蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№829 潜在的可能性と呼吸

パルスオキシメーターを使った、調気法実験の続きです。

 

と、その前に。


Yogaでは、意識的な呼吸制御を行なっていろんな良い効果をゲットする方法をプラーナーヤーマ(Pranayama)と総称しています。

 

そしてこんな偉そうなことを書いていますが、それはもうハッタリもいいところで、私はYogaそのものについても、その一行法であるPranayamaについても、ちょっとドアを開けてなかを覗き込んだくらいの状態です。

 

そんな程度なのにこれを仕事にできるのは、それくらい伝統的Yogaが内包しているものが濃くて深いということだと思います。

 

うっかり踏み込んだら永遠に帰って来れなくなりそうなので、ドアを開けて首を突っ込んだ状態で止まっていますが、実のところこの先は、ご招待された方しか入れないんじゃないでしょうか。だから私は常に、自分はナンチャッテ・ヨガ教師であると自覚しています。ナンチャッテですが大いに恩恵を受けております。

 

それでね、

 

このPranayamaをやるということは、Yoga的にはどういうことなのかというと、人間としての(人体の?)エネルギー効率が高まるわけですよ。省エネってことです。

 

これまで生きるためにフル回転させていたエネルギーを、他のことに回す。
だからYogaは潜在的可能性を引っ張り出すものと言われる
のです。

 

緊張感を高めずとも活動的になる

と、一般書店では手に入らない名著「プラーナーヤーマの秘密」でナゲンドラ博士が明言しています。

 

みんながストレスフルで疲弊しながらなんとかやってるのに、頑張らないでやれちゃうようになるって、すごくないですか!!!

 

普通だったらあり得ない身体の状態でも、そこでリラックスできてしまうばかりか、なおかつ人間存在の持つ潜在力を発揮しちゃう。

 

私もここに至りたい!


でもその前にやることがある。掃除です。

クリヤといいます。

 

あれ?
パルスオキシメーターの話はどうなったわけ?

そう、今日はそれを話して終わりましょう。

 

まずはコニカミノルタ陸上競技部さまのご協力を得まして、血中酸素濃度とパルスオキシメーターについてご説明します。めんどい人はサクッと飛ばしてください。

血中酸素飽和度とは、血液中の酸素の量のことです。
値は%で表し、血液中の酸素の濃度が満タンだと100%、正常値で99~96%と言われています。

病気や体調不良だと数値が低下することがあり、医療機関では入院中の患者の体調管理や、手術中の容体の変化を監視するためにも使われる、体調を評価する上で非常に重要な数値です。

 

測定にはパルスオキシメータというものを使いますが、洗濯バサミのようなものを人差し指に挟むだけで簡単に測定できます。指先の爪に光を当てて、指の動脈に含まれる酸素の量を測定し数値化、わずか数秒で測定が完了します。

 

疾患にかかっていると95%以下になることが多く、90%を下回ると治療適応のある睡眠時無呼吸症候群である可能性 があるらしい。

 

以上、説明終わり。

 

 

 

さて、このクラスにはヨガ歴10年超の人が二人いますが(うち一人が私です)、その人たちはなにもしない状態で97。当然ながら正常値。
 
ここで調気法による血中酸素濃度の変化を見てみました。

これは私の体験ですが、カパラバティというかなり速い速度で調気しても97から決して上がらない。

しかし止息(ケヴァラ・クンバカ)で95に低下、その後調気再開すると一気に99まで上昇し安定。
 
止息が重要であることはわかりました。教わってきた通りです。
 
意識的止息により二酸化炭素濃度をコントロールすることで、呼吸の質を高められる。(って、皆さんここがよくわからないと思いますが!)
 
無意識の息止めだと健康には害になるのに、意識的にやると健康度を上げるわけです。

が、しかし!

だめ!絶対!! 自己流呼吸法、絶対禁止!!

 

調気は大変強力な行法であり、生命の危険を伴います。マジです。
指導者のもとで安全にやってください。

 

約束だよ!

