蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№147 激励

昨晩、とても楽しい会が催され、たくさん笑って帰宅したところ。

娘が所属する中学女子剣道部の保護者さんが、来週、大きな大会に出場する娘のために壮行会をひらいて下さったのだ。いつも遠征の送迎でお世話下さり、ご自身も剣道をされるお父さんの企画で、大いに食べ、呑んで、笑った。

「お母さん!正直、どんな気分でしたか?」
と準優勝の時の気持ちを尋ねられたが、娘の覚悟のほどを知って、親として自分も覚悟を決めなきゃな、と思ったというのが正直なところ。

これまで、仕事優先であまり試合応援にも行かなかった。試合の録画もしてこなかった。が、これはイカンと猛省した。

個人戦での勝利だったので、この先、1人で参加する大会もいくつかある。そんな時に親の姿もないではさすがに不憫でもあるし、大事な大会前やスランプの時にはとことん話し合ってきただけに、大舞台で傍にいてやりたいという思いもある。

で、中国大会を理由に休んだところ、新しく始めた仕事でさっそく降格になった。

「中国大会なんて。オリンピックにでも出るんか。」との言葉を耳にした時には、一瞬思考停止した。

ちなみに私はスポーツ観戦の趣味がない。オリンピックも見ない。当然、来年ある例の催しも一切キョーミなし。
オリンピックだろうが何だろうが、我が子の悲願の全中を前にしては、霞む。
でも、誰かが何かを大事に思う気持ちは、尊重したいと思う。

大きな夢に乗っかるのは、気持ちのいいものだ。
馬鹿な私はうっかり乗っかってしまったものの、やたらと語感のいいその夢の裏側の、今にも破綻を来しそうな綻びを見てしまった。

美しい夢を語りながら、自分の価値観にそぐわないものを排除しようとするその心に肝が冷えた。
「第2層かと思ったらブルーだった」という表現は、意識の発達について関心のある方なら分かって下さるかと思う。見極めのつかなかった私の目について、お叱りを受けそうだ。いわゆる「前超の虚偽」?

新しい環境で新しい仕事をし始めたのと時を同じくして、インテグラル理論について改めて勉強をしている訳だが、生きていて生じる事々はすべて分かち難く絡み合っているのだなあとつくづく思わされる。自分の日々で起こることが、まるで副読本ででもあるかのような展開だからだ。

この世に生きる各人が、それぞれ多種多様な世界観を持っている。
そのどれも間違っていないし、同時に部分的にしか正しくない。

自分の見方がある意味偏っており、一理はあるが、いいとこ一理しかないと認めるのは難しいことだ。
それでも私は、自分の見方が常に一面的であり、他方から見た時に間違っている可能性のあることを受け入れて生きたいし、同時に、自分のその見方も尊重したい。受け入れ難い他者の見方をも尊重したい。

こんな時にはバガヴァット・ギーターが効く。
考えたって分かんないんだから、結果に対するこだわりは放棄してただ行為せよ。
行為を神に捧げよ。

初めての大舞台を前に葛藤する娘に、バガヴァット・ギーターの教えを説く。
結果に拘泥するな。ただやることをやれ。

大きな夢ではない、「確かな夢」というものを探して見てみたい、そんなことを思っている今日。