蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№684 胸毛OK!

胸もとに水の反照うけて立つきみの四囲より啓かるる夏  横山未来子

 

 

 

6月7日
名古屋からのぞみに乗ったところ。
今朝5時半出発の伯備線特急やくもに乗車し、いったん名古屋で下車。所要を済ませ再び名古屋から品川へ向かっている。

今朝、家を出ようとしているとなんだか具合が悪くなってきた。タクシーのなかで運転手さんとアレコレ雑談しているときはまだよかったのだが、予約した切符の発券を待っているあいだにだんだんイヤーな感じになって、ようやく機械の外に出てきた切符をつかんでお手洗いに走った。

ところでJR米子駅みどりの窓口は、ようやくできたと思ったら(現在大規模な改装工事中でいったん消滅した)オープンの時間が6時以降に変更になっていた。駅もがらんとして人気がない。岡山駅の新幹線ホームも似た感じでまるで廃墟のようだった。

そう、具合が悪くなったのだった。吐き気はするわ、お腹は痛いわ…幸い今日は早く家を出たので20分ほど時間の余裕があり、しばらく座って静かにしていたら少し収まってきた。「やくも号参りますー」というアナウンスが聴こえてきたのでふらふら(このふらふらはいつものふらふらとは違う、マネして欲しくないなふらふらである)改札を通過した。

今朝は冷えた。ぺらッとした半袖を1枚着ていただけだったのだが、その恰好が「気でも狂ったのか?!」と言いたくなるくらい冷えた。ホームでごそごそと薄手のコートを取り出して着込み、やがてきた列車にふらふら乗り込んでコートを着たまま深い眠りについた。

昨日、出張前で準備等々忙しいし、夜のレッスンが入っていたこともあって夕食を摂らなかった。14時過ぎに松江のカレー屋Spiceでランチターリ(定食)を、カレー1種追加(たまご、ほうれんそう、豆)をバスマティ米で食べそれっきり。当然朝食はいつも摂らない。心地良い空腹感だったのだが、そこに今朝MCTオイルを投入したのがいけなかったのだろうか? 夜半、猫が足元にいないことに気付いてそのあと熟睡できなかったのもいけなかったのかもしれない。なので今朝は3時から起きていて、5時半にやくものなかで寝て、目が覚めたら7時でそこは備中高梁だった。先日出た黒い厚い本も持参しているのに、どうにも集中できない。やれやれ。

名古屋駅を出るとき、このまま何も食べずに品川まで行っちゃうかーと思ったのだが、今日は到着後ホテルに荷物を置いたら,、すぐに山手線に乗って某所まで向かわねばならない。誰とは言えないがスキンヘッドの、最近本を出した方とヤキニクを頂くためである。これもあんまり言えないのだが、その店ではみんながダイスキな泡の出る麦の液体などを提供してくれるという情報をキャッチしている。

ヒトといういきものは、なによりも自らのことを理解していない。
だからこそYogaではとことん“自分”というもっともアホないきものを見つめることを通じて「あー、またやっちゃった!」という嘆かわしい事態を回避しようと努めるのであるし、このもっとも謎めいた存在を知ることを通じて、他者理解を深めんとしている。

さすがの私も、いくらアホでもわかる。この断食状態でヤキニク屋に入り、みんながダイスキな飲み物をオーダーしたときに、この自分が「あ、今日ちょっと調子悪いんでウーロン茶にしときます~」というコトバが、絶対に、言えないことくらいわかる。だってほら、皆様ご心配なさるじゃない? そのお心を思うと「飲みません」なんて口が裂けても言えないわ!決して飲みたいワケじゃなくって。誤解なさらないようにね。

で、このままいくとすきっ腹にガツンと打撃を受けて即座に千鳥の舞でふらふらになってしまう恐れがあるので、やむなく先程さば寿司(化学調味料無添加)を食べた。

いやー、美味しかったなあ!
なんで早く食事しなかったのかなあ。
正直言ってご飯食べるの面倒になるときあるよね。私だけじゃないよね。

これで敬愛するスキンヘッドのあの方とのヤキニクも、みんなダイスキなあの飲料も楽しめる気がしてきた。
みんなもムリな断食しないでね~、絶食は18時間までにしてねー。

 

 

さて、今日は11時からこれまた某所でとある施術を受けてきた。そんなつもりなかったのだが、30年ものおつきあいになるCIDESCOライセンス保有エスティシャンのT橋先生が、ワケあって施術をプレゼントしてくれたのである。目や鼻や口のある部位を撫でまわされるだけでなにゆえこんなにも心地よいものであろうか。最後は気を失っていた。

 

担当H木26歳は母上もかつて同じ職業だったという2代目、現在絶賛恋人募集中の愛くるしい女子である。施術中にアレコレ話をするのもなかなか面白い。ついつい色々聞き出してしまう。

最近の男子はヒゲを脱毛するんだぞ、そういう時代なんだ、とリーダーが言っていたが、そんな男子は私のまわりにいない。よく考えると私のまわりにいるのはオヤジだけなので該当者が存在しないだけか?しかもけっこうヒゲモジャ度が高い。リーダーの言ってることは都市伝説で、口裂け女と同じレベルなんじゃないのー?と思ったので担当H木に尋ねてみた。

すると「そうなんですよ!今はツルっとしてないとダメな時代なんです~」とかいう。
マジで?!リーダーウソ言ってなかった!



