蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№632 愛のインフラ整備

傘させば雨は明るさもちて降るさくらの青にけやきの青に  花山周子




4月15日
いけない。ぼんやりしていたらもうこんな時間(19時前)になってしまった。
昨日は池袋でぶーちーと会い、夜は新宿でFさんと1週間開けての女子トークをした。
池袋…LOFTに行きたかっただけなのだが、わざわざ足を運んだにもかかわらず探しものは見つからなかった(今日、渋谷のヒカリエで発見した)。
都会ってすごいねえ。これが山陰だったらナンチャッテなLOFTのある米子天満屋にさえ足を運ばずに、Amazonでポチッとしているだろう。

昨日はけっこう雨が降っていた。雨が降っているのに電車に乗って出かけるなんて都会ならでは。だんだん東京暮らしにも慣れてきたような、それでもなんだかさみしいような。さみしいのは会えるはずのJK剣士やあんこやもなか(サービス精神が希薄なうちの猫)に会えないからかな。


今朝、JK剣士の通うガッコウから「オンラインで試しに授業やってみる」というご案内が来ていた。急に昨年の今頃にタイムワープしたような感じでクラクラした。今更感いっぱい。衝撃のあまりつい思わずJK剣士にLINEしたら「いつから?!」という前のめりな返事が即座に来た。アメリカで授業受けたろうと思っているのがひしひしと伝わるが、残念でしたー、そういうことじゃないの、今になってまだ「試しにオンライン」のレベルなの。

先日Jさんと話してて地方のコロナ反応(対応じゃない)怖いね、という話になった。私は来週いったん10日間だけ帰宅しようとしているが、その間ごくごく限られた場所にしかいかない。「県外から来た人イヤだな」と思う方を刺激しないように最低限の用だけ済ます。髪を切って、鍼灸と柔道整復の施術を受け、しげにいちゃんの月命日のお花を手配し、本社(CAFFE VITA)に出向き豆を仕入れ、薫風の季節に向けて衣類の入れ替えをしてくるつもりだ。あとは数件のリアルセッションをして、お花やさんFさんと会食、他はたぶんずっと家に籠って文章書きかな。

JK剣士の学校で罹患してしまって、他の職員等々は皆陰性でしたあ!といわれてしまった先生はご無事なのだろうか?やめさせられちゃったりする羽目になってはいないだろうか。甚だ心配である。

去年の今頃(3月末から6月上旬)、ほんとに鬱々して生きてた。こどもたちが2人揃って家にいるからなんとなくにぎやかではあるけれど、政治経済とウチュウ人の本を読んでYouTubeばっかり見てグダグダしてた。そのことを想うと、今年はそれぞれがそれぞれ「自分がここにいよう」と決めたところで生きていて実に健全だと思う。

そして東京って過ごしやすいな、一人もわりあいいいじゃんという気分になってきた。ここに私のことをふだんはムシしつつ、寝入った頃にそっとそばに寄ってくるあんこやういろと、そのささやかなぬくもりが欲しいなと思いつつも。


さて、昨日の雨も上がり久々に朝日が拝めた今日は外苑前まで出向いてきた。
数カ月ぶりにエネルギーワークを受けようと思ってHさんのところに伺って、まずはパスタでランチをしたのはいいが…ここでメチャメチャ盛り上がっちゃってエネルギーワークをする時間なんてなくなっちゃったのである。でも私が思うに、Hさんは強くそして鋭い方なので、もしわたしにそれがどうしても、今、必要だったらそのように仰り施術を行ってくれたと思うのだが、そうではなく大笑いしながらおしゃべりしてお仕舞になったということはまあ別段問題ないってことなんじゃないかな? と思いながら足取り軽く、渋谷と恵比寿に寄り道して帰ってきた。

昨年規夫師匠に、ツボイは怖いんだ、エネルギーワークをしてやわらかい雰囲気を身につけた方がいいとショッキングなアドバイスを受け(規夫師匠だって怖いじゃんと心のなかで思いながら)いったいどうしたらいいんだよう…と思っていたそこへマスターマリコが帰国して靈氣と出会った。私にとっては幸いなことに、コロナの件でマスターマリコが長く日本に滞在なさったので神秘伝まで伝授してもらい、更年期にある女性のケアにもマジメに取り組んだりなんだりで、最近ちょっとイイ感じみたいよ?

