蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№618 Departure

音荒く雨ふる夜明け胸という一まいの野を展げていたり  杉崎恒夫




4月1日

JK剣士がいよいよ出国。昼前に成田に向けて移動を開始した。
今回もハハは「これは言っとかないとマズいよな」と思うことだけ伝達し、後は丸投げである。そうしたら空港に到着してからあれこれすったもんだした。ヤレヤレ。

 

まずはPCR検査である。たぶんなにかほかにも手があったと思うのだが、出国予定日の前日に上京し検査を受け、出国までに証明書をゲットする、というタイトなスケジュールを敢行したためにやたら費用がかかった。価格を聞いたとき思わずヘンな声が出るくらい高かったが、仕様がない。必要経費である。時間をカネで買ったんだ!

英文の証明書を催促しまくって、今朝方ようやく届いた。はーヤレヤレと一安心してANAのチェックインカウンターでそれを提示したら、お姉さんが何やら怪訝な顔をしている。検査を受けたのはいつですか?と訊ねられたので、昨日ですがと答えて示されたのは、MarchじゃなくてMayって書いてある日付の部分。JK剣士よ、渋谷から未来に行って検査を受けてきたのか…!ってそんなことあるわけないじゃないですか。速攻ハハが怒りの電話をかけたところ「今から5分以内に送ります!!!」という某クリニックのお兄さん。ちゃんとそのとおりメールは届き事なきを得た。

JK剣士はチェックインカウンターが開く前に「ここはまだ日本なんだからママはもう帰っても大丈夫」と自信満々に言っていたが、実際のところはまだ16歳だから保護者の署名がいる書類とか、事前に登録していないといけなかったのにやってなかった手続きとかいろいろあった。午後の予定をキャンセルして付き添った甲斐があったよ…。

16歳までにひとりでの海外渡航を経験させたいと思って来たけれど、今日ANAのおねえさんに「お子様のひとり旅ですので、客室乗務員の目が届くお席に変更しましょう」とお声がけ頂き、「そうか、16歳のひとり旅というのは国内線でいうところの“ジュニアパイロット”とおなじようなものなんだな」と思った。このご時世なので乗客数も非常に少なく、三人掛けの席をひとりで使えるという。いいなぁ。

今これを書いている時点で搭乗から4時間半が経過したところ。空のうえでどんな経験をしているだろうか。ここに書いたのはすったもんだのごく一部で、他にも事件はいろいろあった。今回は大いに周囲の大人の手を煩わせたが、二回目はすべてを自分で、三回目は費用も含めてひとりで何とかせいと言い渡した。
行くと決めてから今日までの約1週間で色んなネタが続出で、十日分のブログが書けそうである。しかしそんなことしたら「平常心で剣の道を歩むJK剣士の日記」になってしまうからこのネタはここまでね。

 

 

JK剣士を見送って帰る道すがら、今朝方ある方が下さったお言葉とその方の(私が伺っているかぎりのごくわずかな)来し方に思いを致し、Yogaの教えにある「困難のない人生を望むな」ということについて考えていた。

人は、いや、私はと言おう。なるべく面倒なことやイヤな目に遭わずに生きられたらと思ってきた。平穏無事にいい気分で毎日が送れたら言うことないよな、という平凡なのぞみ。

でもこれってほんとに平凡なのぞみなのか?
もしかしたら、大それた傲慢なのぞみなんじゃないのか。

先程のYogaの教えに戻る。
祈るならば(生きているとときとして祈ることしかできない)、我が人生に困難の無いことを祈ってはいけないといわれている。こんなことが起きなければいいのにとか、もっと違う状況だったらいいのにさー、ということも思うな!といわれるばかりか、そんな思いこそが病気だと言われてしまうのがYogaの世界だ。

ものごとは起こるべくして起こるべきときに起こる。絶対者のお仕事は常に緻密で水も漏らさぬ如く、偶然などひとつもない。だから愚かな私がこの困難を乗り越える力をお与えください、私に越えられぬ困難を絶対者はお与えにならないことを信じ抜く強さを授けて下さい、と祈る。

これまでJnana Yogi慧心師から数多くの瞑想のお題を与えられてきたが、私が大きな衝撃を受け今も最も好んでいるものは、「愚者は不幸を嘆く」というお題。私は愚かであるから、今、目の前にある事象が「不幸」に「見える」のだが、実際は恩寵しかない。

でも生きていると、ときにそんなことを想えなくなる瞬間があり、だからこそ転んだり泣いたりすることができる。そのあとに立ち上がり涙をぬぐいながら、また改めて与えられた言葉や教えの深い意味に思い至ることができる。

 

いま現在どんな関係性にあろうとも、なかなか出会うことができないひとも、この瞬間私の心のなかに想起するそのことをもって、心の底からありがたいと思う。

JK剣士は昨年彼女なりの地獄を見た。その結果として生じた今回の経験を存分に味わい、いついかなるときにも自分がしあわせであること、そしてそれを自分自身の深いところで忘れずにいることを、時間をかけて学んで欲しい。

 

 

 

№617 暗号

哀しみと愛しみはひとつ遠く夜の古木ま白き桜花を噴きぬ   川野里子

 

 

 

