蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№97 膿を出しているところ

この度の学会の講演で、慧心師が言われた言葉についてここ数日考えている。
「皆、誤解しているようだけど、歓喜鞘(アーナンダマヤ・コーシャ)は過去の膿が噴き出るところでもあるんだからね」

至福の鞘と言われる歓喜鞘には、心素と我執もぶら下がっている。
過去の記憶と「我」という意識が絡みついて、時々とんでもないことが起こる。歓喜鞘は「なにか大きなもの」とも繋がっているところなので、個人的・内的な事象としては現れないように思う。周囲に生きる人や環境とも関わり合って、起こるべくして物事が生じる。長年かけて貯めてきた心の膿なので、そうそう簡単にきれいになりはしない。いったん「浄化された!」なんて思っていても、もっと深い層に沈着しているものが時満ちれば浮き上がってくるものだ。浮き上がってきた時には再度苦しむことになるのだが、これもまた浄化の一過程なのだと思って、焦らずそこに留まることが修行になるだろう。


さて、学会参加中に、講演を聴きながらAmazonで本を注文することがある。そういう講演は、間違いなく面白い講演だ(そもそも、面白くなかったら会場を出ている)。
この度、熊野先生・久我谷先生のパネルディスカッションを伺いながら注文した本が届いた。

久我谷先生の率直なご意見にとても好感が持てたので、ご本を読んでみようかとも思ったが、ヨーガを学んでいる者には初歩的すぎるように感じ、翻訳なさった書籍を選んでみた。依存症治療を専門にしておられるジャドソン・ブルワー氏のもので、DARC指導にも役立ちそうだ。「タバコは吸ったことがありませんが、他の依存症はたくさん抱えています。」という言葉がいい。私も同じ。うまく生きることができず、苦しんでばかりだからこそ、ヨーガでも修行しないとてもじゃないがやっていけないんです、ということ。
先生って、一番苦悩している人かもしれない。かつて苦悩して今は完全に楽になりました、という境地に至るには何歳になればいいのか。そもそもそういう年の取り方ができるかどうかが問題。修行の道を歩むとき、取り組みのための時間はできるだけ長い方がいいような気がするので、健康に気を配りたくなるのかもしれない。


もう一冊は、熊野先生が「翻訳でも原書でも、何度も繰り返し読んだ」と仰るラリー・ローゼンバーグ氏の本で、先生が愛読されたのがこの本かはどうか分からないのだが、2冊しか翻訳されていないので1/2の確率で当たっているはず。
「僕は本は精読するほうなので、繰り返し読むなんてことはほとんどないのですが、これは何度も読んだ、英語の本でも繰り返し読んだ」と仰る、先生の実に幸せそうなお顔を思い出す。そんな本を持てていることは、間違いなく人生の幸せのひとつ。

 

〈目覚め〉への3つのステップ: マインドフルネスを生活に生かす実践

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あなたの脳は変えられる 「やめられない! 」の神経ループから抜け出す方法

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一息つくために軽い文庫が読みたくなり、久々に帚木蓬生氏の書籍を手に取った。

和歌山のカレー事件の医学的調査に当たった、九州大学名誉教授・井上尚英氏の功績を知ることのできる本だ。昨晩、我が家の夕食は日本風カレーライスだったのだのだが、「和歌山カレー事件に関与して、現在までの十七年間、私はカレーを食べていない。おそらく今後も口にすることはあるまい。」という文でこの小説は終えられており、調査に協力しただけの方ですら、日本人の国民食ともいえるカレーライスを二度と口にできない、という事実に、この事件の恐ろしさを感じる。

保険金搾取が犯行動機になっているようだが、この事件を心ある保険を専門とする人に考察して頂いてご意見を伺いたいものである。保険金搾取が嗜癖になっている、という視点も興味深い。依存の問題は、私たちが自覚する以上に生活を侵食し、人を狂わせている。
その後、保険の規約等はどのように変化したのだろうか。法律・税金・保険・投資は素人には理解が難しい。優れた専門家に出会わなければ辛い思いをすることになる。やはり最後は人にしか救われない。
 

悲素(上) (新潮文庫)

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