蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№863 年末年始心身大掃除

12月半ばすぎに1ヶ月あけていた自宅に帰り、ようやくJK剣士との暮らしが再開しました。
約1年離ればなれだったので、また一緒に暮らし出すと賑やかになると同時に、自分からは決して触れなかった情報にアクセスさせられることが増えました。

 

JK剣士もこの1年間で、私の知らないことばかりを体験・学習してきたわけで、色々教えられることが多いです。こういうことは日本でこれまで通りのJKライフを送っていたら難しかったでしょう。どんなことを教えられたかについては、また改めて書くつもりです。

 

米子空港に到着したら初雪が積もり、1ヶ月放置していた車のバッテリーが上がっていました。渡米前から予約していた美容院にも行けず、ボサボサの頭のまま年越しする羽目に。冬至の日に、これまで3年間取り組んできたプロジェクトのお礼を手配し、関係各位に無事ご挨拶を済ませました。年末に神戸旅行&大阪出張、ここで新しいプロジェクトの可能性を探り、年末年始にはYoga聖典読書会という怪しい会を主催。ご参加の皆様からの厳しいご質問に必死で応えるべく頑張った翌日、高熱を出してぶっ倒れました。

 

IH合宿中や帰国直後の東京滞在中にもひどく寝汗が出て、内的な変化を三次元的に処理するプロセスが発動しているのだろうとは思っていましたが、その総仕上げが行われたようです。

 

これはインフルエンザか?と思うような関節の痛みと発熱、その後何日も大量の寝汗で気持ち悪くなって起きざるを得ないという状態が続きました。食事も少しは摂っていたのですが、これだけ寝汗をかくとどんどん消耗してガリガリになり、着替える時鏡に写った自分の姿を見て、あまりの弱々しさに泣けてしまいました。

 

フラフラなのですがこういう時こそ修正が必要なので、セルフセッションをやったり、プラクティショナーの友人にセッションをお願いしたわけです。そうすると、これまで自分が後生大事にホールドしてきたネガティブな信念や感情を、できるだけ捨ててしまおうと頑張っていることがわかりました。自己存在の大掃除です。

 

マスターマリコたちがよく使う表現に「ガビガビ」というものがあります。
自分の、エゴイスティックで、今をよりよく生きることにほとんど役には立っていない思い込みなどが、自分の中にはたくさんこびりついているわけです。そのこびりつきを象徴的に表現するのが「ガビガビ」という言葉になります。しかしさまざまなきっかけにより、これをリリースしようという欲求が、自分自身の中に確かに発動する瞬間があるわけです。

 

このガビガビは多層構造である人間存在のいろんなところに同時にこびりついているらしく、感情レベルの課題を処理するために体に反応が出たりします。というよりも、そもそも問題のように見えるものは違う次元に原因があるわけですから、「なんでこんなことが?」ということが「なぜこんなところに?」という形で起こるのは当たり前と言えば当たり前です。

 

IH合宿中に知ったのは、頭の中でウジウジ思考しているネガティブなことと、ハラの底で知っている安心感や確信が、私の場合は右の眉のあたりで喧嘩しているということでした。ふっと浮かんだ純粋な思いに対して「でも」「だって」と難癖をつけ抵抗する時、右眉の少し上にチリチリとした違和感を覚えるのです。

 

しかし、左右の脳の統合という修正を行ってもらうとこのチリチリ感が消える。合宿の後半から体調不良になるまで、何度もこの脳の統合という修正の指示が(私自身から)出たのですが、1週間寝込んで何が起こったかというと、まるで浮かんでこないのです、ネガティブなことが。なのでチリチリ感覚を感じることも、もうないのです。

 

人間は、自分自身の中で、自分と闘っている。
今、そのことについて考えています。

 

自分対自分の仁義なき戦いは、大概の場合周辺諸国に飛び火して、近くの関係者に迷惑をかけます。しかしそもそも周辺人物もまた、ほとんどの場合自分対自分で戦争をしており、その戦火も飛び火させています。大戦争です。

 

まずこの自国内の紛争を終わらせ和解することと、他国の紛争に巻き込まれないこと、さらには叶うならば隣国の紛争解決に寄与できることが大事です。シャドウに向き合い、これを取り扱うということは、まさにこういうことだと思うのです。