 

 

 

 

 

 

№828 低め安定

昨晩のリアルクラスで、パルスオキシメーターを使って実験をしてみました。


指にはめて、血中酸素濃度を測ってくれるアレです。
実にシンプルな機械ですが、指を上に向けていると計測不可になります。繊細です。

 

さて、こんなシロモノをお持ちの方は、もちろん必要があってこれを保持しておられる訳です。私の持ち物ではありません。

 

この方は、肺高血圧症という難病を患っておられます。難病指定されている病気です。

 

何が起こるかというと、息を吸っても入らない病気だそうです。聞くだけで息苦しくなりますよね…

 

通常、酸素ボンベを引きながら生活をなさるそうですが、私はその姿を見たことがありません。なぜか?Yogaクラスに出ると呼吸が楽になるので、ボンベが不要だからだそうです。

 

しかもYoga実習をしばらく続けた後、日中もボンベ不要になり、今は睡眠時だけ使用なさっておられるとか。嬉しい知らせです。

 

呼吸が楽になると、体が楽になります。体が楽になると人間何がしたくなるかというと、働きたくなります。ということでこの方も、難病の患者さんとしてだけ生きる人生を返上して、ご実家の柿農家を手伝ったり、介護予防のための施設で人に体操を教えたりするようになりました。私もびっくりしましたが、ご本人が一番びっくりしているそうです。

 


さて、酸素濃度計測実験について。


この肺高血圧症の方は、Yoga実習開始以前が86、現在93で安定だそうです。実習直後は一時的に99まで上昇。99以上ってあるんでしょうか?素朴な疑問。

しかしこの86って相当だよ?

 

かなり苦しかっただろうと思いますが、人間の持つホメオスタシスという超能力により、低め安定でも生存維持できるわけです。

 

ただしこの低め安定の状態で、改善、治癒、成長といった「いい方向への変化」は、すべて無理です。生き延びるのが最優先だからです。それしかできないエネルギーレベル。

 

酸素濃度という指標は、健康を推し量る一要因にしかすぎませんが、宇宙も私も人体も、絶対者ブラフマンの思し召しにより緻密に制御されているのですから、Yogaをやって酸素濃度が上がったら、他の健康要因も連動して変化していくことは容易に想像できます。

 

ならさー、病院も薬ばっか出すんじゃなくて、ちゃんと呼吸できる方法=生存状態を改善させられる可能性のある方法を、教えてほしいよね?なんだかめっちゃモヤモヤするよね。

 

ということで長くなりそうだから今日はモヤモヤしたまま終了、人体実験については明日またご報告します。

 

№827 二酸化炭素研究会(仮称)

 

先日、Oasis Forum2020・透析患者サミットに、ゲストスピーカーとしてお招き頂いたことについてはここでもご報告させてもらいましたが、実をいうとその日は数ヶ月ぶりにO先生とリアルで会えるはずだったのでした。

 

ところがよんどころない事情というか、流行病が社会に与える広範な影響により、O先生が上京できなくなったのです。ガーン!

 

ここのところ、O先生やA子ちゃんとは「メディカルヨーガ研究会」という怪しい勉強会を行っており、週末の夜にZoomで顔を突き合わせて体と呼吸、そしてその関連についてああだこうだと語り合っていたので、これをリアルでやるのをものすごく楽しみにしていました。もう「その場に伏せ!」で号泣したいくらい哀しかった(大袈裟)。

 


とはいえ、O先生はこの日のために体を空けていて下さっていたので、Zoomで長時間にわたりやりとりすることができました。結果的にはリアルに会ってついつい無駄話(私の得意技)を繰り広げてしまうより、効率よく人の役に立てそうな対話ができたのでよかったよかった。

 

 

しかもこの時、超エキスパート臨床工学技士・Oさんとも呼吸をめぐる深すぎる対話ができて、もうあたまのなかをはてな???が駆け巡りました。

 

そして思った。
呼吸、マジですごい。

 

今さらなんなの?

