蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

歴史を読む

本日は筝曲のお稽古日でした。
これまで順調に弾けていた「夕顔(菊岡検校)」を久々に稽古したところ、情けないことに…。一昨年、演奏会に出て弾きこんでいたこともあり油断していました。感覚を思い出すのに一苦労ありそうです。

さて、二日前、半藤一利氏の「昭和史1926-1945」を読了したのち、「日本のいちばん長い日」を再読。今日は「聖断 昭和天皇鈴木貫太郎」を入手して読み始めました。
この方の本はどれも読みやすくおもしろいですが、「まあ、そうも言い切れまい」という視点を常に忘れずに読んでいます。
「なぜこんなことになっちゃたんだろう」ということについて様々な視点から考えることは、とても大切な事だと思っています。

昭和に入ってからの陸軍のやり様はあまりにもひどいですよね。
一個人の資質や、軍に入ってから後の教育だけであのようになるものでしょうか。彼らが成人(入隊)するまでの教育や、周囲の環境からのメッセージはいったいどんなものだったんでしょう。
つぶさに伝記を読んでみたとしても、そもそもその記述が、書いた人の主観に左右されていますしね。
数年前、城山三郎氏「落日燃ゆ」を読んで不覚にも感動してしまったのですが、改めて考えると「弘田さん!首相としてどうなんだよ!」と怒りを覚えます。阿川弘之氏「井上成美」では、教育者としての井上さんの在り方に感銘を受けましたが、実際はどんな人だったんでしょうか。結局、誰についても、一番知りたいところは闇の中です。

発達理論を学んでいる時、先生のご著書について、皆で語り合う読書会が数回開催されました。それぞれ人は違う経験と心を持ち、同じ情報に接しても感じ入るところも持つ疑問も違うからこそ、読書会のような機会は本当に有益ですね。
「陸軍、なんであんなことに」問題を語り合ったら面白そうですが、その前にもっと勉強しておかねばです。

「本当はどうだったんだろう」と思って見ても、人間の心がそもそも一枚板ではないし、刺激に対して表す反応も異なるわけですから、生きているからこそ分かり合えるという訳でもないのかもしれませんが、それではどのように目の前の人を理解しよう…。
私はヨーガを行じる者ですから、やはり瞑目し、存在が感じるところに忠実でいようと思います。その為には日々行じて、自分の感度を上げ、尊いものとのつながりを保っていなくては。

ところで、次に読みたいのはキース・ロウ「蛮行のヨーロッパ」とA・ハーマン「ガンディーとチャーチル」(ともに白水社)ですが… 価格が高い!