蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№849 シンクロ多発現象

某空港の待合室です。あと20分ほどで搭乗です。
この2週間なかなかに忙しく、またもやBlog更新を怠ってしまいました。

 

最近1番のトピックは、やはり中野先生との対談です。


クライアントさんやお友達も見てくださったようで、直接ご感想を伺った皆様は「なかなかよかった」とお褒めくださったのでホッとひと安心しました。直接聞いたら「よかったよ」って言ってくれるに決まってるわよね〜

 

ご覧くださった方はよくおわかりでしょうが、中野先生のあのどこまでも広く豊かなムードに包まれて、安心して楽しくお話をさせて頂くことができました。あのまま3時間でも話せたな、と思ったり。

 

1週間ほどで500回以上も試聴されているようでして、非二元を学ぶコミュニティにおける中野先生の影響力はすごいなあ!と感嘆させられています。 

 

もしまだご存知なかった方、お暇な方はこちらからぜひご視聴くださいね。

【ヨーガロータス】中野真作のまったりライブ対談第6回 壺井佳代子さん【悟り・非二元・癒し】 - YouTube

 

 

対談のなかでも、近頃の私は随分と楽になって、あまり雑念が浮かばないということをお話ししました。これ、実のところすごく大事な話ですよね。

 

Yogaの道に縁を頂いてからかれこれ20年近くにもなりますので、「歴代のお師匠さま方(というのが決まり文句なのです)」のおかげもあってか、思考停止もしくは真理について想っているか(ここはあえて瞑想を施す、と言いたいところ)、あと少しは日常の用を足すために意図的に心の波を立てている感じです。

よっこらしょ、さて考えるか〜という感じだし、ものを覚えておくとか、わからないから考えるということを、そもそもしなくなってしまいました。

 

なぜかというと、覚えておかなければならない案件は「ちょうどいいタイミングで思い出せる」し、「どうしたらいいかは直感でわかる」からです。

 

そんなんおまえの思い込みだろ!

と、ツッコまれるかもしれませんが、主観の世界は言ったもん勝ちです。大事なあの人といつもテレパシーで交流してる、というのも私にとっては当然の真実なのです。

 

やっぱり壺井はアホやなあ〜と思われた方、それは正しいかもしれません。でも本人たる私がまったく困ってないものですから、きっとずっとこのまま、もしくはこの傾向がヒートアップする以外ないでしょう。なんくるないサーです。

 

先述の案件処理方法を、それぞれ「あ、そうだった現象」「よっしゃそうしよう現象」と命名したいくらいであります。後者の場合は、「どうしたらいいかわからんから時を待とう or 外界からの動きを待とう」というモードに移行することが多々あります。

 

とにかく、前のめりで行動することは避ける


人間の通常モードは、リラックス・穏やか・喜びであるべきだからです。前のめりのストレス・モードでオートパイロット状態に陥り、反射的反応で大渦・大波に飲まれるのはたまったもんじゃありませんので。後が大変やで。なので気持ちはいつも "I have control!" って感じでね。

 

こういうモードで生きていると、共時性に度々出くわすのでした。いわゆるシンクロってやつですね。

先日も、なぜだかわからないが「行かねばならない」と思ったところで、身を委ねて頂いた飲み物に関し実に不思議なシンクロが起きたのですが、長くなるので続きは次回ご報告致します。

 

皆様も、雑念は手放し、思考停止で毎日をエンジョイしてください。
それがうまく行かない場合は、Yoga(フィットネスでもポーズでもないやつ)をお試しくださいね。

 

 

 

 

 

№848 統合に向けての対話

今、なにやら転機にあるらしい私。
人から「前と違う」と言われることがあまりにも多いのです。

 

先日も、とあるセミナー@新宿で、直接受講生にお声をおかけになることがほとんどない講師の先生が、スーッと私のそばにおいでになって「髪切ったね、軽くなったね」というお言葉をかけてくださいました。

