蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

二宮の夜

神戸に来ています。
本日は講演のお仕事でした。

今日は三宮から程ちかい二宮のMinato Hutteというところに宿泊です。
バーでこのブログを書いていると「本日はお野菜ナイトだよ」とお声掛け頂きました。
淡路島の農家さんが腕を振るって下さるそうです。
思いがけないご馳走に喜んでいます。

さて講演では、「なんのためにヨーガをするの?」についてのお話と、座ったままで行うSukshma Vyayama(「微細な運動」と言われる、ヨーガ体操の1種です)、呼吸の意識化、瞑想を体験して頂きました。

一昨日の夜更けに、親しいお友達が与えてくれた気付きのお蔭で、自分が何のためにヨーガという道具を選んで、ずっと続けているのかについて改めて立ち返らせてもらう機会を得ました。
神戸に向かう道中ではずっと「老子」を読んでいました。
何か大きなものとの繋がりを取り戻し、ここに自分がいることの深い安心感を得ることを、様々な角度から行うことで救われたことを、思い出すことができました。

生きていると様々な事が起こりますが、一つひとつの事象の後ろには、大いなる意志が働いているのであって、「現象自体に良いも悪いも無い」というバガヴァット・ギーターの教えが真実であることを忘れてしまう時があります。
でも忘れると、ちゃんと思い出させてくれることが起きる。
それは小さな私のエゴにとっては本当に痛いけれども、この苦痛を経験することが、大きな安心に繋がっていくのだと信じていたいと思います。

小さな私が一度死んで、新しい生き方が選べますように。