って感じですが、自分が学んできたPranayama(調気法)を、私たちヨーガ教師は西洋医学的にも、解剖学的にも生理学的にも、ぜんぜんちゃんと説明ができていないのです。

 

この事実に直面してもうほんと、ガーン!(絶句)、という感じ。

 

理学療法士さんが知っていること、臨床工学技士さんが知っていること、そして吹けば飛ぶよなヨーガ教師(私)が知っていることを掛け合わせると、もうこれを知ってれば呼吸をなんとかしないといけないこと、それを人に大きな声で知らせなければならないことは明々白々なのに、全然ダメやん今の自分、という気持ちになりましたね。

 

 

呼吸の鍵を握ってるのはCO2。このことは前も書いた気がします。
皆さんの細胞(特に端っこ)にはたぶんきっと、間違いなく酸素が足りてない。

 

ではですね、酸素と二酸化炭素ってどうやって回してるか知ってますか?
全身の細胞に、です。

 

それってね、「落差」を使ってるんですって。
よく考えりゃそりゃそうよね。ガス「交換」なんだからさ。

 

だからですね、酸素を多くしたかったら、二酸化炭素を体内に多くして、酸素がどーん!と入ってこれるような「落差」をなんとしても作らねばならないということなのです。

 

この落差が生み出せていない場合、あなたの肉体の細胞たちは息も絶え絶えでヨレヨレになっており、この細胞の中の発電装置(ミトコンドリアってやつ)も燃料不足で発電ができないという非常事態になっているのです。

ああつらい!しんどい!
だるくて疲れがとれないって、まさにこの状態の結果です。

 

呼吸数を減らすことや止息(クンバカ)の健康効果が大な理由が、ここにあります。

それと脳内の大事なところは、二酸化炭素濃度と密接に関わって機能してるらしい。これも知らへんかった。

 

だからYogaが心理的な症状にも機能するんやな。
これは単に心の問題や気のせいではなかったんだな。

 

ちゃんと肉体レベルにも影響を生んだ結果の改善だったわけです。ほんと勉強不足。

でもこんなこと、ヨーガ療法士養成講座でも教えてもらってないから。ヨーガ療法士養成講座で教わってないなら、たぶん日本中のどんなヨーガ教師養成クラスでも教えてないと思う。

 

で、今日の話は専門的すぎてわけわからんですよね。すみません。

 

この専門的すぎる話を「へ〜、よくわかった!絶対やってみるー」と言わせるために、また新たな怪しい勉強会を始めようと思っています。がんばろう。

 

 

 

 

№826 目を閉じて包まれる

 

今朝突然、マスターまりこ&マスターのおともだちAちゃんがお電話をくれました。

 

お二人は今、新潟にいるとのことで、明らかに車を運転中。おしゃべりの途中、高速道路上に猿が出現したとかで、「サル〜!!!」という実況中継も挟みつつ色々とお話しさせてもらいました。

 

このお二人とお話をして興味深く、かつありがたいのは、お二方とも遠くにいても私のエネルギー(周波数?)をキャッチなさって、「あー、今の発言は自分の本心から外れて揺らいだよ」というようなことをズバリ教えてくれることです。

 

 

昨日、自分軸とズレちゃってる人のいうことは聞きたくないなどとエラそうなことを言っておきながら、実のところ自分だってブレブレなのです!恥を知れ、私。そしてこの二人には、そのことがすぐにバレちゃうわけです。

 

 

ただ救いの種があるとすると、これまで色んな方にお助け頂いたお蔭か、またはYogaで心身を調整することに長けているせいなのか、ブレを修正することができたら「バチン!」と何かがはまって、背筋がビリビリしたり眉間がすーっとしたりするのです。

 

私はこういう方面にはまだまだ暗いため、この感覚がどういうものなのかうまく説明はできませんが、急に息がたくさん吸い込めるようになり、ふわ〜っと楽になれます。この「バチン!」という感じがマスターマリコとのセッション中に起きると、マスターの体にもビリビリ〜!!と電流が走るような感覚があるそうです。不思議だね。