 

自分を許し、受け容れる。そして無条件に愛する。
その結果、人間としてこの世に生きることに安心することができます。

 

帰国後にさせて頂いたセッションで教えられたのは、多くの人は生きるのが怖いということです。本来の意味でYogaしていれば、生きることが怖いなどということはあり得ない話なのですが、それはとても難しいことなのです。だからYoga=自らの真の出自を明らかにして、そことのつながりを再確認して安心に至ることが必須の課題になります。ここで私はYogaを強く推していますが、当然ながらそれはただポーズを取ればいいという話ではありません。

 

これはとても重要な話なので、自分の中でじっくり考え抜きたいと思っていますが、ともあれ私の場合は、体調不良の間の大量の寝汗と共にガビガビしたものが体外に排出されたようなので、このことをとてもありがたく思っています。今回この浄化をもたらしてくれたのはここ数年にわたる経験であったと思い、今日ここに至るまでそこに関わってくれた人、そしてこれをデザインしてくれた何か大きなものに対し、深い感謝を捧げます。


№862 年明け、そして師匠

1ヶ月もサボっている間に、新しい年になってしまいました。
遅ればせながら、今年もよろしくお願い致します。

 

長らくお世話になってきた恩師が、年末にお倒れになられました。
なので個人的にはまったくめでたくないので、「明けまして云々」という枕詞は可能な限り使用せずに年が改まったご挨拶をしていました。

 

私をよく知る皆様は、この私がどれだけ「先生」という存在を大事にしてきたかをよくわかってくださると思いますが、N夫さんやK藤さんを「さん」付けで呼ぶなどけしからん!という姿勢を断固として貫いてきたことと同じように、今ご療養中であられる恩師を親以上に大事に思いお仕えしてきたという自負のなかで、その大切な方が医療機関のベッドの上においでになるという事実は、新年の何もめでたくなどないと思わせるに十分な理由です。

 

しかし同時に、このことを通じて私は学んだことがあります。
なぜそうまでして、「先生」たる方を崇め奉るようにしてきたのか?ということについてです。

これ、私という人間を私自身が理解するために、非常に重要なポイントでした。


実は私以外の人はみんなこの事に気づいていたフシがある(うんうん、と頷く顔がいくつも目に浮かびます)。でも私を傷つけないためか、もしくは成長というものに対してプロセスが有する価値を大事にしておられる故か、誰も何も言わないでくれた。それをいい事に私もまた、「先生って呼んで何が悪いんじゃい!」と嘯いてきました。

 

ところがどっこい、潮目が変わったのであります。


IHヒーリング合宿のために渡米しようとする前に、敬愛するあの方から言われたのです。「もういい加減おやめ」と。その時初めて自分は素直に「うん、やめよか」と思えたので、それ以来時々うっかり以前の口癖が出てしまうとはいえ、意識的である時には「◯◯さん」と呼ぶように進化・成長を遂げたのであります。ちなみにツッコミが入る前に言い訳しておきますが、K藤ゼミの投稿で「Y平先生」と呼びかけてるのは意識的行為ですからね。

 

ご療養中の恩師は、茶道・箏曲・生花における私の師であり、この文化的な取り組みにどれだけ私が真剣に向き合ってきたかを知っていて下さる方は、師匠がお倒れになられたことと、例の感染症に起因する諸々でお稽古がこれまで通りにできなくなったことで、私がどれほどショックを受けているかをご理解下さると思います。そろそろお稽古再開を、とご相談申し上げ、では年明けからね、楽しみだねとお言葉を頂いたのが、師匠と交わした最後の言葉でした。その翌週に、お倒れになられました。

 

生命の確固たる基盤に対する信頼を持って生きている私ですので、常に奇跡を信じます。肚の座った師匠でした。様々なことでビビる私に、幾度喝を入れて背を押してくださったかわかりません。そんな師匠ですから、また私たちの前に変わらぬお姿を見せて下さるかもしれません。普段、三次元にさほどの執着を持たない私ですが、お師匠様に関してはそういう執着を捨てきれません。

 

「先生」方という存在を大事にすることは、愛してほしいと涙ながらに世界に切望する、私の魂の叫びでした。そのことに私はつい昨日まで思い至らずにいました。全然わかっていなかった私に「先生」方はいろんなことを解りつつ、そっと寄り添ってくださったんだなと思います。