昨日話してたFさんにも「雰囲気がやわらかくなったねー」といって頂いたので、氣を信じて、がんばらずあるがままに生きる方向性を掴めたのがよかったんじゃないかと思っている。


そして今この境地、とまでいったら大げさかもしれないけれど、この解放感のなかにあってやっぱり「二極の対立の克服」という教えはすごく大事だなあと思う。
ここは神聖な場所だから、あっちがいいとかこれはダメとかいうジャッジを一切排して、必要なことが必要な時にただ生じては去っていくだけ、困難は救いとともに私の目の前に生じて、私に気付きを与え滋養してくれると信じて生きること。

要るものと要らないものをわけない。すべてに意味があり、価値がある。今そのことがわからなくてもいい。保留して待っていよう。

Jさんは「愛のインフラ整備」をしたいと仰ってる。私も、その大事業に道具のひとつとして使って欲しい。まずは今この瞬間心に浮かぶ方々、そしてその方たちに連なる方々の平安を祈ろう。
すべての人々に、平安がもたらされますように。どうかお願い。

№631 海で暮らすわかめ

さくらばなおとなになればふんわりとわすれてしまふいくつかのこと  中山明

 

 

 

4月14日
昨日部屋清掃のためにJR品川駅ecute2階の書店で延々と立ち読みをして時間潰ししたのに、まさかの掃除は昨日じゃなかったという…部屋に戻って扉に貼られた「明日は清掃日です」という札を見て腰が抜けそうな脱力感を覚えた。しかし仕様がない、人間生きていればこのようなことはなんどだってあるんだ、なんくるないサー。立ち直れ私!

で、今日はちゃんと掃除の日だった。さきほど担当の方がトントンとドアをノックしてくださったので、1階のカフェに移動してこれを書いている。ドリンクバーにリンゴ酢があったよ?これってふつうのことなの?ちょっと甘いけど朝の酸味はとても美味しく感じる。

 

 

昨夜は昔から(っていってもいいよね?)のインテグラルともだちJさんと会った。
築地で待ち合わせだったので本願寺に初めて足を踏み入れてみた。築地駅から本願寺に向かう地下鉄の階段には八重桜のはなびらがそこここに積んでいて、とても美しかった。

インド風と聞いていたがすごいデザインの建物だねえ。しかも宿泊ができるらしい。「信徒様は割引がございます」とのことだったがそれって狭義の信心のことでYogaは無関係よね?東洋の叡智を信じておりますので平たく言うとお仲間かと存じます、って受付で申し上げたらなんて返してこられるのかしら。ちょっと聞いてみたいよね?

 

そんなことを考え、宗教法人ってすごいなあ(色んな意味で)とかボケっと考えていたらJさんがお迎えに来てくれた。近くの大学で体育を教えてこられたそうだ。Jさんハウスはからだにめちゃめちゃいい家だというので拝見ならぬ「体験」をさせて頂きたかったのだが、実はかなり遠いとのことで延期になり、品川で中華を頂きながらたくさんお話をした。

2年前の12月、JさんとSさんがかの有名な(JK剣士ともご縁の深い)体育大学で天真体道のイベントを開催してくれた。寝台列車サンライズ出雲に乗って参加しに来て、せっかくだからリーダーともお目にかかりたかったけれどインフルエンザでぶっ倒れたとのことでお目にかかれず。なつかしいなあ。


そのイベントでは1日かけていろんなことを体験させてくれたけれど、いちばん印象深かったのは「わかめになった」ことだった。どういうことか書いてみるけれど、すごくうっとりしていて記憶が曖昧なのでなにか間違っていたらすみません。

