UNNRAは上記のような思想で、「自助のための他助」というプログラムを進めたという。この「自助のための他助」という言葉がとてもいいなあと思った。私たちが行う仕事の多くは、こういう側面を持っている。


さて、先程ちょっと不快なことがあった。
私は陶器がとても好きなので、実家から香蘭社深川製磁の器を貰い受けてきた。ある訳があってこの度譲り受けたものだった。そのうちの一つのカップを、私の置き場所が悪かったために、娘が割ってしまったのだった。
物が壊れるのは仕様がないことであるし、金継ぎなどで修繕することも出来るのでいいのだが、割れた器が黙って捨てられていたのだ。
ふと気づいて新聞紙を開いてみると、香蘭社カップだったので「なんだこれはー!」ということで騒ぎになった。

そんなに大事なものと思わなかったから別にいいと思った、ということだったが、この子には若い頃から茶道も学ばせていることもあり、母はこれではイカンと思った。いや、こんな性格だからこそせめてもお茶をさせておいて良かったのか。
子育てというのは難しい。

我が家で器が割れる時、なぜか必ず名のある窯元のものである。そんなに高価なものではなく、量産品でも愛着は湧くものだ。なぜか100均のお皿は割れない。

娘と器と、双方のことでテンション下がり目である。
今年の年末は、金継ぎに挑戦して修繕しまくろう。