 

一瞬焦った。

 

この方があえて声をかける時、それは「なにか」が「憑いて」いるらしいと聞いていたからです(人の念とか?)。もちろんそのことは確認致しましたとも!でも大丈夫だったらしい。

 

ホントのホントで生命エネルギーが軽妙になったねということをお褒めくださったようであります。よかったよかった。

 

そしてこのタイミングで天の導きかのように、「やまと式かずたま術」なるものを初体験させて頂きました。大事なお友達からのご紹介でまったくなにもわからない状態でお願いしたのですが、心当たりありまくり、ご指摘のアレコレ胸に刺さりまくり。そりゃもう驚きましたとも!

 

今年8月、未来に向けての決断をしたという私。
確かに!!!

 

振り返れば、その決断と時を同じくして二人の方とセッションしていたのでした。
お一人が、昨日対談をさせて頂いた中野さん(スペースまほろば主宰)。もうお一方が、我がレイキマスターマリコと共に8Senseを主宰しているあいちゃんです。

 

このあいちゃんがやってくれているのが「統合セッション」というもので、本来の自分とつながるって、それってまさにYogaそのものです。

 

ちなみに私は、統合セッションの記念すべき初クライアントだったそうです。ぜひともここから豊かに発展していってほしいですね。

 

伝統的Yogaの道での解脱は、実に難しそうに見えます。
グルについて、何年も過酷な修行をしなければならないイメージがあります。

 

しかし中野さんが以前から言っておられたように、過酷ではないルートがあると思います。

 

そのことを確信したのは、先日「ヒマラヤ聖者への道4」を読んでいた時です。
ちなみに私は大層なことに瑜伽名(聖名)を頂戴しているわけですが、そうすることで歴代のグル方に守ってもらえる存在になったということだそうです。なぜならば弟子だから。

弟子すごい!特別扱い!

 

でも!でもですよ!


実はグル(我々の語彙でいうところのスワミとかお大師様とか)の霊は、人が、自分も含む誰かに善をなそうとしたときには、いつでもそばに駆けつけて助けてくださるのだというのですよ。

 

ということは、名前とか師匠とか関係なくて単に自分の生き方だけってことやんか。

 

これって救いだと思いませんか?
私はそう思いました。「その手があったか!」という気分でした。

 

なのでそれ以来、こころのなかで思うことに徹底的に気を配り、歴代のお大師様方の絶大なるパワーを活用できるよう、自他に対する愛を放射しようと頑張っております。

 

しかし人間は煩悩だらけなので、これがなかなかコンプリートできません。私のこの葛藤は皆様もよくわかってくださるでしょう。

 

そこで「統合セッション」を活用させて頂いておりまして、エゴが発動して悲しくなったりつらくなったりしたときに、あいちゃんに愚痴をこぼして聞いてもらっています。

 

今、自分の人生でこういう愚痴っぽいことを話すのは、あいちゃんと魂のきょうだいO先生だけです。そのことによって、自分の五蔵(人間存在すべて)の浄化が促進されているような気がしています。気のせいでないといいのですが。

 

もしこの統合セッションにご興味がある方は、末尾にリンクを貼っておきますのでコンタクトしてみてくださいね。

 

まあYogaクラスでもまったく同じことをやっているわけですが、実践というのは自力だけじゃない方がいいです。人にも頼り、甘え、そして神にも守ってもらってようやくこの人生の荒波をスイスイ波乗りできるのだと思いますよ。

 

ひとりでやんなくていいってことです。
これっていいニュースだよね?

 

 

 ✨8sence(エイトセンス) HPはこちらです!

 

自己統合| 8sense,目覚め、ライトボディ、自己愛

№847 新しい肩書き

先日、初めてお目にかかったM地さんに「Yogaのセンセイです」と自己紹介したら、なにやらヘンなカッコウをしてみせてくれながら「こんなんですか〜?!」と言われました。

 

ムッ!

