蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

初めてのレッスン

今日は、私のクラスを始めて受講される方お二人とそれぞれセッションを行い、目的はまったく異なる二人の方にお役に立てるヨーガの懐の深さと、各人それぞれのヨーガ行があってよいのだ、との思いを新たにしました。

例え初心の方であっても、どういう目的や目標を持ってこの道具を使うのかを、意識して頂きたいと願っています。何となくやっても気持ちの良さを導くことのできるヨーガ行(特にアサナ)ですが、ヨーガ自体が目指す高い境地について知り、そこに向かう途上で多くの癒しを生じさせるとともに、より困難な課題に立ち向かうための力を涵養させるこの優れた道具について、多少なりとも分かった上で実習をすると、「なんだか自分の悩みなんて、あまり大したものじゃないような」気になることが多いように見受けられます。

呼吸を改めて意識していくと、肉体を生かすための必須の活動であるこの呼吸が、実は「している」訳でなく「起こっている」ことに気付きます。
「生きている」訳でなく「生かされている」不思議に触れた時、私が許せないと思ったあのこだわりは、なんと小さなものであったろうかと微笑ましく思うのです。
時に、非常に耐えがたいご苦労を潜り抜けていらした方とセッションを行うことがあります。そういう方々のお話を伺わせて頂くと、尚更自分のこだわりの小ささが客観視され、長閑なものを見るような更にふくふくとした笑いが出ます。
この他愛もない悩みのことを、私は「森の子リス問題」と呼んでいるのですが、子リスは子リスなりに、必死に自分の生を生きています。私の前に現れた課題や問題から逃げずに、自分にとっては重大な悩みを真正面から受け止め、乗り越えていきたいと願います。

自称「子リス」でありますが、実は他者からは違う生き物に見えるのかもしれません。そこはこれから、自らの客観視のやり様で見えてくるであろうと楽しみにしています。できれば一人でも多くの人や生き物を、乗せられる体を持っていればいいなあ。