 

愛してないのは自分だったんだよ。自分が自分を、愛するに足る存在だと思えてなかったんだよ。

 

IH合宿と、その後の友人との度重なる交換セッション、またK藤ゼミ、そして体調不良や批判的実在論の学びなどを通じてようやく私は気づいたのです。私は私に愛してほしい。私が自分自身に価値を認めたい。それができないとき私は「なにか」を世界に投影してしまう。苦しくて、悲しいから。そして寂しいから。

 

いろんなことがあって、その体験を消化するのが大変なので、Blogも日記も書けませんと言い訳をしていたのですが、消化するのが大変なのではなく、書くことで認める事になってしまうのが嫌なことが、いっぱい押し寄せてきているということなのかもしれません。

 

いつまでも元気でいて欲しかった。何も変わらないで欲しかった。でもこんな瞬間にまで、大事なことを教えてくださった。このことに気づかずにこの先を生きるのはとてもつらかったと思う。これが師弟愛ってことなのか・・・この先に続く思いはもっとあるのですが、今はとても言葉にしてここに書くことができません。


学んで私の血肉になったあれこれは、決して奪われない。そして私はその学びを通じ、イマココに存在する自分の価値を認めてやりたいと思う。私の先生方は素晴らしい方ばかりで、その素晴らしい方々に師事し、大事に導かれてきた私もまた素晴らしい。そう確信を持って言い切れたとき世界がこれまでとはまるで違って見えることを、私は驚きの思いで感じているのです。そして私は今も変わらず自分の「先生」方が大好きなのですが、その愛情と自らに向ける愛情が同じ質、同じ量に近付いてきているのを感じます。これが学びの価値であり、救いだと感じています。

 

 

№861 部分から全体

帰国しました。

9時間飛行機に乗っている間に1日ロストしていた。当然だけど、なんだかちょっと損したような?

 

サンディエゴからアラスカ航空でシアトルまで移動、生まれて初めて来た国で乗り継ぎするってなかなか大変だなあ。なんでわざわざこういうフライトをチョイスしたのか?!と自分を責めてみたり。

 

国営企業時代に英語弁論大会に出てトラウマを負った私。なまじ耳がいいものだから発音だけがやたらと流暢すぎ、質疑応答のレベルが跳ね上がって全然聞き取れなかったという苦悶の経験のせいで、英会話に対する熱意が極限まで低下しています。このトラウマもIHヒーリングで癒してくればよかったな。

 

シアトル空港で自分がどこにいけばいいのかわからず、訊きまくった。必要な情報ってなんとか受け取ることができるもんやねえ....自らの動物的能力にちょっと感動。South satellite,Checkpoint2などなどの指示で、ちゃんとJALのカウンターに辿り着けたよ。そこで安心してしまってチェックインもせずぼんやりしていたら、呼び出されてしまったのはご愛嬌でした。やれやれ。こういうことを10代で一人でやったJK剣士が成長するわけだよね。えらいえらい。

 

さて、プラクティショナーのマイさんにIH風時差ぼけ解消法を教えてもらったので、入国審査の列に並んでいる間に一度やってみました。ホテルに入った後もう一度繰り返していたら、いかにも怪しいことを行う私を見て長女ぶーちーがドン引きしてましたね。

 

ヒーリングに使うレーザーを・・・(具体的に何をするかは秘密)・・・しながら「トウキョウ12月14日20時14分」と呟く様はさぞかし異様であったろうと思います。でもお陰さまで時差ぼけ全然ない。ほんとにない。すごい。フツーに寝てフツーに起きてる。アメリカで何日間も朝3時にようやく眠れるという生活をしていたので、この差はマジでありがたいです。

 

後半、小難しい話。以下パスしてもらってもOKよ。

 

帰国便の中でテキストを改めて読み返して、すごいことに気づいた私。


3年前に初めてボームについて教えてもらって以来、ホログラフィック・ユニバースについて思いを巡らせてはシビれていました。更にDr.Richard Bartlettの”Matrix Energetics”にハマり、”Two Point”という技法(量子的な手法で人間存在の障害や機能不全を調整しちゃうというもの)を勉強したくてたまらなかった。その熱烈な願いは、IHヒーリングというツールをもらったことで叶えられたんだな!とようやく気付きました。すごく嬉しい。