しかし私はあえて問いたい。
みんながツルっとしていたら「わあ、この方は男性ホルモンがバンバンに出てて、まるでニコラス・ケイジだわ(ハート)」というのをどこで確認するんであろうか? 担当H木もそれは懸念するところだそうで、「どんな人がタイプなの?」と訊くと「昭和です!」という。昭和=ヒゲあるってこと?ふーん、昭和ってそういう使い方するんだ…

いつも私と遊んでくれ…おっといけない誤解が生まれる。私と飲んで(東京、今飲めないけど)くれている昭和の男子&オヤジのみなさま、私は昭和ぜんぜんOKだから!なにしろスタンダードがニコで、昭和より濃いから。これから暑い夏がやって来るけどもちろん胸毛もぜんぜんOKだから!

でも、シャツの下のランニングは許しません。
シャツは素肌に直に!
エージェント№007の法則です。胸毛はOKだけどランニングが透けて見えたら「今すぐここで脱げい!」とシャツを引っぺがしてしまうかもしれない。
昭和男子、がんばれ!

 

 

 

 

あー、なんだかさば寿司食べたら元気出てきちゃって暑苦しい内容になっちゃったな。せっかく施術中に「30代かと思ってました!」って担当H木がアゲてくれたのになあ。

 

 

 

 

№683 ほんとの大物

狂ひの子われに焔の翅かろき百三十里あわただしの旅   与謝野晶子

 

 

 

 

6月6日
先日JK剣士に「ママは声がちっちゃいからな~」と言ったら、「M本センセイと同じこと言うなよ」と叱られた。

よいこのみなさんに解説しよう。M本センセイとは、JK剣士が通うガッコウの家庭科の先生でありながら、鳥取県ゲゲゲの鬼太郎市にある道場の指導者である。当然剣道、そして七段。女性で七段ってかなり凄いことなんである。ちなみに、未だ女性八段(最高位)はいない。JK剣士は小学生の頃から合同稽古などでお世話になってきたのだが、たまたま数年前このガッコウに赴任しておいでになり更にご縁が深まった。JK剣士が敬愛する先輩を育てた恩師でもあり、海のように深い愛がひしひしと感じられる偉大な方で、ハハもご尊敬申し上げている。

家庭科のセンセイであるがメチャ豪快。へんてこりんな時期にいきなり留学でもない渡米をしでかして大いにひんしゅくを買った感のあるJK剣士に対し「いいなー!!私も行きたーい!!」と大声で言ってくれて救われたらしい。学校のどこにいても「あー、またM本センセイがデカい声で喋っとる…」とわかるほど声が大きいそうである。そりゃまあ剣道の指導者だしねえ。そのM本センセイは日頃「私、声ちっちゃいから」と仰るそうで、それと同じこと言うなよとツッコまれたのだった。うーん?ママはM本センセイほどのことはぜんぜんないよねえ。武道だって銃剣道たったの初段だしねえ。

 

 

さて明日から出張。今回は短い(当社比)。なのでコーヒーミルを持参するのは諦め、挽いてもらったツボイブレンドを発送してもらった。出張の後半には風味が飛んでいるだろうがそこはもう仕様がない。人間ガマンが必要なときもある。

長女ぶーちーが「そろそろマメが切れそうなのじゃ…」と中毒患者の断末魔の声(LINE)を寄越すので、今日はJK剣士を連れて出社したのだった。門脇師匠はJK剣士に「いらっしゃい、じゃなかった、おかえり」と声をかけてくださった。他にも、私に札を握らせて「頼む、これで豆を送ってくれ…」と縋る中毒患者が都内にいるので、こちらも早めに豆を手配しておいた。やはりこの味を教えてしまった者として責任は取らねばなるまい。安心しているが良い、都内の信者たちよ。これでしばらくは禁断症状に苦しまなくて済む。来月はスペシャルなアイスコーヒーをおまけにつけてあげるからね。


