蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№103 2時間経過!

4月29日分

28日夜は、大のお気に入りの松江市のCAFFE VITA  http://www.caffe-vita.com/ にて開催された、musiqman Jr.さんのLIVEに参加した。マスターの門脇さんが三年前に出会って惚れ込んだとのこと。友人数名とど真ん前かぶりつきの席で満喫させて貰った。リクエストのジャミロクワイも聴かせて頂き、CDには大好きな ”Just two of us" が収録されていて大満足!来年もぜひ来てほしいなぁ
https://musiqmanjr.com/

 
そして29日は朝8時から12時まで、東京・町田でのラージャ・ヨーガ行と「ブラフマ・スートラ」講義のライブ配信を受けて自宅でヨーガ修行。
1時間の瞑想を行っている間にパソコンが休眠モードに入っており、「今日は長い!もう無理だ」と思って目を開けたら、既に2時間ほどが経過してしまっていた。瞑想解説とアサナの前半が抜けてしまって、がっかり。約2時間も座れたことは嬉しかったけれど。

以下、この度の行における気付き等々を記録しておく。
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「困ったときの智慧を、俗世に合わせるようにして学んでいるかどうか」
状況依存 ~(自分の生き方で)体の中に炎症を引き起こしている
眼前に繰り広げられる状況に依存
周りの人も、そんなに賢くない。怒ったってしょうがない。
塀の中に収容されてからでは遅い
何をどういう風に判断しなくてはいけないのかを知る
私たちもいつも問題を抱えるから、同じ

『チャーンドーギヤ・ウパニシャッドⅠ-1-3などの種々のウパニシャッドは、種々の智慧は単に讃えられるべきではなく、瞑想されねばならないと教示している』

『お前にとって行為に対する疑惑あるいは行状に対する疑惑が存在するならば、その事柄において判断力のある、法を愛し、経験豊かで、資格のある、しかも優しいバラモンが存在すべきである。その事柄において彼らが行動するように、その事柄においてお前もそのように行動すべきである。』

儀礼に頼らず、瞑想を施す
聖音の意味するものを大切にして瞑想を施せ(オームは応諾の意味)
意味も分からずマントラ唱えるな

「まず応諾してから(まずは全面的に受け入れる)それから冷静に判断する
ということが、上手に出来ているかどうか」