としたことは否定しますまい。(彼に悪気はまったくありません!たぶん)
それにこれはまさに”Yogaあるある”ですから、今更驚きません。なんともないわよ、ええ。

 

しかし!

 

もう自分のことをYogaの先生だというのは、金輪際嫌やあ!!


という思いに激しく火をつけられ、その夜の夢で啓示?が降りてきたではありませんか。
思えば出てくる。実相の世界とは実に便利です。

 

新しい肩書き(と職業)を必死に考え出すきっかけを作ってくれたM地さん、グッジョブ!です。今度会ったらお礼しなくっちゃ。


 
今後、自己紹介するときなんと名乗るか?名刺になんと記載するか?


夢のお告げにより決まったのですが、こりすのちっちゃなハートがぶるぶる震えてビビってしまって、何人もの人に「どう思う〜?」と訊いて回りました。

 

みなさんものすごく愛に溢れていて、「勝手に言っちゃいなよ」と実に快くお墨付きを与えてくださいました。あの人とあの人とあの人…(ここから何人も続く)がいいって言ったんだからいいに決まってるだろ!なんか文句あるか!ってなもんですよ。完全に開き直っています。

 

これからの私は、「Human Being Technologyの潜在的可能性を開花させる統合的実践ガイドです」。

 

わかりやすく言うと、Integral Life Practitioner =統合的実践ガイドね。

 

なにしろ私の人生のターニングポイントは、ILP(Integral Life Practice=ILP)ですからね!

ILPやりたくてYogaの専門家になったと言っても過言じゃないですよ。

 

というか、こういうことはお導きなので、天が今、私を統合的実践ガイドにするためにかつてILP&Yogaを遣わしたのですよ。きっとそうよ、絶対そうよ。

 

前回書いた「人間存在も真我以外の部分はテクノロジーなんじゃないの?」という仮説に基づいた、壮大な肩書きですね。

 

いったいなにをするのか(されるのか)、さっぱりわからないところがミソだと思ってます。
今晩早速、名刺のデザインについて打ち合わせです。

 

「ねえ、なに教えてくれるの?」と訊いてくれる、美男美女からのご連絡お待ちしております。

 

 

 

№846 心身テクノロジー仮説

 

日本における成人発達理論の第一人者・加藤洋平さんが帰国されていて、先日お目にかかることができました。

 

ちなみに開設から4年経つこのブログを始めるために、最後にドーン!と背を押してくれたというか、崖から突き落としてくれたのは加藤さんです。なのでハスドロの母ですね。
(ブログをやらねばならぬ!というそもそもの動機を育ててくれたのは、規夫さんです)

 

 

来春、テクノロジー哲学に関する書籍を出版されるとのことで、漫才のように楽しいセミナーではそのこともお話しくださいました。他にも「神力」という胸に刺さるキーワードがありましたが、そのことはまた改めて。

 

そしてその夜宿に戻り、私は考えた!

(先に言い訳をしておきますが、今日のブログはいつにも増して支離滅裂です。お覚悟を。)

 

人間存在も、根本のエネルギー以外の部分は道具だとYogaでは考える。そうするとですよ、五蔵を「人間存在のテクノロジー」って言っていいんじゃないの? 

なぜかというと、制御可能だから。訓練とか修行で。
意識的に操作できるようになっているのだから、魂の科学技術なんじゃないの?