久々にJK剣士とドライブをして楽しかった。スティービーワンダーの曲を聴きながらアレコレ話をした。私は“My Cherie Amour”と"You are the sunshine of my life"が大好き。ま、そりゃみんな大好きよね。で、このCherieってどういう意味なんだろう、cherryかなあ?と言いあい、好きな人のこと「さくらんぼちゃん」って呼んだりするんかな、日本語でなら「さくちゃん」か?とJK剣士がいうので、その愛称で呼ばせて頂いているある方のことを思い起こしてフキ出してしまった。これをO先生が読まれたら同じくフキ出しちゃうだろう。さすがに「さくらんぼちゃん」って感じではないんだなあ。真相は先程調べてようやく知ったが、フランス語なんやね。そらわからんわー。

 

 

今朝、ある方との定期のセッションだったのだが、はじめAsana重視であったものがだんだんダルシャナに比重が置かれるようになってきている。現にこの生を生きることとYogaの智慧を結び付けて対話するというのは非常に豊かな経験で、語っても語っても語り尽くすことが無い。療法士仲間のSちゃんやY先生ともそんな対話を幾度もさせてもらい、その都度「やっぱりYogaはすごいなあ」という嘆息で〆られるので、今日の私の感慨を両先生が聴いたらすごく喜んでくれると思う。

Yogaを指導させてもらう機会を与えられて、ほんの僅かとはいえ時が過ぎた。この間にようやくアシュタンガ(ラージャ・ヨーガの八支則)やヤマ・ニヤマ(禁戒・勧戒)の言わんとするところや、それに関するわかりやすい解説を行えるようになったし、私自身も自分の修行が足りないという恐れや焦りのようなものから解放されて「だいじょうぶです、それでいいのだ、なんくるないサー」と平然と言えるようになった。時というのは偉大な教師である。まあ時間自体が幻だというので、なにかを知ったような気がするのも夢かもしれない。そもそもこのツボイなるものが幻なんだからして仕様がなかろう。そいでよかと、よかっちゃけん、である。


今日松江市内をふらふら走っていたときに「いやー、あの時、家を手放してほんとうによかった」としみじみ思った。かつて私は今よりずっと救いがたいアホで、約百坪の土地に52坪の家を建てて借金大王になった。建てることになった経緯がなにしろアホだったが、でもそれは愛だったと思う。愛が壊れたと思ったとき、なにがなんでもその家を手放したくてかなり激しいウルトラCを繰り出して家は無事手放せたが、私は今でも家人から恨まれていてたぶん一生恨まれっぱなし。それでもやっぱりあのときあの決断をして良かったなと思うし、あの経験があって良かったなと思える。

最近まわりにいるひとがフリ切れている人ばかりなので、当時私が自分のことを借金大王だと思っていたこと自体が間違っていたことがわかった。ホンモノの借金大王はケタが違い、愛のサイズが違う。私なんてしょせん小物なのである。だからこんなに声もちっちゃいし気も弱い。数年に一度風邪もひくくらい体も弱い。あと何万回か生まれ変わったそのときには私も大物になれるかもしんない。その日のために修行すべし!

そういえば今日、米子のナンチャッテ高島屋さん美術部からお電話があって「茶道具きたからお金払ってね」と言われた。アイヤー!と思っていたら「そんな金額でガタガタ言っとったら、マジチキンやで」と、マスターマリコの下で鍛えられてきたJK剣士にも言われ、こらもうハラ括らないかんわなあ。これでビビるところが小物であるが、「そのときの私はいったいなぜ『買います』と言ったんかな」とその当時の自分に説教してやりたい気分。いやしかし、道具との出会いは運命と言いますから。

さて明日の始発やくもに乗って、ほんとの大物に会いに行ってくるかね。
もう一人の大物の帰国も、首を長くして待っている。早く会いたいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

№682 暑苦しい女

ばらばらですきなものばかりありすぎてああいっそぜんぶのみこんでしまいたい  笹井宏之

 

 

 

 

6月5日
今日はインハイ予選だった。無観客試合なので、保護者のYさんがご尽力くださってYouTubeライブ配信で応援することができた。出場しないJK剣士はガッコウで授業を受けねばならないので、先輩と後輩の女子個人戦をリアルタイルで見ることができない。

昨夜ベッドの上で本を読んでいたら、ママは土日仕事かと問われた。だいたい米子滞在中の土日はガッチガチに予定が詰まっているのだが、今日明日だけはなぜかスカスカだったのでその旨伝えたところ「配信があるので、うちに代わって応援をよろしく」とのことだった。JK剣士が出てなくてもそんなん当たり前なんだけど、あえてそれを言ってくれた心根に感動した。


で、第1から第4までの試合場の動画をすべて立ち上げ、ウロウロしながら試合を見て結果を記録しJK剣士のLINEに送りつつしていたのだが、4つの動画からぜんぶ音声出すとすごい臨場感。ちょっとびっくりした。ここはまさに現地です、という気分。