 

 

ということでほんとうの自分とつながっているためには、やっぱり内的感覚を研ぎ澄ませていくようなボディからのアプローチが大事なんだなあと思います。

 

伝統的Yogaでは人間を五層構造で考えますが、いちばん外側が肉体で、いちばん内側の核が、心臓の中の小さな空間に座している真我(Atman)です。

 

そもそもYogaの実践は、それが体操(Asana)だろうが調気(Pranayama)だろうが、この真我=Atmanのエネルギーが邪魔されずにちゃんと流れるようにするためのものです。

 

単にいちばん外側の肉のカラダ(Annamaya Kosha)にだけ働きかけても、それは真我によって生かされている乗り物にしか過ぎないから、健康改善に対してだろうがなんだろうが、あんまり効果ないということになります。だってただの車なんだもん。高級車ですが。

 

「効果ない」という表現を言い換えれば、層構造の中で最も影響力が小さいところに働きかけても、労力の割には改善していかないということが起こります。

 

人間が生きてる因は絶対者ブラフマンにあるわけですから(これは私のお気に入りの表現なので、Sourceでも源でも神でもお好きな名前でどうぞ)、大元とのつながりを取り戻すのがなんといってもいちばんです。というか、それしかないよ!

 

なので皆様も私も、本来の自分でバチン!とはまって、軽やかに心地よくのびのびと生きるために、いつも大元と繋がっていましょう。いえ、「繋がっていたい!」と強く願っていましょう。

 

Yogaの体操をするときにも、目を閉じて、人と自分を比べず、大きなものに包まれる心地で安心して行うのが大事なのはこのためです。

 

ちなみにどんな実践でも、この「つながる体験」にできると思います。ご飯食べる時とか、お風呂に入る時なども。

ぜひ試してみてね。

 

 

 

 

№825 脱・ミッション鈍感

私は人のいうことを聞かないとよく言われている。
まああながち嘘じゃないから渋々受け容れよう。

 

しかしここには反論の余地がある! 

こりすの囁き声で、その見方は8割間違っていると申し上げたい。

 

人のいうことを聞かないっていうか? どういう人のいうことを聞きたくないか!ってことは明確な指針?、いや、嗅覚があるのである。

 

ズバリ、

ほんとうの自分との軸がブレちゃってる人のいうことは、聞きたくないなあ。

 


この仕事を始めて10ん年。生きることに悩んで疲れて、中野先生に助けを求めて約20年。当時の自分は自分が何を考えているのか、マジでさっぱりわかりませんでした。ましてや何を欲しているかなんて。

 

「やりたいこと」が人に乗っ取られた状態。フィットさせるのがすごくうまいが、えーっとそれってほんとに私がやりたかったことだったっけ?と首を傾げながら生きていた。もう病的、っていうか病気でした。診断名ついてた。人に合わせなければ!と、ムリなことばっかり考えすぎておかしくなりました、っていう病名。

 

今は全然それムリ。

 

そういう友達ばかり周りにひしめいてる。
え、やりたくないっす、イヤっすと言える人ばっかり。

 

何飲みたい?って聞かれて「おまかせします(ハートマークで)」って言えない。

 

「あー、このアテならワイン。白、断固白で頼みます。」という言葉がナチュラルに出る。もう考えてすらいない。天から啓示が降りるように「白ワインしかないやろ」と言葉が出ちゃう。神のお告げレベルである。

 

 

自分は何がよかったんだっけ?!と悩んでしまう生徒さんに、私が出す宿題がある。

「これから家に帰って寝るまでの間、すべて自らの選択として選び抜け!」

 

例えば、ぼんやり道を選ばない。ぼんやり音楽を聞かない。ご飯を食べるときになんとなく食器を選ばない。なんとなく飲食しない、など。

 

今日、この瞬間、私はこの道で行く!
今はなんとしてもこの曲が聴きたい!
今日はどうしてもこの皿で食べたい!
今日はビールじゃない。どうしてもワインがいいけど今ここにないから、心の中にワインを宿しつつ、恋焦がれて寝る!