二人一組で行うからだを使った遊びのようであり、靈氣を学んだいまになって振り返るとエネルギーワークだったと思う。ひとりが波、ひとりがわかめになる。海のなかで守られ、波を生じさせるなにかにやさしく導かれ、わかめは波に身を委ねて揺れ動く。そこには作意も個別に分離された意志もなく、あるがままおのずからただそうであるようにそこにいることができる。思い出しただけでも気持ちよくなっちゃうよ。


指導して下さった青木先生もほんとに素晴らしい方。
私はあの時まだ「思考の力」についてよく理解していなかったけれど、無意識の領域でその方面に啓かれるように導いてくださった気がする。

人の行為はどのタイミングで始まるのか、ということを青木先生が実体験させてくださった。私は手を上げて被験者になって実際に青木先生と向き合い、私のなかの「攻撃の意志」が発動する瞬間を捉えてもらった。今、思考の恐ろしいばかりの力を少なくとも顕在意識では(知識として)理解できたように思うから、あのワークの価値を改めて感じている。

ワークが終わろうとするころ、先生のお弟子さん(超イケメン。奥さんは美女)に私は「いったいなにをなさっているのですか?」と問われた。Yoga教師ですとお答えしたが、なぜあのようなことをお訊きになられたのであろうか?自分にはわからない。


昨夜Jさんとはすごく深いおはなしができた。やっぱり“インテグラル×規夫先生”という共通の土台は揺るぎなく偉大だと改めて感じさせられた。また師匠のこと好きになっちゃった。今度はJさんハウスでチャイとカレーを作って食べよう。そして昨日のおはなしの続きをしよう。

 

 

会食のあと、東京タワーが好きだというJさんがまだ一度も行ったことのない私を芝まで連れて行ってくれた。夜の闇の中で光を浴びて浮かび上がる東京タワーは、幻想的で実に美しかった。タワーの足元にたくさん吊るされたこいのぼりは風がないとメザシの干物みたいだったのだが、瞬間風を孕んで泳ぎ出してくれた。風は肉の眼では見えないけれど、こうして粗雑な物体に動きを与えることでそこにいることを教えてくれる(風は5元素=パンチャマハブータのひとつ)。


先日、O先生がエネルギーワークの学びを一緒にとお声がけ下さったのだが、これまで私がYogaや靈氣で時間をかけて学んできたものはガラケーみたいなもので、O先生がこれから取り組まれようとしているのは現代的な云わばスマホのようなものだとマスターマリコからご説明があった。どちらもちゃんと絶対的ブラフマンと通話はできるということか。O先生がエネルギーワークを学ばれたらスマホのように多彩な技がお使いになれるのかもしれない。すごく楽しみ。

私の発する氣について、先日規夫師匠が「等身大で地に足のついた」ものだと評して下さった。なんだか嬉しかった。私が靈氣をさせて頂く方々は“エネルギーワーク”というコトバも知らない方が多いけれど、たしかに間違いなく何らかの身体的な現象(暖かくなった、なにかが流れたなど)をお感じになってくださるのはそういうワケなのかもしれない。とても励まされる。

 

このところ自分にとって少しつらいことが、まったく別の領域でいくつか勃発したように思い込み、完全にそこから身を離すことができなかった。だからこそ久方ぶりにブログ更新もサボる羽目になってしまったのだが、このことについてマスターマリコに示唆を求めたところ、心配したりしただけで“引いてしまう“よとのお言葉があり、そのことを受けて青木先生とさせて頂いたワークのことを想いだしたのだ。

愛と光以外は拒否!とかいうと「何バカなこと言ってんの?」と思う人もいるかもしれないが、思念というのは強い微細エネルギーなのだからどんなに離れていても影響が及ぶ。でもその影響を受けないということも、私は選択できる。悪い影響は受け取らずよい影響を人に及ぼせるよう、いついかなる瞬間も自分のなかに浮かぶ考えを観察していたい。今この瞬間、私が愛をもって心に思い浮かべるあのひとたちに、まちがいなくなにか良い影響が波及していると信じて。