デジタル機器はエネルギーがそのまま伝わっちゃう、という話を以前も書いたが、今日はそれを激しく実感した。ある意味、武道館で4つの試合場ぜんぶを遠くから眺めながら応援するよりも激しく“何か”が伝わってくる。それは「弓と禅」でかたられるところの、“それ”がまさにそこにいるという感覚。

たいへん残念なことながら女子チームの仲間は初戦敗退、優勝はJK剣士の友達(別の高校)のKちゃん。Kちゃんの剣はなぜこんなにもブレや迷いがないのかと思ったし、同時に、中高一貫校で長くチームメイトとの関係性を深めていくJK剣士たちの、敬愛してきた先輩方が昨年無念の涙をのんだ様を目の当たりにした深い悲哀とその心の傷のようなものも感じた。

しかし1対1の勝負は怖いね。丸裸にされる。今回JK剣士が出場しないことで団体戦への出場がなくなったわけで、それに関して先輩がなんと思っていたのかはわからない。JK剣士にとってとてつもなく勇気が要る決断だったんだと、今日初めて深く理解した。

でも、今のJK剣士の瞳に迷いやブレがないことが大事だと思っている。時に人に嫌われ憎まれながら自分の道を切り拓いていくしかないから。がんばれ、JK剣士。秘密の紳士が、きっとまた五反田でシウマイを食べさせてくれるぞ。

 

 

さて今日、ずいぶん落ち込んでめそめそしていた。
わかる人にはわかる、わからない人にはまったく意味がない「魁罡」という星をもって私は生まれてきているそうである。まあこういう決定論(あなたはこうだから、こうなるしかないのよ)っていう考え方はエネルギーレベル的にも低めに測定されるということなので、単に「へーそうなんだ」と思う程度のこと。しかしどのような視点にも一片の真実アリ!

この「魁罡」は、道を切り拓いて人を導くというような意味があるらしく、4つの星まわりがそれに該当する。4つのなかの2つが特に強いらしい。そして私はその強いひとつをバッチリ持っている。
自然物に例えると初夏の海だそうで、揺らぎやすく様々な気持ちを内包し、その揺らぎや不安定さが芸術的才能として花開く場合があるそうな。ほうほう。龍のように高い視点からものごとを客観的に見て「何とかなるっしょ」といいつつとことん粘り強い気質をもち、女性は美女が多いらしい。あらやだ、てへっ。

また常に冷静である反面、愛情はやはり深い海のごとく豊かで、 一度惚れてしまった人には甲斐甲斐しく愛情を注いでいく。しかもブレーキがないのでとことん素直に相手を愛します、ということである。ほー。性格を理解してくれる相手を見つけることが大事。その深く一途な愛情をしっかりと受け止めてくれる懐の深い人がおすすめ。ほほー。

確かに規夫師匠はじめ敬愛する方とのお付き合いが長く続いていくのは、こういったエネルギーを有しているお蔭なのかなと思うことがある。ただねえ、私は情が深すぎるんである。ご心配申し上げたりするうちにヨレヨレに疲れてしまったりする。これが相当に疲れる。ふだんはけっこうクールで飄々としていると言われることも多いのだが、まあこどもたちへの入れ込み具合も凄いので、これはぶーちーやJK剣士がよく理解していることだろうが何かしら関係してんのかしらね。

ん十年前、北九州のとあるまちでウッカリ占い師に掌を預けてしまった私は「あなたみたいな強い運勢をもった女はなかなかいない。うっかりSexしたりしたらゼッタイダメ。情が深いから深い入りして大変なことになる。結婚は誰としてもうまくいかんよ!」と言われたことが今も忘れられんのであるがこれけっこう当たってたし、教えは固く守って生きてきたよ。名前も知らないあのセンセイ、なかなかの人だったんじゃないだろうか?

あ、そうそう。めそめそしてたんでした。
こんな暑苦しい性格の私は、暑苦しすぎて根本的には人に受け容れられないんじゃないか、という乙女チックな悩みで悩んでいた。なんてかわいいのかしら。先程JK剣士と温泉に行ったとき「かくかくしかじかで悩んじゃってさー」と話すと「うん確かに、暑苦しいやつは嫌われるよな」とズバッと言われた。え…なぐさめてくれるんじゃないの?というと「慰めが欲しいわけ?」とまたもやお厳しい言葉。

いいもん、ハハは暑苦しくってけっこうですよ。ふーんだ。
Yoga修行がんばって暑苦しいまま解脱の境地を目指すべし!

