蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

行きづまり

ヨーガをスポーツのメンタルトレーニングに用いておられる、白石豊先生という方がおられます。同じ師の下で学ぶ兄弟子に当たられます。
書籍の中で、師から受けた教えを開示して下さっておいでで、とても助けられています。
「勝利する心 東洋の叡智に学ぶメンタルトレーニング」(サンガ出版)には、白石先生の探求の経緯が丁寧に描かれ、課題に取り組まれる中で悩み、それを超えていく実践を行っていかれる先生の在り様に引き込まれます。

白石先生は、その探求を禅から始められましたので、ご本の中に多くの禅語が引用されています。私も茶道を嗜む中で禅語に触れてきましたので、その点でも白石先生のご本が好きです。

「窮而変変而窮」(窮して変じ、変じて通ず)という言葉が、今の自分の心持にとても響きます。
「真剣にやっていれば、必ず行きづまる。それでも一心になってやっていくと、ひょいと通じるものだ。通じないのは行きづまる段階までいく真剣さが足りないということ。」とご説明されています。

正法眼蔵随聞記」という本の中に、「切に願うことは必ず遂ぐるなり」という言葉があります。これは私の大好きな言葉なのですが、何を切に願うのかについて真剣に考えていかねばなりませんし、「切に願う」ことも段階と共に変わっていくのだということが最近理解できてきました。
願ったことをやっていき、壁にぶつかり悩む。悩んで変化しようとする。変化できれば壁は超えられるが、かつて願っていたことが何やら狭く小さいことに気付き唖然とする。
その繰り返しなのかなと思います。
「行持道還」、修行は同じところを巡り、数年毎に同じことで悩んでいるような気がします。やれやれ。