 

 

 

 

 

№630 健やかの指標

竜骨という名なつかしいずれの世に舟と呼ばれて海にかえらむ  井辻朱美

 

 

 

4月13日
今日はお部屋の掃除の日、だと思っていた。長期滞在のコンドミニアムみたいな宿だから、毎日清掃は入らない。掃除の時間にいったいどこにいるのかで相当頭を悩ますので、このシステムはすごく便利。だから数時間どこかに行っておかないと、と思ってテクテク歩いて品川まで行った。お部屋に遊びに来てくれた方が「あれはプリンスホテルだね」と窓から見える高い建物のことを教えてくれたので、そうかそういう距離感かと理解できた。子供たちが小さい頃、なんどか品川プリンスには泊まりにきた。東京と言えば品川しかわかりません、という日々があったことが懐かしい。

 


国営企業のとき、ご存じのとおり機動性が高い組織だから、1日で愛知(小牧)~北海道(千歳)~青森(三沢)~埼玉(入間)という空路による移動をしたことがある。岐阜から入間へ行くのに北海道経由。豪気だな。ワレワレはヘイタイであったからして、時はカネなりじゃなかった。とにかく今日中に着けよっていうただそれだけ。なにかを載せて飛ぶヒコウキに、ついでに人を乗せて運んだほうが効率いいわけです。ワレワレも乗客じゃなくて貨物扱い。

それでね、輸送機に乗るときにね、首から懸けるネックレス渡されるわけ。戦争映画で見たことあるでしょ?ネームタグってやつなんだけど、ふだん飛行機に乗る仕事をしてない人は自前の(自分の固有名詞が刻印された)タグなんて持ってないからさ、番号が書いてあった。万が一何かがあったら「8番いたぞー」みたいな探し方されたんだろう。

 


かつてあんな場所にいたから私が航空機に詳しいと思ってる人がいるようですが、ブッブーおおまちがいです。私はモノ屋さんだったからです。専門的には「補給員」という。
マーチン・ファン・クレフェルトっていう人が書いた「補給戦」っていう素晴らしい本が中公文庫から出てるんだけど、戦争といえどヒト・モノ・カネだよ? 文庫の帯には「補給なしに戦争は継続できない」ってハッキリ書いてあるんだけど、わかってない奴がホントに多いんだから。もうさ、八甲田死の雪中行軍とかインパール作戦の牟田口のアホのこととか、飲まずに語れないよね。補給ナメやがってって感じよね。

補給ってなんだかカッコ悪い印象で、実をいうと「特技・補給」って任命されたとき悲しすぎて泣いた。だってほらもっとカッコいい仕事したかった。「要撃管制」とか?暗闇でレーダー覗き込んでるやつね。まあ、アタマも目も悪いからそういう高度なやつムリなんだけどさ。

でもですよ、実際働き始めると補給って強いわけ。そこに確かに在る「モノ」と、モノを買う「カネ」を動かすから。
戦闘機ってカッコいいですよね。あれは国有財産なんだけど、超の付く精密機械だからひとつ部品がアウトになったらフライトキャンセル、任務遂行ができない。だから「モノ」をたくさん保管しているところに、各地の航空機部隊のひとがご挨拶に来てた。「どうぞよしなに」って。

で、今その仕事を辞めてうんと時間が経って思うのは、そのモノ・カネを動かせることを個人の権力みたいに思って態度がでかいやつがいっぱいいたなーということ。そもそもなんで頭下げに行かないといけないのか?すばりモノを動かすのがヒトだからです。このモノはあとひとつしかないが二か所が同時に欲しがってる、どっちにあげよっかなーと思うときに、「あ、そうだこの前ズワイガニもらったんだっけか」ということで物事が決められたりするのって本当はヘンだよね。

 