 

 

 

№681 遠隔でやらせて

物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づるたまかとぞ見る  和泉式部

 

 

 

 

6月4日
昨日、西部地区中総体が開催されたとのこと。JK剣士がJC剣士の時以来4年ぶりに男女アベック優勝を果たした米子H斗。ほんとに素晴らしい、ほんとによかった。この数年間、女子は団体戦に必要な人数が揃わず、5人そろっているチームに3人で対戦してきた。こういう戦い方ってけっこう厳しい。みんなたくさん口惜しい思いをしてきたはず。せっかくの戦果なので、今年は川崎市で開催される予定の全中もぜひとも開催して欲しいし、そこへ向かうための県大会でも勝利を手にして欲しいと思う。

そして明日は鳥取県インハイ予選。エントリーの時期に渡米して不在だったJK剣士は出場しない。不戦JK剣士はガッコウでお勉強である(2カ月サボってて色々ヤバいのだ)。先輩のAちゃんと、稽古相手として同行する後輩Nと固く握手をして健闘を祈ってきたとのこと。

数日前、もう以前みたいに剣道に燃えることができない、という話を聴かせてくれた。中1のとき全国に連れて行ってくれた先輩たちと、高1でまた同じく団体戦のチームが組めるということが当時のJK剣士には大事な目標で、その時までにもっと強い自分になっていたいという思いが強くあったことは傍から見ていてひしひしと感じた。

このときまでに色んなことがあって当時5人いたメンバーは3人になってしまったけれど、3名全員が全中経験者として試合に臨み、5人揃ってるチームに勝って「残念だけどインハイは5人いないと出れんからあんたらに譲るわ」と言ってやるという夢を抱いていた。それが夢じゃない三人だったと思う。

去年その夢が潰えたとき、自分もつらかったろうけれど、先輩の気持ちを思うと何も言えなかっただろう。そしてJK剣士たちの気持ちって、彼女たちにしかわかんないよなと思う。それでも人は生きていかねばならなくて、そんなのどうってことないよという大人にも笑って見せながらJK剣士たちは成長していく。今は海外の高校に留学したくて、色々考えている。そもそもたった二カ月とはいえ、16歳で渡米できるなんてこともまるで思ってもみなかったから、この先のこともアレコレ考えて「ムリ~」なんて言わずにまっすぐ夢を追っているのがいいと思う。

 

 

週明けから上京なので、今日は美容院ら鍼治療や銀行やらに行ってきた。まつげ増毛がなかなか楽しかったので、今月も引きつづきやってみた。キスできるくらい激しく接近すればわかる、不思議な色のまつげもくっついている。先月同様長女ぶーちーが超接近してきて「わー、ほんと!」と驚いてくれてハハの心を慰めてくれるはず。先月の出張時にやらかした食中毒の影響も消失しつつあり、胃の脇に多少のグリグリを残すのみとなった。来週にはすっかり軽快していることと思う。


昨日とってもいい気分(素敵な感覚)だったから、昨夜のリアルセッションでは数名の参加者様に靈氣をさせてもらった。「たぶん今日すごいから」と言ってみたが、「今日すごかった」との反応だったので気のせいじゃなかったみたい。
そして今日はマスターマリコに「ちょっと靈氣力すごいかも」とお伝えしたところ、「遠隔でやってよ」と仰るので5分ほどやってみたら、やってるこっちもすごかった(ビリビリくるかんじ?)。マスターからは「すごいすごーい!感謝のエネルギー!」という評を頂いたので、うれしかったな。

調子に乗って、もっと遠隔実験をしてみたくなったので、明日O先生が実験台になってくれることになった。我こそは~という豪気な方からのご連絡お待ちしております。ぜひ!


昨日私が感じた感覚は、ずっと私が探し続けてきたものだったのか?
という問いを、マスタ―マリコを通じて私の「自己」に聞いてもらおうとしたのだが、完全にノーコメントだったという。こういうバカバカしい問いには答えてくれないらしい。実にエゴイスティックな問いをしようとしていたんだと思い知らされたから、あえて問うてよかったと思う。


感覚や、その時読んでいる本や生徒さんが聴かせて下さることがシンクロして、「ああ、なるほど」という気付きを多く頂いている。
誰も何も欠けたところなどないから、探したり埋め合わせたりする必要はないんだ。きっと今このあるがままで安心していていいし、今この瞬間、今この状況のまま安心していると決めると、世界が変わって知覚できるんだろう。新しい見え方ができるようになるんだろう。

すべて私のなかで起こっている。なにかが生まれようと、なにかが壊れようと、なにも怖いことなんてないんだと思う。

すべてのひとが美しいと思う。

 

 

 

№680 まぼろし

掘り下げてゆけばあなたは水脈で私の庭へ繋がっていた   笹井宏之

 

 

 

 

6月3日
今日は私にとって特別な日となった。

米子に滞在している間は、出張には持参出来ない本を読む。荷物になっちゃうから、もって行けないやつ。毎日ほんの少しずつしかめ読ないので何年越しもの読書になる。夜やすむ前に「正法眼蔵2」「コーラン1」「マイスターエックハルト説教集」、そして起床後には「奇跡のコース第二巻 学習者のためのワークブック」。