 

「魂の科学」といわれるYogaの手法に従い昔から伝わってきている通りに実践すれば、心身は変化させることが可能です。試した人はみんな知っています。何らかの技術で操作可能なのだとしたら、それは道具と見做せるのではないか。

 

肉体と呼吸に関連する部分(神経の働きとか感情)は、割合簡単に制御できるようになります。意思や理智の部分は意識化・客観視が必要なので少し時間がかかりはしますが、新しい情報を採用しそれにYesが言えれば変えることができます。

 

パタンジャリ大師によると、Yogaの目的は心の働きを止滅すること

これはヨーガ・スートラ第1章第2節の大変有名な詩句ですね。
ヨーガハチッタブリッティニローダハ、というアレです。
Yoga仲間なら、「こんにちは」に等しい挨拶レベルの文言です。

 

これは、みんなが振り回されている「心」という道具の働きにより生まれる波(正確には渦)を、Yoga的アプローチでストップできてしまうことを示しています。

(注:ここでこれまで何度も語っているように、Yogaという言葉が示すのは人間存在としての理想的状態=強い歓びの境地であって、ポーズを取ることではないのですよ。Yogaと共に歩む、Yogaとひとつになる、という表現をします。)

 

また、肉体に刻み込まれた過去の記憶と、それにともなう感情の想起によりトラウマ的症状が出るわけですが、これも肉体からアプローチすることで変えていけます(やりようによっては)。

 

そもそも個別の自我が存在するということも、妄想みたいなものだということになっていますので、これも「私が誰であるか」を思い出せれば(観察者の視点が確立すれば)、個別の我という感覚は三次元というマーヤーの世界を満喫する道具となるようです。解脱の女神という大袈裟な名前を頂戴しているくせに未だその境地に立っていませんので、「自我とかただの道具なのよ」と言い切れなくて大変残念です。精進します。

 

さて、混乱しながらここまで書き進め、しかしですよ?
人間が造っていない(造り出せない)ものをテクノロジーの内に含めていいのだろうか?

 

そもそも人ってなに? 
人間の煩悩の最大原因は彼我と真我に関する勘違いなのだから、私が私という時それは真我としての私なのであって、スマホも車もアイロンも、真我以外ではあり得ない人間が生み出したテクノロジーなのであるから、やっぱり心身だって同じようにテクノロジーだろ!と思ってみたり。

 

すみません、もうちょっと考えます。
あんまり考えないでちゃんと実習やりなよ、という声が聞こえてきそうですが。

 

 

 

№845 母校へのご恩返し

南の島のJK戦士から、珍しく「力を貸してくれ」という頼みがありました。

 

フィジーに三年いると、日本人は日本人でなくなりフィジアン化してしまうと聞きました。
国営企業在職中にもVIP(基地司令)が「あたたかいところにある基地だと人が働かないんだよね」と言っていましたが、それと同じような現象が起こるのでしょうか?

 

JK戦士が当地で最も尊敬する日本人だというジュンサクくんは、高校生活をすべてフィジーで送っているらしいので、この日本人フィジアン化の域に既に達しているのでしょうか?きっといい意味で。

 

当然ながらほとんど連絡を寄越さないJK戦士ですが、ある時ある用事で連絡を取った時に、かなり長いことおしゃべりをしました。その時の話題に登場したのがジュンサクくんです。

同じ学校に通う彼は、小柄な体格ながら、立派な体格のフィジアンに混じってラグビー部でレギュラーとして活躍しているのだと。アスリートとしての彼と、剣士魂が響き合ったのかな?

 

最近周囲にラグビー好きな人とそれに関連する人が増えているのもフィジー効果なんだろうなあ(私からフィジー的周波数が発されているんだな)と思うのですが、彼の国におけるラグビーとは国技的なものであって、とっても大事な重々しい競技なのですってね。だからそんな競技に、日本人が加われるというのがとても誇らしいことなのだそうです。

 

そしてたぶんこのジュンサクくんはJK戦士と同級生で、そろそろ卒業して帰国するのです。そこで、お世話になった母校のラグビー部に恩返しをしたいと。

 

フィジーはモノがないんですよね。
JK戦士も現地到着後に「ボールを送ってくれ」と言ってきたことがありました。は?と思いましたが、みんなで遊ぶためだと。体を動かして遊ぶしか遊びがないんだとも聞かされました。送ったボールは学校のスポーツイベントで使用され、校長先生に頼まれて学校に寄付したそうです。