昨日、秘境田端の今月の仕事の最終日に上野でお蕎麦をご馳走になりながら、メンバーで色々とお話をした。Yogaの強みはなにかというと「人が健康であること」に対する絶対的な基準をもってることだと思うわけです。Yogaでは絶対だと思っているけれどほかの分野の方は否定する基準かもしれない。でもそれはそれでいいんです。ほんとのところ絶対的なものはないからね。
でも私たちは「どうなったら壊れてて、どこに戻すと健康なのか」という健やかさの指標をちゃんと持ちながら人に向き合ってる。そこが違う。で、ここでもっとYogaネタで語ろうとすると「それいらんやつー」と米国からテレパシーが飛んできそうなのでやめておこう。

すごくシンプルに。
すべてのひとを大事にすること、不幸だと感じている人に慈悲の思いをもつこと、幸福なひととともに喜び、悪い人々には無関心であること。
こういうことを実践していると、私たちを苦しめるこころの働きは鎮まっていく。

理由もなくしあわせだ、と瞑想のときのような心持で生きることが少しずつうまくなっていったときに出会えたひとがいる。そのひとと、そのひとの広いお心が私は大好き。お師匠様方もそんなお心をお持ちだと思うが、たぶん以前は理解できていなかった。
世界は私の心がそうであるように生じている。遠くから不穏な声が伝わってくるときもたまにはあるが、すべてのひとに対する愛を忘れぬようにここにいたい。
もし私が誰かに激しく打たれることになっても、その人に対する愛を失わぬように生きたい。

 

 

 

№629 若返っちゃった

滝は暗き淵をもつなり激(たぎ)ちたるのちのさみしき淵をもつなり  馬場あき子

 


4月12日
週末、秘境田端の秘密の場所で仕事だった。毎日フラフラしているがときどきはちゃんと仕事もしている。この場所に通うようになって1年4か月、とはいえ感染症の影響で昨年3-5月は上京できずだったから、ええと、正味1年ってところ。なんだか感慨深い。

先月初めて田端駅にも成城石井があることを知った。知るのに1年以上かかったなんて!遅い。今回は一緒にお仕事している某先生にウワサの(例の、あの)アンニン豆腐をプレゼントした。なんだかご興味ありそうだったから。「絶品である」という過分なお褒めの言葉を頂き、満足至極でございます。

そういえばさあ、今回自分がアンニン豆腐を食べてない。月に一度のお約束だったはずなのに。なぜかっていうと今回の宿周辺に成城石井がないから。先月五反田の成城石井を「ションボリ成城石井」だなんだとワルクチ言っておきながら、そもそもここにはカゲもカタチもないし、五反田はションボリでもアンニン豆腐(そしてゲロルシュタイナー *お気に入りの炭酸水)は間違いなくあったのだから文句言うなってことですよ。自らの幸福を寿がずに文句を言っていたら、天からご指導頂いたね。

ちなみにここ、泉岳寺駅に近い宿の近辺にはデイリーストアしかない。ふだんコンビニのお弁当とかおにぎりとかゼッタイに食べないのに、品川まで出向くのが面倒で食べてしまったことがあった。品川の隣駅なのにすごく品川が遠く感じる。なんていっても私はめんどくさがり。わざわさ“電車”に乗ってスーパーに行くなんてイナカ者にはハードルが高いよね。

じゃあ近所の店でひとりで食べたら?と思ってるでしょ。実は私、基本的にひとり外食がキライ。バーやカフェにひとりで行ってもそこには門脇師匠や渡辺マスターがいるからハッキリ言ってひとりじゃない。元来おしゃべりだから、わざわざ外でご飯食べるなら連れが欲しいんだよね。だから結局今日は冷蔵庫に入ってた甘酒とヨーグルトで夕食。だってめんどくさいんだもん。お昼はリーダーや某先生と一緒に上野でお蕎麦食べたしさ、ぜんぜん問題ないって。


さて、ではなぜ成城石井もない、ほかにもいろいろない、でも四十七士が眠る泉岳寺はある(泉岳寺しかない)ここに宿をとったのか?ということですよ。今回滞在が長いから室内に洗濯機が据え付けられているところに初挑戦したのです。そしてJRだと高輪ゲートウェイが最寄りだということは施設が新しい!