「今日という日は、レッスンをあなたが実感できる日です」とある。
そのとおりになった。

 


ここ最近ずっと心にかかっていることについて今朝もまた考えて、愛情を与えてくれる存在に対する依存から脱することなくして、わたしの解放は達成されないのではと悩んでいた。

Yogaが目指す境地は「隷属からの解放」であるからこそ、私はどんなものも依存したくない。その“なにか”があるからしあわせだ、と思うことはDukka(苦)そのものである。と、今朝まで思っていた。

ところが、今朝JK剣士を学校まで送って行く車のなかで、本日のページの冒頭部分の音読を頼んだら

「苦痛は間違ったものの見方です。それは自己欺瞞の証です」

ときた。聞いた瞬間「参ったな~!」と思って思わず笑いが出た。

無事JK剣士と防具を学校におろして家に戻り、門脇コーヒーを頂きながら残りの部分を読む。

「あなたに苦痛を与えるのはあなたの思いだけです。」
うん、まったくYogaの教えどおり。

「あなた以外の誰もあなたに影響を与えることはできません」
これも同じく。


ここ数日、以前(約1年前)の自分だったら絶対怒ってただろうな~という場面で、ぜーんぜんハラが立たないという経験をした。アレコレ言って差し上げた方がよかろうなあ、と思いながらその場に臨んだら、目の前の方のお話にすうーっと引き込まれていき「今は」これでよかろうもん、とも思った。


同時に、なるほどコーザル(元因)とはこういうことかと思えた。
元因、微細、粗雑という三つのカラダを明確に言語化できる気がした。(ホントにできるかどうかはわからへん)

なにも問題は無かろう、これで良し。
恐怖も葛藤もないと思えた心持ちのなかで、学校行事により昼過ぎに帰宅したJK剣士と一緒に、ひじきとえんどう豆の煮物とナスの炒め煮を食しながらアレコレ話をしていた。折よくJK剣士があちらから送った荷物が到着したので、それを開いてお土産を手にお土産話を聴きつつ対話していたら、「ほんとーにママは変わってるよな」としみじみ言われた。なにゆえ?

 

 

今日はあんまり長く文章を書けない気がする。
そもそもパソコンにもスマホにも触りたくなくて、朝からずっとクラシック音楽ラヴェルの「ラ・ヴァルス」などなど)を聴いたり、三絃を演奏したりしながら、至福の時を味わっていた。もう今日のブログムリやなーと思ったくらい。


すべてみなあるがままで尊い。その苦しみの、目に見える結果をなんとかしようとするのは愚かである。現象の世界をなんとかしたいのならば、より精妙で力の強い部分に働きかけなければならない。10数年Yogaの学びのなかで耳にタコができるほど聴かされてきた事々。

しかし今日このとき、私は御師様方に言われてきたことが「わかる」気がする。
なぜそう思えるかというと、私自身がしあわせで安全に守られていて、なんの不足もないように感じられるから。頭ではなく、体感としてリアルに。

だれもみな自分のペースでよい。教えは、準備ができたときに触れることができる。Yogaは、準備ができたときに師と出会える。

かつて私が拝受した瑜伽名は、直訳すると「隷属からの解放を好む女神」。なにものにもとらわれず生きたい。あるモノやヒトが好きでたまらん!というのはイヤだと思ってきたが、ある対象を好きでたまらないという経験を通じて今日の気付きが生じ得たと思う。解放はあらゆる路からやってくるから「こういうルートで頼みます」というのは単に自己中心的な思いだということだろう。どの道を通っても同じところに到り得るならば、愛情たっぷりな道の方がいいに決まっている。

今日のハナシはYogaネタパスの人には全然おもしろくなかったかも。ごめんね!でもこれ、すごく大事なハナシだから。うん。

 

 

 

苦痛は幻想である。喜びだけが真実である。苦痛は眠りにすぎず、喜びは覚醒である。苦痛は欺瞞であり、喜びだけが真実である。
“A Course in Miracles” Workbook for students Lesson190-10

  

 

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№679 教祖募集中

すこしずつ存在をしてゆきたいね なにかしら尊いものとして  笹井宏之

 

 

 

6月2日
昨日深夜、米子市朝日町の例のバーMarujinにて、隠れふらふら信者が米子に棲息していることが確認された。隠れキリシタンが生まれて初めてホンモノの神父様に出会ったような喜びのときが、バーMarujinに流れた。「わたしも信者です!」というカミングアウトに「なんと!ここにも!」と感動を隠せない私。

