蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№138 成長と言葉

子供が幼い頃にインテグラル理論やヨーガに出会って、子育てに関する考え方も少しづつ変化をして今に至る。
今は「太陽方式」でなければ人は育たたないという信念を持っているので、叱ったりすることはほとんどなくなった。安全に関わることだけは揺るがせにせず断固とした態度で、後は、今取り組んでいることを最低でも10年、可能であれば一生の取り組みとすること、師匠から与えられた課題には挑戦することを方針として子育てをしている。

それぞれの取り組みごとも、15年、8年ともなってくると、親の方が教えられることが多い。殊に、親がやったことのない活動に取り組んでいる子の頑張りには、何のアドバイスも出来ないこともあって頭が下がる。

「全国大会出場」という目標を小学生の時から掲げてきた子を持っているのだが、思いはあれど現実には実力が伴わないという時を長く過ごしてきた。
憧れを持って始め、偉大な選手に対するリスペクトも半端ない。思いが強い分、思うようには動けない自分に苛立ち、悔しさから涙することも多かった。

人が繋いで下さったご縁があり、「このような気持ちを持っている子は必ず強くなる」と言って下さる指導者の方にお預けして3年が経った。「預けてくれれば必ず強くします」と言い切ることのできる、若くて精力的な指導者の方だ。

指導を受け始めて、まずは細かい癖の修正から始まり、できていると思ってきたことについて指摘を受ける日々は、心が折れそうになったろうと思う。
次には、厳しい稽古をやり通すための食事量が受け付けられない。どんどん痩せやつれていく様子を見て、親としても「食べろ」と迫る、気持ちと裏腹に体が受け付けない子の方は「食べられん」とキレる。家庭でも激しくやり合った。

強い先輩方に連れられて、1年生の時から全国大会を経験した。先輩に貢献したいとの思いが強かったらしく、団体戦では勝てるようになった。しかし先輩方が引退され一人になったとき、自分のために闘志を燃やせないという現実に立ち向かうことになった。

結果として、この度、この子は個人準優勝を遂げることができた。
ここに至るまでにどのような取り組みを個人として行ってきたかは、私たちも大いに教えられることがあると思い、今日はこのことをテーマに取り上げた。

とにかくこの子は言葉に対する感受性が強く、考えたことをよく話して聴かせてくれた。
強い先輩の言動を観察し、自分なりに分析し考えをまとめた上で「王者とはこういう人だ」という話をよくしてくれた。常々このことについて考えているらしく、修正されたり、新しい要素が付け加えられたりする。考えには根拠があり、それについて説明をすることができた。
タイトルを保有する強い先輩方が周囲においでになることは、素晴らしい刺激になった。環境も間違いなく大事だ。

最終的に入賞を果たした時、「人がくれたアドバイスには、四の五の言わずに従ってみること」「応援してくれる人のために勝つこと」が大事だったと聴かせてくれた。

2年前の大会前に、セレモニストのちゃっきりさんが「試合場と仲良くなれ。道場の床に触れて、可能ならば大の字に横たわって、会場と仲良くなってから試合に臨んでご覧」と言って下さったことあるのだが、やってみたことはなかった。
この度、初めてそれを実行してみたそうだ。素直に人の言葉に従うと、そこに安心感が生じるのだと思う。

人の活動は、自分以外の人を幸せにするためにあるのだろう。
自分というものが拡大していき、すべてを我がものとしてそこに立つとき、何かが力を与えてくれるのかもしれない。

理論で学んで来たことを、目の前で見せて貰ったことに感謝をしている。
全国の夢を果たしたのだから、次はどんな夢で人を幸せにするのか、新しい言葉を自分の中に紡ぎ出さなければならない。
頑張れ。