以前聖地大崎のスタバにメチャ近いホテルを利用していたとき、改装はしてあるが無理がある感じで、①エアコンの効きが悪い②廊下や隣室の音が聴こえまくり③夜、配管の音が響き渡る、ということに悩まされた。4日間くらいなら堪えよう。しかし今回は17泊だよ?ちょっとしたことで毎日苦しむのはイヤだったのでここにしてみたが、食事のことは軽く考えすぎていた。なにごとも経験です。学習しました。

来月も実は既にここを予約していたのだが、何と天のお導きかここが軽症者の施設に指定されちゃったから泊まれなくなり、どこでもお好きなところに振り替えますといわれた。すったもんだでいろいろあったが、結局は五反田に帰ることになった。五反田はぶーちーの大学があるところなので、ぶーちーも喜んでいる。きっと学校帰りに寄り道してくれるんだろう。聖地大崎のスタバまでもほんの一駅である。ションボリ成城石井とも和解して仲良くやろう。

 

 

今回の仕事では自分がしゃべったり、指導したりしている映像を延々と見るハメになった。先月は身悶えするほどそれがイヤだったのに、なんだかそれも慣れるっていうか?「だれ?この声のデカいひと」という涼しい気持ちで、とんがった口やほうれい線は見て見ないふりした。しかしこの1年をかけ、O先生のご指導のもと肉体改造計画に勤しんできた私の食物鞘はかなりの変化を遂げている。最新のものは二の腕もほっそりしてイケてる感じなのに、昨年の私は右肩の内旋も強いしなにより胸が広がっていない。過去の私の方が老けてるってどういうことなの。って、それがYogaの効果よね。

しっかり自宅実習(いわゆる宿題)をこなしてくださるクライエントさんは、どんどん若返っていく。私だけじゃないんです。
とある方は上半身の動きが硬かった(主訴は腰痛)。マジメなこの方がしっかり実習を継続された結果、あご周辺がスッキリし輪郭が変わり、首がすっと伸びてきている。私はよく「首が長い」と褒められるが、それもYogaアサナの効能のひとつだったことがこの方のお蔭で理解できた。ご自分でご自分のことを「若返ってる」と評されたので、私もほんとうに嬉しい。


この方の腰痛は劇的に改善したので、来年米子駅前のコンベンションセンターで開催されるヨーガ療法学会第20回研究総会で症例報告をしようと企んでいる。ふふふ…。
症状変化(CCC)として顔写真ビフォーアフターを提示し「理知鞘における身体の捉えが変化したため、食物鞘における若返りが確認された」って書こうかしらね。半構造化面接の結果、ヨーガ・スートラ誤認知アセスメントYSAMでは「非我を真我と見る(=肉体が自分と勘違いする)」そして「苦を楽と取り違える(=体を激しく鍛えれば腰痛は治ると思わされていた)」誤認知が生じていたとヨーガ療法アセスメント(YTC)することになるかな。

おっーといけない!後半部分やたら難しいこといってる。でも慣れてるみなさんはYogaネタはほぼスルーだからなんくるないサーね。

あなたは肉体じゃない、私も肉体じゃない。この文章を書き始めたときまだションボリ気分が多少残っていたけど、ヨーガ・スートラのこと書いてたらどうでもよくなってきた。
私はいまから私のアートマンを通じてあなたに氣を送ります。私の大切なひとたちと、その方々に連なる人たちに平安がもたらされますように。私たちを智慧で満たし、互いに嫌いあうことがないようお導き下さい。Om Shanti Shanti Shantih.

 

 

№628 石のキノコ

声もたぬ樹ならばもっときみのこと想うだろうか葉を繁らせて  小島なお



4月11日
数日前、JK剣士から「世界一大きい石のshowに来ている」とLINEがあった。石とはパワーストーンのことらしく、どうやらマスターマリコのお仕事かご興味に関連あるものだろう。showって?展示会みたいなものと思われる。

「おみやげに石のキノコ買った」という。石のキノコ。意味不明だな…と思っていると写真が送られてきた。マッシュルームのようなかたちの石、いや、石でできたマッシュルームというべきだろうか。しかも大きさが実にさまざまで、写真に写っているなかで最も大きいものはペットボトルの径を上回っている。いったいコレどうするの?飾るの?キノコのかたちには語ると長い深い意味があるの?