 

存在の全次元に働きかけることができる。Yogaだってそうなんだけど、難しいんだよなあ、やり抜くのも伝えるのも。だから余程の人じゃないと諦めちゃう。私はたまたまラッキーだったのだと思います。巡り合わせが良かったというか。

 

IHヒーリングでやろうとしていることを、今の自分の思いとして語ってみます。これはこの二日ほどで、O先生や志を同じくする仲間と語ったことをまとめたものです。わかりにくいと感じる人もおられるとは思いますが、これまでに私のYogaネタを聴いてこられた方はなんとなくわかってくれると思います。

 

人間存在というものは、本来この宇宙の全体性のなかにきちんと含まれています。すべては緻密で美しい織物のように、他のすべての部分と調和して存在しています。この結び目の一つがあなたであり私。だからホントは何も心配しなくていいの。

 

でもそれを忘れちゃうのがこの世界というゲーム(Lila、神の遊戯)のルール。他と切り離されたひとつの結び目として、孤独感に苛まれすべてがうまくいかないように感じてしまう。真の癒しは分離が幻想であるということに気づき、全体性を取り戻すことの中でしか成し遂げられません。

 

分離の夢に生きると、私たちの存在にひずみが生じます。このひずみを修正し、全体のなかの一つとして自分の感覚を取り戻していくためのツールがIHヒーリングですが、部分は全体でありその逆もまた然り、というホログラフのなかで修正を行うということがとてつもなく素晴らしい。だから顕在的にはよくわからないうちに、「あれ?」という変化が生じうるわけです。

 

全然わかんない? 

うん、私も2年間マスターマリコにお世話になってきたけどまるでわかってなかったね。でももしあなたが今に100%満足できていなくて、自分の最高最善じゃないと感じているなら、それは何かしらのひずみがあるからかもしれない。そういうものが修正できると嬉しいよね。私もぜひ、お手伝いしたいです。

 

 

 

 

№860 人間に備わる力

14泊15日の講習合宿を無事コンプリートしました。

 

14泊したのは日本から来た二人だけですが。後の皆さんは基本的に通いで、少し遠くにお住まいの方が数泊だけ一緒に泊まっていかれました。

 

スト2Daysで、買い込んだり恵んでもらったりした食材を使いまくって、まるでブッフェみたいなランチをしました。さすがに二人だけでは食べきれないので、最終日まで一緒だった4名の受講生でなんとか平らげようとがんばりましたが、案の定使い切ることができなくて、余った玄米やふりかけなどは現地在住の方にプレゼント?しました。

 

JK剣士が、
(最近私のBlogを読み出してくださった方に対する解説:「JK剣士」とは、剣道部所属の女子高生であるうちの子の愛称です)

 

そう、JK剣士が海外に行ったとき人間存在からひじきが不足し、ひじきを熱望するという熱病に罹ったので、私もきつく言われてひじきのふりかけをわざわざ持ち込みました(「ひじきは必ず持っていくべし」)。しかし私はひじきの熱病は発症せず、発症したのは牛乳への熱病でした。

 

でもアメリカの牛乳もとってもおいしかったです。私が住む山陰ですと、岡山・蒜山高原ジャージー牛(茶色い牛)のミルクは乳脂が浮かび上がるほどの濃厚さで、少し黄色い(バニラアイスのような)ですが、これと似た感じでした。

 

そう、私はひじき欠乏症には罹らなかったので、持参したちょっとお高いひじきのふりかけを友達にあげました。すると「いいの?!」とひどく感激してくれて、喜びに打ち震えているように見えました。気のせいかもしれませんが、遥々アメリカまでひじきふりかけを持ち込んだ甲斐があったと、こちらもジーンとしてしまいました。

 

講習会の話に辿り着きません。そのことは後日改めて書くとしまして、今日はその周辺の話だけにしておきましょう。

 

