蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№129 お道具

昨日、数年ぶりのゼミナール初回講義を受講し、この1年で様々な事を経験して打ちのめされ、退行してしまっているという感覚を覚え、朝方からあれこれと考えている。

どうにも動きが取れなかった時分に、もっと言葉を書き連ねることを必死になってやっておくべきだったとか、鈴木先生や中野先生に早く頼るべきだったなどと、今更考えても仕様が無いことをあれこれ思いつつ書く日記の文字が、だんだん小さくなっていくのに気付き、フッと笑いが出る。ジタバタすることも、停滞することも修行のうち。それを信じていなければ。

発達は階段状ではなく、波のように流動的であるというから、小波であったり引き潮であったりする時にも、波でないことはないのだから、波としての存在を確かに感じながら、淡々として在りたい。
バガヴァット・ギーターや般若心経、三祖信心銘に記されていることは、発達のための具体的な方法論なのかなと思う。

さて、話は変わって、今日はお茶絡みのことについて。
先週、米子高島屋美術画廊に、黒田正玄さんがおいでになられた。
実は私はこのことを知らず、師匠に促されてご挨拶に上がらせて頂いた。

黒田正玄さんは、千家十職として竹細工・柄杓師をつとめるお方だ。
1967年生まれ、2014年に14代を襲名なさった黒田家初の女性当主でらっしゃる。お若い方なので、これからどんどん素晴らしいお作を作っていかれるのだと思うと、ワクワクしてしまう。

作家さんと直接お言葉を交わすことは、茶人の卵にとって非常に重要な学びとなる。
十職の皆様は、もちろん私のようなものにとっては雲の上の存在なのだが、何方さまも腰低く、気さくにお話下さることに、喜びと共に驚かされる。

正玄さんにお目に掛かるのは2年前の京都以来。凛とした素敵な女性だ。
何気なくお話させて頂くときと、お作を前にしてお話なさる時の目の表情が違われる様子に、黒田家の当代さんとしての矜持を垣間見る思いで、こちらまで背筋が伸びるようだった。

表千家の猶有斎宗匠は昨年15代を襲名なさったが、それを記念するお好みもの展がこの秋開催されるという耳より情報と、お家元宗匠がいらっしゃる場所とタイミングをお知らせくださったので、一代一度限りのまたとない催しに、師匠のお供をして足を運びたいと思う。

作家さんといえば、富山・須山窯の須山昇華先生が、この度日本橋高島屋デビューをなさり、大変なご好評を博されたそうだ。
先生の大ファンの一人である私も、このことをお聞きしてとても嬉しく思っている。

茶は、最低限のお道具がなければすることができない。
お道具を揃えていくには一代では足りないそうだ。
今生でどれだけの道具を調えられるかわからないが、手にした道具は人よりも長い命を保つのだから、「惚れてしまう」お道具に出会い、ご縁を頂き、更には子供たちがそれを受け継いでくれればいいなと思う。
お道具に来て頂けるように、しっかり働かなくては…