しかしキノコって実のところ色んなものがあるじゃないですか。私はキノコが大好物なんだけれども、欧米にもエノキとかしめじとかあるのかな?舞茸とか。やっぱり菌の仲間だからその土地土地でいろいろ違うんだろうね。台湾の故宮博物館の「翡翠でできた白菜」みたいなかんじで、パワーストーンでできたエノキダケがあったら買うかな? キノコというワードで連想はどこまでも拡がっていったが、JK剣士がゲットしたという石のキノコのホンモノを見るのが楽しみ。

 

 

ここ数日いろんなことがあって、ガラにもなくションボリしていた。しかもいろんな方向からあれもこれもで自分のなかで処理がしきれない感じ。いったいなにがどうなってどういうわけでこのションボリ感がわき上がってきたものか混然としていて、よくわからない。久々のこの混乱。そのためここ二日ろくに文章が書けず、久々に更新をサボってしまった。サボってしまったことにもマジメな私は自責の念を覚えたりしてしまったのだが、まあ生きていればこんなことはあるよね。

 

 

№627 かなしみの満ちる

ゆっくりと悲哀は湧きて身に満ちるいずれむかしの青空となる  三枝昴之

 

 

4月10日

昨日は駒込の明翆園にてヤキニクの会だったが、せっかく緩和された時短営業がまた厳しくなることをうけての駆け込み需要で大入り満員。隣の席の方々の大声で、お向かいに座られた規夫師匠の声が聴きとれないような有様だった。何とも皮肉な光景。

生きていれば苦しいことも哀しいこともあり、親密な関係性にはどうしても過去の苦しかった記憶が蠢いてしまう。哀しみを丸ごと受け容れてくれるような関係性があるような気がしても、それは一瞬の幻想かもしれない。
心素の働きを止滅させることしか苦しみから逃れる術はないと「ヨーガ・スートラ」は教えているが、それは口で言うほど簡単なことでないことは、自分自身がいちばんよくわかっている。

 

今日は悲哀の満ちている夜。


№626 ヤバいひと

すっきりとした立ち姿を見てってよこれがあなたがたの生んだものです  陣崎草子

 

 

4月9日
長女ぶーちーの新学期が始まったようである。履修を希望していた科目のすべてで抽選?が通ったとのことで、勉強するにも運が必要なんだねえと涙が流れそうだった。

時間割みたいな表を見せてくれたけれども、ブッキョウブッキョウ少しホケキョウという感じで、昨年に比べて興味関心も焦点が固まり、深まってきているのを感じる。

なかに「仏教デス・エデュケーション」という科目があったのだが、確認するとやはり死生学だった。20歳でこの分野に目が啓かれるということは、何らかのかたちで死に触れ、死について考えたことがあるからこそと思う。やはりここに亡きおにいちゃんの大きな存在を感じ、感慨深かった。私の母(ぶーちーのおばあちゃん)との別れや、壺井家のゴッドマザー(おおきいおばあちゃん)との別れも影響あるのかもしれない。


先日一緒に門脇師匠のご縁巡りで入谷を回っていたとき、DAVIDEじゃないとあるカフェで待てど暮らせど出てこないアイス・カフェラッテを待ちながら「私は就活をしたくないのですが」と話してくれた。ハハはその意向には大大大賛成である。

数年前、舞踊家のH美さんのところに伺おうと品川駅から高輪までぶらぶら歩いていたら、同じようなカッコウをして同じようなバッグを持ち、同じような髪型と化粧をした、若いのに生気のない集団とすれ違って心底ビビった。ムーミンに出てくるニョロニョロの黒いバージョンに呑み込まれたような気がした。