 

とまあこんな感じ。あー、暑苦しい。

でも、こういう訓練を繰り返していくと、ちゃんと「ん?」って思えるようになると私は思っている。この「ん?」っていうのが、本来の自分とズレているサイン。

 

 

意識は必ず統合へ向かう

 

正しいベクトルに向かうとき、内的には 安らぎ、喜び、静寂、神聖さ、愛、創造性、充実感 という感覚がある

 

それが皿だろうが道だろうがビールだろうが、自分の内的感覚とバチッ!と合ったとき、息が深く吸い込める。うん、これでいい、いや「これが」いい、これでなくちゃダメなんだって思える。

 

 

私は正しい方向=私の魂がYes!と言っている方向に、向かえているのかどうか? 

うん、いいんじゃない?という安らかで満足する感覚を感じているか?

 

Yogaの身体的実践は、この感覚を明確にしてくれるものだと思っている。

 

体は決して嘘がつけないのです。しかし、嘘はつけないのだが、低め安定で頑張ってしまえるという驚異的適応力を発揮してしまう。このときに使うのが「感覚を鈍くさせる作戦」、名付けてミッション鈍感

 

身体的鈍感力が上がっている人は、不健康方向に突進してしまいますので、メディカル・ヨーガ的実践で鈍感スイッチを早急にオフにしてください。いつでもお手伝いします。

 

 

断固白ワインで、って書いてるとき、Kさんちで死ぬほど飲んだことを思い出しながら書いた。そろそろまたお邪魔したくなってきた。

 

 

 

 

№824 すべて完璧

今日は月一度の講座の日でした。少数精鋭?の超こじんまりとしたリアルセッションです。

 

私は営業活動をほぼ夢でしか行わないので、秘密結社の集まりのようになっていますが、参加している方々のここ数年の内的な変化と、それに伴う現実の変化を見るととても感慨深い。

 

特に、参加者の日々の生活の中で起きる事象が、大きな意味合いでシンクロしていくのが非常に興味深いです。

 

 

最近の私は激しい苦悩(私的、内的に)のなかに生きていたのですが、今は大きな変化の中に身を置いています。また泣いちゃったけど、みんなが助け起こして涙を拭いて、慰めて話を聞いてくれるので、最後にはエヘヘと泣き笑いをしながら「ありがとう」とお礼を言えました。

 

 

この道を選び生きはじめてから、自分に嘘をつくことがどうしてもできなくなりました。これは世俗的な決まりとかそういうことに従うということではなくて、私にとって座りの悪いことはできないとか、きれいだと思えないことはできないという感覚です。

 

私にとっては座りが悪くても、そこでばっちり座れちゃう人もいます。でも私は座り心地が悪い上に、それがすごくストレスになっちゃうということになる。その感覚を大事にするということが、自分に嘘をつかないということです。私にとってはね。

 

そこを曲げちゃうとチャクラがズレるっていうか? そんな感じです。

友達のよっちゃんの造語に「もやもやステイ」という名言があるのですが、まさにそんな感じで、もやもやしながら「待て!」と言われてもう泣きそうな感じでした。いや、マジで泣いてました。

 

それで一生懸命ちょっと違う座り心地で頑張ってきたのですが、頭がおかしくなりました(当社比)。ホルモンがおかしいっていうか? 扁桃体暴走モードで、鍼の先生には「肝の脈がどうしても調わん」とよく言われていました。

 

が、しかし。


絶対者のお仕事はいつも申し上げている通り、常に緻密にして完璧。

私に起きたことも、受講生の皆さまの身に起きたことも、絶対的必要体験だったのです。

 

 

そもそも変化・変容というものは、今のマジちっちぇえ!!自分にとっての「不幸的体験」を通じてしか起こり得ません。インド5000年の智慧・Yogaの教える通りです。

 