しかし重大な誤解が生じていたのでここで改めて皆さんにもお伝えしておきたい。

その隠れふらふら信者は私のことを「ふらふら教・教祖」と誤解しておいでなのだったが、それは違う。私は単にふらふら教錦町事務局の掃除のオバチャンである。
いつもかつも認定ヨーガ療法士の研修で慧心師から「おまえらみたいなアホなオバチャンは」という愛あふれる枕詞をつけて呼びかけられ、かつ導かれているので「オバチャン」というコトバを聴くと、心はスワミ・ヨーゲシバラナンダ大師のお写真が飾られたヨーガ・ニケタン本部二階の部屋に飛ぶ。私はこの場所で、2007年からずっーとアホなオバチャンとして正統なYoga教育を授かってきている。

オバチャンであるとは、Yogaを使って人様を導き、揺るぎない平安の境地に至らせることと同義である。なので私は至福の毎日のなかで、日々お手製のアクリルたわしを用いて便器の奥まで手を突っ込んで磨き、サンドペーパーで水垢と闘う単なる掃除のオバチャンである。断じて教祖にあらず。

では教祖様はいったいどこにおいでになるのであろうか?
ということで、教祖募集してます。「われこそは!」と思うふらふら自慢の方のご連絡をお待ちしています。まずは事務局(担当:ツボイ)へお電話ください。面接はバーMarujinにて。日曜定休です。


さてさて昨日私なりの「至福倍増体験」をし、こらえきれずにマスターマリコにLINEしてしまった。そうしたらマスターマリコが「LINE見てめっちゃしあわせなエネルギーになりましたー」と言ってくれたので私もうれしい。デジタル機器を用いて靈氣をガンガン使えることもわかったので、許可を頂いている人にはLINEやMessengerの画面を通じて靈氣を送っている。自家発電できるその日まで!僭越ながら私がお手伝いさせて頂きます。教祖になりたくはないが靈氣は欲しい人もご連絡ください。勝手に送ったらいけんそうです。エネハラ(エネルギー・ハラスメント。Mさんの造語)になるからね。


昨夜の会合、いえすみませんただの飲み会は、マスターマリコが昨年繋いでくださった三人の女子で行われた。会場は、しげにいちゃんが大大大好き!だったきっちんピノキオ。飲食関係に強いM社長が予約して下さったのだが、シェフのピノさんが私の顔を見るなり「あ!!ツボイさんだったのか!ごめーん、今日ワインが揃ってないんだよ!」と謝ってくる。

確かにここで、私は浴びて浴びて浴びまくるほどワインを飲ませてもらった。しかしそれはすべてしげにいちゃんが選んだものであって、私はただそれを、私にできる限りの「旨い!」というコトバを駆使して堪能させてもらっただけである。ピノさんのお言葉を伺って、ここにもしげにいちゃんの遺産がのこされているとしみじみ感じた。そして今朝それを奥さんにもお伝えして、しんみりした。奥さんが泣いておられないといいと思う。おそばにいてそのおからだを抱いてさしあげたい。

しげにいちゃんは、ある時私を「妹認定」してくれた瞬間があったらしい。亡くなってから奥さんに伺って涙が出そうになった。でもそれ以外にも「美味しい」というエネルギーで私たちは繋がっていたなと思う。

美味しいものを頂くと、私は背筋に電気が走る。みんなそうだよね? 
電気(たぶんPrana)に打たれシビれて言葉を失い、その後「…んまっ!」というのを聴くのが、しげにいちゃんは楽しいと思ってくれていたのかもしれない。もしそうだったらうれしい。ご相伴させて頂いてこのひとと食事をすると、“うれしいな、楽しいな”と思ってもらえるひとで私は在りたい。飲食を共にするというのも間違いなく愛の行為だと思うから。


さてバーMarujinタイムの後半はこの三人の貸切となって、マスターも一緒に大騒ぎであった。マスターWもまた「バーMarujin教」を作ろうと画策している。悩める男女が集うバーの在りようを深くお考えの故であろう。人に言えない秘密の悩みを聴き、寄り添い、どうすればモテる男(女)になれるかを優しく教えてくれる。ふらふら教よりずっと地球にやさしい。そしてこの「バーMarujin教」の教祖はうちと違って既に有為な人材が確保されており、なんとそれが我が家の長女ぶーちーだというではないか!ハハの与り知らぬところで教祖が内定しているとは。やるな、ぶーちー。


しかしバーって面白い空間だなぁ。かくいう私も誰にも言えないことをアレコレマスターには話していて、「お母さん、困ります。やめてください」といつも拒否られているのだが構わず話している。ここで明かされたヒミツはゼッタイにどこにも漏れないからね。人間そういう場所が必要だと思うワケ。

だから私もそっち(カウンターの内側)に入ってみたくなって「ねえ、月に3回だけバイトさせてよ。時給600円でいいから」と言ったら、M社長&マスターWに「それ、鳥取県最低賃金以下だから」とご注意を受けてしまった。世の中の常識と隔絶して生きているので無知ですみません…

では800円から交渉開始っていうことでどうかな?!
もし採用されたらみんな来てね!