ひよことは言え独り立ちした私たち(私はこりすだけど)。明日から100人の人に対して行ったセッションの記録をつけていきます。同時に日米の受講仲間との交換セッションで腕を磨かなくてはなりません。この2週間、自分にまつわる様々なお悩みや症状を次から次に取り上げましたが、重要度が低い積み残しのネタはたくさんあるはずですし、日々生きていればいろんなことがあるわけですから、そういうときに仲間に頼って私という人間存在の「修正」を行ってもらおうと思います。

 

最後に大事なことを書いておきます。


Yoga(体操じゃないよ?)をお教えさせて頂くとき、どんなにミラクルな事象が発現したとしても、それをもってYogaが効くなどという確たる証拠だなんてことは決して言えません。絶対に。

 

腰痛一つとってもそれは非常にパーソナルなものなのであって、あなたの腰痛と近所のおじさんの腰痛は同じ30年ものであったとしても、まるで違うわけです。

 

その一つ一つ異なる、同じ病名に雑に分類されているもの、もしくは自分自身もよくわかることができない内的な悩みに対してあるはずの「その人だからこその理由」に思いを致したいわけです。そのときすべてを明らかにする必要はありません。

 

その人が楽になることが目的なのであって、病気や症状がなくなることだけが重要なんじゃないと、よくよくわかった上で寄り添いたい。

 

人間というのは実に複雑で、愛すべき存在です。

それを単に肉体のみの側面から見たり、社会的役割の一つの側面でだけ見て考えることは、あまりにも雑で乱暴です。症状も悩みも、単純に「悪いもの」と断ずることもできません。それに命にはそもそも伸びゆく力、病や症状や不具合を修正したり直す力が備わっています。生命には必ず、セットで付与されているパワーです。その、絶対に備わっているパワーを削いでいるものはなんなのか?

 

だから見つめたい。なぜ今そうであるのか。それをあなたはどのように感じ、受け止めているのか。あなたのこころの底のほんとうの望みとはなんなのか。

 

あなたという存在に耳を澄ます。それがなによりも大事。


とてもパワフルなツールをゲットして日本に帰るよ。明日朝、サンディエゴを出発します。

 

 

 

 

№859 不思議な感覚

講習も残り二日となりました。
今朝は暖かく気持ち良いカリフォルニア晴れ。久々に屋外でAsanaをやりました。

昨日はクラニオ(頭蓋骨)の調整を行いましたが、脳脊髄液が波立つ感じ! Pranayama(Yogaの調気法)は実はこのためだともいわれていますね。

自律神経調整の効果も大ですが、下腹部をしっかり動かす類の調気法だと、脳脊髄液の循環を促し、それが視床下部を刺激するらしいです。そうすると松果体が活性化して第3の目が開くのも不思議じゃないですね。まあもちろんYogaは、解脱のための修行なので当然というべきでしょうか。

 

しかし昨日の感覚は実に不思議でした。自分でPranayamaを実習してもあのような感覚を味わったことはありませんが、今後に期待します。下半身から頭に向かって、やさしく漣が立つ感じでした。


さて、日本で私を待ってくれているたまとも(=魂の友達)Mさんからミッションが下りました。先日のBlogでトレジョ(アメリカのスーパーマーケット)ネタを出したところ、「トレジョのショッピングバッグ2種をゲットして帰国せよ」というメッセージが来たのです。Blogという通信媒体は実に便利であります。移動手段のない私は講習仲間のYちゃんにすぐに甘えて、昨日無事ミッションコンプリート! 年末の忘年会のときにお渡ししたいと思います。

 

さてもう少しアメリカネタ。

こちらに来てすぐ、マスターマリコのお友達にお世話になりました。車のなかでいろんなお話をするなかで「私はニコラスケイジが好きだ!」とカミングアウトしたところ、日本とは違う好ましい反応が返ってきてとても癒されました。日本の多くの方はニコの魅力を理解しておられないらしく、私がこよなくニコを愛していることを話すと「ニコラスケイジ〜〜?!」といって笑いながら軽く私をディスってきます。これが猛烈に悔しい。しかしここアメリカではそれがない(調査人数一人とはいえ)。しかもその後の会話で、ニコはオタクである、オタクは心優しい、オタクは世界を救うという壮大な展開になり、心があったかくなりましたね。ニコ素晴らしい!