 

と、こういう話を聞いてきたので、ジュンサクくんの、練習に必要な「モノ」を買って寄付したいという気持ちがものすごく理解できたのでした。

 

無事、ご恩返しができるといいですね。
既にお声がけさせて頂いた方々、ご支援くださった方々に、心よりお礼申し上げます。

 

 

camp-fire.jp

№844 美しい花の如く

今日は可愛い我が子の誕生日です。

 

彼女と同じ歳のころ、私はたくましく野山を駆け回っていたなあ。例の、弾が飛び出るアイテム(64式)を手にして。

 

子供が生まれて胸に抱いた瞬間、なんだか世界が「カチッ」と切り替わって、まるで違う世界になった気がしました。パッ!と明るくなった気がしたのです。

 

もうひとりじゃないんだなあ!と思えた。救われた気がしました。

 

だから彼女には、悟りを象徴する花の名前をつけました。自分の感じていた不幸や苦悩が、彼女によって昇華されたと感じたからです。

 

それがインドの国花であり、法華の教えを象徴するものだと知ったのは、随分後になってからでしたが、自分が救われたように感じた、その感覚を無意識に「名前」というものに投影していたことを後になって知りました。

 

軍隊式教育を持ち込んだサイテーな家庭を(何しろ鬼教官だったもんだから)、こどもたちにとって気持ちいいものに変えてくれたのは、規夫先生とのコーチングでした。

 

インテグラル理論に触れて随分経つけれど、ただそれを本で学んでいるだけではない化学反応みたいなものが、規夫さんや洋平先生との関わりを通じて生まれたなと思い、そのことをとても感謝しています。

 

私はやっぱり人のことが大好きで、人との関わりによって自分が変わってきて、それは決してひとりではできないことばかりでした。先にお名前を上げた方だけでない、多くの方が私を慈しんでくれました。今も同じくです。これからも、長くご縁を頂けることを祈ります。

 

そしてそれは家族にも波及して、私が学んだことを通じてこどもたちの世界も楽(sukkah)になったんじゃないかな〜と思います。それって素晴らしいことです。「前はひどかった」とよく言っているので、相当変化したんだと思います。よかったねえ。

 

だから私も、自分が何かを教えさせて頂く方の「その先にいる方々」のことも、いつも思っていたい。

 

受けてきた教えによって、私はものを考え、世界というものを捉えています。その理解は時間をかけてだんだんと深まって、自分という存在に浸透していきます。

 

何か打撃があるたびに、自分自身の自我が揺さぶられて容器のようなものが揺らぐ気がするのですが、たぶん個別の器などはなく、すべて一つの大きな心なのかもしれません(きっとそうだ)。

 

私が従っている考え方では、小さな人間(個我)には何もできません。
すべてが大きな心=純粋意識のなかで、起こるべくして起きます。人間はそれにNOをいうことが許されていません。これが最も重要であるとされるマントラAUMの意味するところです。

 

わかりました、という応諾するしかないなかで、今を決して否定せずに生きる。

 

今、こうであることを許容する。なにもかも、今この瞬間からしか始まらないし、自分を責めることは世界を否定することになります。自分と世界は、同じもので出来上がっているからです。

自分がどんなに愚かで卑小に思えたとしても、私はイマココからやっていくのだと決めて立ち上がる。自分を許せた先に、すべての人を許すことができる世界があります。

 

私は自分のこどもが、私を今のような道に進ませてくれたと思い、そのことをとても感謝しているのです。若いときは苦しいこともたくさんあると思うけれど、すべて絶対者が調和を図ってくれているのだと信じて、今この瞬間ここにいて欲しいと望みます。

 