 

 

№678 スイカで悟った

もうそろそろ私が屋根であることに気づいて傘をたたんでほしい  笹井宏之

 

 

 

 

6月1日
皆様こんにちは、今日も元気にフラフラしてますか?私は週末の(私的には異常な)忙しさから脱して、無事にフラフラモードに戻ることができた。ふー、ヤレヤレ。元来ナマケモノなんで働きすぎるとどうもいけませんわ。

今朝、夜明け前に起きたら少し肌寒かった。暖をとるため、足元でノビノビしていたういろ(猫)をむりやりつかまえて二度寝に入ったら変な夢を見てしまい、次にJK剣士の目覚ましで目が強制的に覚まされた時にはカラダがガチガチに固くなっていた。


なんだか大きな商業施設で飲み会をしている。来ていると思っていた大好きなヒトが来てなくて、「もういいもん、ぐすん」とかいいながらワイングラス片手に帰ろうとエスカレーターに乗っていたら、ふと気付くと全然知らない女性の車の後部座席に座っている。あれ?「あなた誰ですか」と聞かれてもそれ私が訊きたいんだけど。ともあれ駅近くで降ろすからそこから宿に行きなよと言われ、降りたはいいが「スーツケースがない!」と騒ぎになる。そもそもの初めからワイングラスしか持ってなかったのであって、スーツケースなんて無いはずなのに泣きの涙。諦めて一歩を踏み出そうとしたら、後ろからJK剣士がやってきて(いったいどこから?)「ねえねえバドミントンしたい」という。訳もわかんない場所にきて、スーツケースもないのにそんなことできません!と言っているのに「バドミントン、バドミントン!」と騒ぐ、

という支離滅裂な夢だった。ああ疲れた。シャワーを浴びてさっぱりしてきたJK剣士に「バドミントン、バドミントンってうるさいよ」というと、「バドミントンいいよな。やりたい」と何も聞かずに返してきた。さてはおぬし、ほんとにハハの夢に入り込んでいたのでは…

 

 

昨日「パワーかフォースか 改訂版」を読了し、「ギーターサール」をざっと読み返して、なんやわからんがとってもしあわせな気持ちになった。「あー、このこと前から知ってた」というそんな心持ちである。「このことってなに」と聞き返されたらもぐもぐと口ごもって逃げてしまうかも。

昼食後にスイカ(小玉)を食べながら動画でも見ようとYouTubeを渉猟していたら、目に飛び込んできたのは道元禅師の伝記映画だった。スイカボリビア産の岩塩をかけて食しながら、「わしは阿育王山広利寺の飯炊き(典座)じゃ」という老師と若き道元禅師のやりとりを見ていた。老師が難しい顔をして考え込む道元禅師の眉間のしわを笑いながら指でひらき、「弁道とは“徧界かつて蔵(かく)さず”。この世のありとあらゆるできごとは昔からそのままの姿で何も隠すところがないではないか」と語るシーンの、「昔からそのままの姿で」というコトバになんや知らんがもうめちゃめちゃジーンときたのである。


今日、米子ナンチャッテ高島屋の隣にある高橋商店にスイカなどなど野菜果物を求めに行ったとき、「べつにYogaじゃなくていいんだよね」と強く思った。でも私はYogaが大好きである。ナマケモノなのでなるべく効率よく最大限の効果をゲットしたい場合、目的にズバリ寄り添うのがいちばん早道。

その点伝統的ヨーガは文字による資料(Veda 聖典ほか)がいっぱいことあるので、アホな私に変わってアルジュナくんがクリシュナ神に叱られたりしてくれていて、「そうかそうか、そういうロジックで思考展開して、そういう発言したらクリシュナ神に叱られちゃうわけや」と知ることができる。こういうのを伝統的なYogaではシュラバナ・マナナという。要するにあるネタに触れて、ふんふんと考えるというただそれだけのことなのであるが、これがあるとないとでは大違いですよね?!

Yogaの目指すところは「とらわれのない開放的な状態、すなわち平安と至福の境地」、ここに至るためには「お前の心の働きを止めちゃうことしかないんだわ」という。そのためにアレしてコレしてと実に丁寧に方法論を提示してくれてて、しかも布団よりはるかに小さいマットの上で健康づくりやトラウマケアやアンチエイジングまでできるんならもう他になんにも要らへん。

でも、私はYogaを教えたいわけではないからね。「あー、楽ちん」というところに一緒に行かか!というただそれだけであると、スイカを食べながら思った。
これってもしかしてさとりかな?!