蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№84 お許し

今年の6月に試験を受けることになっている。
その為の準備を進めているのだが、順調にいってはいないように思う。

何よりも受験資格を得なければならないので、これまでぼんやりしていて取っていなかった「許状」を慌てて申請していた。

今朝方、いつものお稽古の時間に師匠からお電話があり、「今すぐ来れるか」と仰る。師匠のご自宅は歩いて数分の所にあるのですぐに伺うと、楽器が仕舞われて広々としたお稽古場で待っておられた。お手元に許状がある。
いつも甘えさせて頂いてばかりだけれども、こういう時は折り目正しく手をついて口上を申し上げる。師匠も同じく手をついて「おめでとう」とお声を掛けて下さる。

生田流筝曲と野川流三絃で「皆伝」のお許しを頂くことができた。
まだこの先がある。この先を見るために試験を受ける。

筝曲で初めて許状を頂戴した時は、本当に嬉しかった。
教則本を終えて、「筝曲はこの曲に始まり、この曲に終わる」と言われる「六段」を通して弾けるようになってから、ようやく「初伝」の許状を相伝頂くのだ。
茶道の免状は次のお稽古のお許しなので、明確に「何かができるようになった」という節目では無く、またひとつできることを増やしていくという覚悟なのだが、筝曲は実際に曲として(なんとか)弾けないと初伝を頂くことができない。
実際に初伝の許状を手にした時の感激を、今でも覚えている。

最後の称号を頂いた時、どんな「六段」を弾けるようになっているだろうか。
まずは今年の試験のために「六段」を暗譜しなければならない。
私はこの道を志すのが遅かったので、生きているうちにその境地に辿り着けるのかどうかわからない。
まずは今目の前の曲に取り組むこと。
受かれば試験翌週の演奏会、これは試験曲でもある「末の契」、そして来春の演奏会のための「越後獅子」。
ダメだった時のことは…今は考えずにおこう。