さて、昨夜は夜遅くまでZOOMで対話をさせてもらいました。
当地でプラクティショナーとして活躍されるMさんに、動画収録のお声をかけて頂いたのです。なんと光栄な〜! 後日、YouTubeでアップしてくださるとのことです。

インナーチャイルドのセッションについて感想を語って、とのリクエストでしたので少しお話をさせて頂きました。この体験を聴いた方が、ご自身のなかの影の統合ということについて思いを致してもらえると嬉しいです。

 

IHヒーリングの具体的なことについては他の多くのアプローチと同じで、ここで書いても伝わらないか誤解されるでしょう(Yogaと同じように)。なので帰国したら多くの方にセッションを体験してほしいと思っています。何しろ駆け出しの私なので、悩むこともたくさんあると思いますが、そういう時にはアメリカで活動するプラクティショナーの皆さんがサポートしてくださるとのことだったので、とても心強い。安心して帰れそうです。

 

 

№858 砂漠に花を

講習も残すところ3日となりました。なんだかあっという間でした。

 

勉強しにきたんだからどこにも行かねえ!!という悲壮な決意?で渡米しましたが、ここで友達になったみなさまがほんとうによくしてくださって、サプライズの連続でした。

 

アウトレットにいってブランドショップを冷やかしたり、アメリカのセブンイレブンでポテトチップス(LaysのClassic!)を買ったり。はたまた昨日は仕事着にどう?とVUORIというブランドを紹介されたり。円安だしなかなか手は出ないのですが、試着するだけで楽しかったー!!


試着するときにチャレンジしたのは「これまで着なかった類の服を着る」ということ。

 

「いやー、さすがにこれは似合わんでしょ」というようなものを、友達が持ってきて「これ着てみ!似合うって!」といってくれるので挑戦して、アリだわとかないわ〜とか、さすがに無理っす!とか言って大騒ぎ。試しに一瞬新しい自分になってみる遊びのようで、とても刺激的でした。

 

 

一昨日の重いセッションの時、メッセージとしてあるカードが示されました。そのカードはそのまま見るか、逆さに見るかで意味が違うというもので、以前にも同じカードで ”Becoming Apart”と出たけれど逆さに読めとのことだったので、そうか、これから誰かと再会するんだなというポジティブな意味で受け取りました。

 

でも今回は一見ネガティブなカードをそのまま受け取れという指示(私の筋肉反射=潜在意識による)で、それがなんと「いきものもいない乾いた砂漠」というもの。

 

ネガやな… でもちゃんとオチがあるのです。

ずっとそこにいたのも意図されたことやったんやで、という説明文付きでした。私にはその意味がドンピシャで受け取れた。だからこれもポジティブに解釈できました。

 

うむ、これからここに花を咲かせろってこと=そこをOasisにしていけるってことなんやな!!!と。

 

このセッションで私が引き戻した記憶は今ここには書かないけれど、新しく生まれ直した気分になったことは間違いないのです。だからこそ、これまで着てこなかった服などを試してみたりしたのでした。新生カヨコだぜ!ってことで。

 

人間というものは、人生が思ったとおりになってしまいます。そして思ったように変えられちゃうという絶大なる自由も持っています。

 

こりすのようにピュアな私になって(ここで笑わないように)帰国した時、元いた場所はどのように見えるでしょうか?



ところで「りす=squirrel」って発音できん!という問題を、本日のランチの時に取り上げたところ代案が提出されました。「しまりす=chipmunk」であります。写真を見ればまさに私のイメージするこりすちゃんそのもの。うん、chipmunk なら言いやすいしいいじゃん、とご満悦だったのですが、かのチップとデールシマリスだよなという話になり、なんだか微妙に抵抗感を感じました。そういうイメージじゃないんだよな〜

 

でもシマリスイメージは変え難い。だって可愛いんだもん。もし私がアメリカに帰化しちゃったりなんかしたら(妄想)、カヨコ・コリス・チップマンクと改名しようかな。それかそのままカヨコ・シマリスかな。もうこれを芸名にして名刺作っちゃおうかな。

どうやら疲れているらしい。
もう寝ます。Good Night!