現実的にはさまざまな事柄が起こり、当然そのことも考えるけれど、伝統的にそういう形で(自分のエネルギーを高め、それでもって)この世界に貢献してきた方々と同じように、私も生きていたいと思うのでした。

 

 

 

 

№843 シャドウワーク前の充電

今週末の加藤ゼミに向けて、貨幣制度について学んでいかねばなりません。

 

このことに関しては以前もインテグラル研究会(怪しい勉強会)で学び、その後、ベルナルド・リエターの本をはじめとして何冊かの本を手にとってぼんやり考えてきました。

 

以前の学びでは「そうか、貨幣制度とはそういうものなのか」と思って終わったわけですが、今回のゼミナールでは他の”あること”(今のテーマはベーシック・インカム)について考えるために周辺を探っているので、なんといいますか?学びの広がりというようなものをひしひしと感じます。

 

これがまた、ひとりで考えていてもドツボにハマって訳がわからなくなるのですが、他のお仲間との暖かいやりとりを通じて、今、新しく知ることとちょっとだけ知っていたこと、そして自分がそればかりやってきたことが、スッと一つにまとまっていく感じが堪らなく心地よいのでした。

 

ま、貨幣制度に関しては

「なんだよ信用創造って、ただの詐欺じゃねえか!」

と暴れたくなる訳ですが、悪いこともみんなでやると堂々としたものになるのでこの世はこわいよね。この世は神のごっこ遊びなのでなんでもありなもかもしれませんが、それにしたってこれは神の遊びじゃないだろ!と思います。人間の考え出した姑息なシステムです。

 

あ、いけない。
こういう話がしたいんじゃなかったわ。

 

そう、このゼミで新しい造語が生まれて、先日来そのことについてずっと考えているのでした。

 

皆様、シャドウワークという言葉はよくご存知だと思いますが、それにじっくり取り組むのは実のところかなり難しいと感じます。

 

シャドウといっても別に怖くも大変でもなく、自分にとって安全に扱えるものしか現れ出ないので、安心して身を委ねればいいと思うのですが、人間のエゴはそういう風には物事を捉えません。

 

なので持論としては、まずチャージされる必要があると考えます。
充電です。

 

ではここでお尋ねします。
今、この文章を読んでくださっている方々の中で、「私は万事OKで、何が起きてもナンクルないのサー。いつも満たされていて、人にもいっぱい分け与えられるよ」と、言い切れる方がどれくらいおられるでしょうか?

 

これが梵我一如の境地です、って言っても、これもまたそんに難しいことじゃないんだよ。ほんとだよ。たぶんきっと。

 

でも「そんなの無理!」と思っておられる方が多いです。愛されていないと思っているから、愛されたい、愛してると言われたい、誰も評価してくれない、誰も褒めてくれない、感謝してくれないと思っておられる方が多いのです。そしてそう思っているから、心が枯渇している。

 

私は、この枯渇感こそ、今すぐに満たされるべきと思います。誤解だからです。

 

そのためには、まず何を持ってしても全面許容。
そののち、本人のタイミングで変容。

 

相手を問題ある存在として見ない。
すでに完璧な存在として見る。
今、愛を必求めておいでの存在として見る。
必要であれば言葉を差し出す。必要であればそっと触れる。エネルギーを送る。

 

そういうことを時間をかけて丁寧にやっていけば、いつかはチャージされます。
そこからシャドウワークに取り組んで、自分の中の「抱きしめてほしい」と望んできた部分を、自分自身で抱き締めていけるようになってほしい。

 

と、いうことで、シャドウワークを補完するワークをしっかり考え抜いて、シャドウワーク&ほにゃららワーク(先述の通りワークの名称はすでに生まれているのですが、ここで私が公表してよいのかわからないので、今は秘密にしておきます)として人にも語れないかなーと、O先生と共に考えたり試したりしているところなのであります。

 

それはボディ、呼吸(プラーナ)、エネルギー、そして言葉を用いたワークになるはずです。