みんな同じカッコウで同じことをさせられる経験なら私にも売るほどあるが、かつていたその場所では、指揮する立場でみなの前に立つと、個々に宿る抑えがたい生命力をひしひしと感じさせられた。「こいつらを納得して従わせるには一筋縄じゃいかないから、こちらも肚を括らないと」と思ったが、それは日々身体を酷使するなかで、野性的なものがむき出しになっていたからだろうか。大学で学んでいる方々のような知性は、鳴りを潜めているからこその迫力? 心身を調整する活動を欠かしてはいけないことが、この体験からも理解できたような気がする。

そう、就活。なんて大変なことを学生さんはやらないといけないんだろう。昨日とある経営者の方とこのことについてお話させて頂いたが、ここに書くのはやめておこう。ただぶーちーは就活をやらずに済む方法はないか…と2年生の今から必死で考えているということ。自分のアタマでどうしたいかを考え抜ぬき、そこに向かうことは(ハハの個人的な意見としては)大事なことと思うので決してあきらめず意思を貫いてほしい。


さて、今日は以前規夫師匠から「ちゃんと知識をつけておくべき」と示されたことについて改めて考えている。その際、この師匠がそこまでおっしゃるとは…と思いつつ数冊の本に目を通したが、今になってマジで大事だと思わされた。「サイコパス」に関することである。

男性で人口の3%、日本の人口比にすると約185万人いると言われ、仕事で優れた成果を出す人、特に経営者や医者などにも多いそうだ。レクター博士みたいなわかりやすい感じじゃなく、けっこういろんなところにいるのだ。

どんな感じかというと…
人の弱みにつけこみ、コントロールする技術を身につけている。
アメとムチを繰り返し、被害者側の「怒られたくない」「嫌われたくない」という罰を回避する気持ち、「褒められたい」「またいい思いをしたい」という欲望を巧妙に刺激して、借りがある人にはなにかお返しをしなければならないという「好意の返報性」を悪用することによって、上下関係を完成させていく、などなど。

身近な人間関係で悩まされ、あとから考えると「あ!もしかして」ということはけっこうあるかもしれない。

とても大事な「サイコパスに接する場合の心得・対処法」は次のとおり。

 

かかわらない・近づかない

ウソがあると想定し、必ず発言の裏を取る

良心に訴えても難しいと理解する

共通のメリットが生じる場合のみ同盟を組む


Yogaの教えで一番ひとを救っているのは、「走って逃げろ」というものだと私は思っている。私自身はこの教えを日本ヨーガ・ニケタン講師のY先生に教わって以来度々使ってきたし、クライエントさんにも必要とあらば断固としてこのことをお伝えしてきた。その渦中にある時はみな必死で、テンパって頭がおかしくなっているが、走って逃げて物理的な距離がちゃんと取れれば正気に返れるものだ。なるべくダメージが少ないうちに逃げるのがいいし、躊躇が命取りにならないよう「迷わず」逃げて欲しい。おそらく相手は、あなたが「自分が悪いんじゃないか」と思わせる方向に誘導しているから、あなた自身の判断力も通常とは違って狂っている可能性が大いにある。

人を変えるのは愛しかない。選択の余地があり、どこに進んでもいいよと示された安全のなかで、自分の意思をもって前に進むとき、治癒や成長、変容は起こる。私の経験では優れた師は常にやさしく、厳しいことを仰ってくださるときにも同時に慰めを示してくれているし、けっして人を攻撃したりする物言いはなさらない。なによりも目の前にいる私をけなしたり、私に連なる人を悪く言うことなどはゼッタイになさらない。それが愛っていうことだ。


なんで規夫師匠はサイコパスについてこんなに危険を発してくるのかなーと思っていたが、ようやくわかった。今晩は師匠とOさん三人でコマゴメ・ヤキニクの会なので、素直に「参りました」と申し上げて色々とお知恵を拝借してこよう。

あゝ、嬉しいな!
規夫師匠とヤキニク、イケメンOさんとヤキニク(ここ、ハートマークね)。