 

 

 

 

 

№857 強がりをやめて

今日はお休みです。2週間の講習のなかでたった1日だけお休みがあります。だからってどこかに行ったりしないで完全休養日にします。

 

静かな家のなか、自分の部屋で朝日の強烈な光を浴びながらこれを書いてます。朝日がもっと高く上がって私の部屋から見えなくなったら、裏のテラスに移動してAsanaをしようと思います。

 

日本の秋みたいな気候だよといわれてやってきましたが、想像以上に過ごしやすいです。
そして服装が自由! やや肌寒いのでセーターを着ている人もいるし、寒く感じない人はすごく薄着をしている。自分の感覚で伸びやかに決定していて、とても自由だと思いました。日本だと「そんなカッコだと見てるだけで寒い!セーター着なさい」と子供に言ってしまいそうです。

 


今日がお休みってすごいスケジュール管理だなと、感動しています。

昨日までの数日間かなり重めのセッションが続き、私自身は「マジでー」と思わず唸ってしまうほどの体験が噴出したからです。

 

身体的に疲労感があるわけではありません。でも存在的には深い疲労感があります。中身を整理整頓してくれているのかもしれませんね。

今回気づいた「そのこと」は、ウキウキワクワクしながらじゃ思い出せなかったし、これまでずっと「別にもうなんとも思ってないもんね!」と強がってきました。そういうものを、プラクティショナーとの共同作業によって、自分自身のの奥底から見せてもらい、これって実はギフトだったんだ(とこの部分の文章を書きながら鳥肌が立った)と気付く作業の繰り返しです。

 

私はここに辿り着くまでにマスターマリコとのセッションを幾度も繰り返してきたからこそ、今日今ここでこのことを取り扱えたんだな、と思えることに幾つも出会いました。自分のなかにずっとあったのにね不思議だね。マスターマリコに改めて深い感謝を捧げます。


今回出てきたBIGなネタは、私は怒っていたということです。ずっとです。


怒りの原因にもいくつものバージョンがありました。本来の自分であることを許されていなかった、おまえはこんなんだよねと決めつけられていた、それを跳ね返せなかった、どうせできないといわれたことが刺さって抜けずにいた、などなどです。

 

Yogaをずっと指導してきて(体操じゃないよ?)あらゆる悩みはみんなの悩みで、個人的な悩みなどこの世にはないと感じてきました。こういうことをとっても、人はひとりではなくすべてと繋がっている存在としてここにあるのだということがわかります。

 

だから、私が気づいたことと近似したバージョンとして、多くの人も同じような感情を内に秘めているはずです。そのことで自分自身と戦ったり、人に何かを投影したりする必要は本当はないのだということです(これがシャドウワーク)。

 

この数年をかけて、私は本来の自分にかなり近いところまで戻ることができた、存在を修正できたと感じています。ここまでのプロセスで顕在的なものが抵抗して、一瞬アレルギー症状が出たのですが、それもまた訳がわかりました。今は腰の一部分だけがなぜか痒い。このことの訳も明日以降で明らかになるでしょう。

 

私がこの世で一番怖いことは、今この瞬間の本来の自分に嘘をつくことです(成長したら変わっていくことも多いので「今の」という言葉を付け加えたいと思います)。


これまでにも書いた通り、私の、そしてあなたの深層の意識には発語器官がありませんので、イメージや体験でぶつけてきます。できればイメージや軽い症状のうちに気づいておきたいものですが、そういうわけにはいかなかった経験が私にも山ほどあります。それが当時の私にとってはあまりにも苦しく過酷だったので、ある日私はひれ伏して誓いました。

 

「もう私に嘘をつきません」と。

 

でも嘘をついてずっと長いこと適応して生きてきたので、根深いクセが残っているんだよなあ。しかも無意識でそれをやってきている。それを今回かなり修正できたと感じているし、日本に帰ったらご希望に応じ皆様の修正のお手伝いをしようと思っています。

 

ちなみにこの2年でプロセスはかなり進んでいて、本来の私がかけて欲しかった言葉をたくさんかけてもらっていたことがわかりました。気付いていなかったけれど。そしてここまで悩んできた時間も経験も、すべて必要であったこともまた今回理解しました。未だ完全ではないと思いますが、今後も絶対者の緻密にして完璧なお仕事に、息を呑むことになるでしょう。

温かい言葉をかけてくださったみなさんに心からの愛を送ります。そして、私の過酷なプロセスに関わってくださった方々にも深い感謝を。

ありがとう。