蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

心は何からできているのか

昨日は大変楽しい1日で、大切な方々との豊かな時間と、新しい方々との刺激的な出会いを頂戴することができました。 
1日のうちに受けた印象があまりにも多く、その印象の処理に時間を要したようで、寝ている間にも言葉が次々と溢れ出てくるのを感じました。その洪水のような印象を整理するためにこの文章を書いています。

ヨーガを行じるにあたって最も大事なことは、「自分という存在が本当は何なのか」について理解をすることにあります。
五層構造である人間存在の核は「歓喜鞘 Anandamaya Kosha」にあると言われます。
心臓の中に座するというこの歓喜鞘の中に、「アートマン」という真実の我が存在しているのです。すべてのものとつながるこの真我は強い力を有し、その輝きが他の4つの鞘を超えて外側へ現れるはずのものですが、残念ながら、その輝きを覆い隠す要素があります。「個別の『私』というものが確かに存在するはずだ」という捉われ(我執)と、過去の記憶です。

日々の経験は、自分の中に印象を生み、その印象は「心素」という袋に蓄積されてきます。言葉通りこれが心の素となって、それぞれの我執と結びつき、私固有のこだわりを作り上げていきます。
ヨーガの体操を行うときにも、この自分固有の考えや判断が絶え間なく湧き上がり、消えていくということを繰り返しています。ストレスが生じた時には、この結びつきは特に堅固になり、人の生き方の邪魔をすることがあります。ヨーガの体操が人を救うものになるためには、動作の中でストレスと同じ心理・身体的状態を作り出し、その時湧き上がった印象に意識的に気付き、学んでいる智慧に即して調べ直し、言語化し検証を行う、という作業が必要になります。この点さえ押さえられていれば、あらゆる活動が「ヨーガ」という本来の自己に還るための取り組みとなります。
自分を意識的に見ること、そしてその有用性を判断するための確かな智慧を有し、正しく救われる判断をする客観性、これらが揃わないただの行為に、自分の肉体に与えられた有限の時間を無駄にしたくないと思います。

人生の節目節目に大きな気付きを与えてくれた、人と書籍があります。
大事な一冊であるケン・ウィルバーの「無境界」についてはプロフィールにも紹介しているのですが、なんとその本を読んだと仰る方が現れたのです。決して読みやすい軽い本ではないだけに、本当に驚きましたし、とても感激しました。
人が悩みや壁にぶつかるとき、それは次の段階へ進む準備ができたことを知らせるウェイクアップ・コールです。「今までとは違う生き方ができる」と存在が思い、変化を欲した時、私たちは過去の印象にしがみ付いて恐怖を感じます。私固有のこだわりを捨てることは、死ぬことと同じように苦しいといいます。(死ぬ経験は誰しも一度だけなので何とも言えませんが、本来いたところへ還るための肉体の死の方が、実は苦しみは少ないのかもしれません)
この恐怖を克服するためには、智慧を知っていることがとても役に立ちます。多くの人々が長きにわたって信じ助けられてきた、普遍的な智慧です。
生きていてどうせこだわりを持つのなら、真実のもの、善なるもの、美しいもの、普遍的なものに拘っていきたいと思います。

本日取り上げた「無境界」は、K・ウィルバーの思想としては古いものになりますので、ご興味がおありの方は、その後の著作や、インテグラル・ジャパン代表・鈴木規夫氏の「インテグラル理論」に関する書籍も手に取ってみて頂ければと思います。
この手の書籍は絶版になるのが早いので、中古品にとんでもない価格がついていることがありますが…。私でお役に立てることがあればご連絡ください。

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