この不幸的体験に関係者がいたとすると、それはすごいご縁で、ありがとうを何千回言っても足りないくらい。

 

”リアル私”をご存知の方は、(言いたくないけど)私のエネルギーと圧の強さと、声の大きさと口の達者なことはよくご承知のことと思いますが、かなりひどいことも平気で言っちゃう悪いヤツなので、自分のやらかしたこと、言っちゃったことを思うと穴があっても入らせてはもらえないだろうと思うくらいなのですが、

 

でもしかし。

 

ここのところの私は、マスターマリコのご支援の賜物か、こんな自分でも容易に許せちゃうのでした。ダメな自分でもOKと思えると、許せない人はこの世に誰もいない。自分が一番ひどいから。

 

だからありがとう、ごめんね。一緒に体験をしてくれてありがとうねって、いつも私に関わってくれているみなさんに、申し上げたいと思います。

 

ありがとう。ごめんね。
あなたはいつも揺るぎなく、あなたの最高最善を求めてね!

 

 

 

№823 OasisのしあわせなForum2022

 

先日、Oasis Forum2022にゲストスピーカーとしてお招き頂いた。
今年からは「透析患者サミット」と名称も新たになり、その記念すべき初めての会でした。

oasismedical.or.jp

 

Oasis Forum=透析患者サミットってなんなん?

ということですが、これは敬愛するリーダーが透析患者さんのために年に一回開催している会で、私は三年前から参加させてもらっている。これまでは単に自宅でお茶を飲みながらリーダーのお話を聴く側だったのに、今年は画面の向こうにいる人になったってことです。これってすごいことやろ!大出世ですよ。うれし〜

 

そこでなにをお話しさせて頂いたかというと、ズバリ「健康」。私のど真ん中!

 

何十枚もスライド作って、時間が足りなくなって弾丸トークでまくしたてたという、反省しかない結果に終わりましたが、心優しいリーダーはじめスタッフの皆様は一応褒めてくださった。しかもお礼までくださった。なんだか申し訳ないけれど全力でやったからいいか!ということで。

 

 

Well-being、要するに健康について、みんなあんまりちゃんと考えていない。

 

神は細部に宿るのだが、同時に全ての存在理由でもある(この神は髭を生やしたおじいさんじゃなくて、すべての因である絶対者ブラフマンです)。だから大きな枠組みで「健やかであること」をちゃんと見つめていなければならないと思う。

 

医療機関でこういうことを考えている人が、悲しいことにほとんどいない。部分末端に何か手当てをするだけじゃダメなんだ。だから、クリニック経営をしながらそれを取り上げちゃうこのForumは、ほんとうに!すごいんだよ。

 

患者さんは実は不調にばかり目がいくから、目的が「健康やしあわせ」に据えられていない人がすごく多い。

そのことについてこの会でハッとした人が、一人でもいてくれたらいいなと思う。

 

 

私たちが欲しいのはしあわせ。
しあわせに生きるための土台として、健康がすごく重要。
なにに向かって自分の提供サービス(私の場合メディカルヨーガ)があるのか、一瞬たりとも忘れてはならないと思う。

 

私は生徒さんをしあわせにするお手伝いがしたい。
ほんとうは人間存在とはよろこびそのものだから、正確に言うとしあわせであることを忘れてしまっているだけ。このしあわせな状態に「戻る」ことが”Yoga”という言葉のほんとうの意味。

 

しあわせであることを思い出すために、いろんなやり方がある。そしてこのForumやリーダーのやっているお仕事は、正に「それ」なんだと思う。

 

だからこの組織やそこで働く人たちのことを、私はすごく尊敬している。もっともっと世の中に認知されて欲しいと思う。自分にできることはやっていかないとな!と心に決めている。

 

 

透析患者さんのための会で話すことを通じて、私は本来的な意味での”Yoga”のために働いた。

それってよろこびそのものでした。貴重な機会を与えてくださった関係者の皆さまに、心からの感謝を。そしてますますのご発展をお祈りします!