3月31日

JK剣士が米子空港から飛び立った。私もめったに乗らないJR境線の無人駅から、鬼太郎電車に乗りこんで一緒に出発。昨日食べられなかったうどんは米子空港内のお店で食べることができた。乗り込んだ機内はほぼ満席、到着した羽田空港から乗った京急線も立っている人がいるほどで、こんな光景は久々に見た。

 

品川駅で長女ぶーちーと再会し、カフェで歓談しながらチェックインの時間を待つ。久々のふたりの絡み合いを見ていると、なんともうれしい気持ちになった。チェックイン後、ぶーちーに付き添ってもらって出国前のPCR検査を受けに渋谷へと出かけて行った。

 

 

今回ハハはJK剣士がいないため長期滞在を決めたのだが、こんな日数を家以外のところで過ごすのは妊娠中の入院(×4回)と某国営企業の臨時勤務以来である。滞在先でガッカリしたことにならないように頭を絞ってなんとか準備をした。まずはコーヒーである。なにを置いてもとにかくコーヒーである。なんとミルまで事前にホテルに送った。準備した400gの豆で、次に本社に出向くまでなんとか持たせないといけない。ま、これさえあればあとはなんとかなる。

 

しかし初渡米のJK剣士と東京初長期滞在のハハは二人とも意気込んでおり、いつも出張ではギリギリまでパッキングができていなくて大慌てになるのに、今日はタクシーが来るのをいまかいまかとまつような状態だった。やればできるじゃないか!いつもこうすればいいじゃないの、ねえ。

 

 

さて昨夜も準備をしながらJK剣士とアレコレ面白いハナシをしたので、ここに書いてみようと思う。
アメリカではダンスができる男性がイケてるらしい。素敵な恋人をゲットするため必死にダンスを習う男性が登場する動画を見せられた。練習を重ね、満を期して?日本でいうところの婚活のようなパーティーにやってきて、女性にダンスを申し込み踊ったまでは良かったが、まだ今一つダンスがヘタだったゆえに速攻フラれてしまう。

そのことに関してコメント欄で「男性にそこまで求めてひどすぎる!」という意見があったそうなのだが… 
ハハの意見は「動物界はもっとキビシイでしょ」というもの。

だってクジャクのオスとか、あんなハデな有り様になったのはそもそも求愛のためだもんね?他の動物のオスも歌ったり踊ったり派手な姿になってみたり、それはそれは努力していることを先日ある過激なタイトルの書籍で知った。あまりにも涙ぐましいその行動に驚くとともに感動したのである。

それとダンスを習得するっていうのは、この人間社会で生きていく上でも決して損にならないはず。しかもボケ防止にも最適ですよ!対人関係を構築する能力が上がるだろうし、目の前のひとの様子をよく伺って導く心遣いもできるようになるだろう。男性の場合は女性をリードする必要があるので空間認識能力などもアップするのだろうと思う。実にいいことばかりなのでがんばって頂きたい。

この動画を見ながらJK剣士と二人で「日本の合コンとかよりずっといいんじゃないかな」と話していた。感性も磨かれるし、ガッツリ踊れば体幹も鍛えられそう。

 

 

今日、京急線で品川へ移動しているとき、座席の横に本が忘れられているのにJK剣士が気付いた。ブックオフの値札シールが貼られたその本をひっくり返してみてみると…
なんだったと思いますか? JK剣士は参考書だと思ったらしく、駅員さんに届けなきゃと思ったそうだ。

その本は「ゴルゴ13」だった。

なんとなく無言になるふたり。
きっとこれはなにかの暗号で、「京急線羽田空港国内線発、〇号車の進行方向からみて何番目の座席に置いたゴルゴ13の、〇ページを見よ」みたいなスパイ同士のやりとりのために置かれたものに相違ない。きっとそうだ。だからウッカリこれを元の場所から移動させちゃったりしたら、明日成田から飛び立つことが危うくなるかもしれない…
ということでもとあった場所にそっと戻して、品川駅で降りた。大事なミッションが無事コンプリートされ、誰かの安全が守られたことを祈る。

 

 

この世はとても多様な世界で、いろんなひとがいろんなこころを持ちながら生きている。先日出版された「インテグラル心理学」の帯に「すべてのものに正当な居場所を与える。」という素晴らしい言葉が書かれていたが、理解できないひとや怒りを覚えてしまうような人、会うのも怖いと感じてしまうようなひとにも、ちゃんとした居場所が必要だ。

じぶんのこころのなかで妄想を弄ぶことなく、世界の小さな顕現であるわたしのなかにもその人たちの居場所がなくてはならない。そのためには妄想で恐怖をこねくり回さないことだ。顕れている行動の奥底に、間違いなく存在しているその方のいのちそのものに、私も寄り添っていたい。どんなに悪いやつだと思われたり、バカなやつだと思われてもいいから、誰のなかにも住まいするアートマンが、確かにわたしのなかにいてくださることへの畏敬の念と、今私がする経験はすべて恩寵だという思いのなかに、日々を過ごしたい。

 

 

 

№616 恩寵

 泣くおまえ抱いだけば髪に降る雪のこんこんと わが腕に眠れ  佐佐木幸綱

 

 

 

3月30日
JK剣士は出発を明日に控えてあれこれ準備に余念がないというか、そもそも準備期間が短すぎたので大わらわである。今日はふたりで美容院に行ったのだが「え?明日インハイ予選だっけ?」というようなセメた髪型で、前髪がカッ!と立上がっている。試合前なら、サイドが更に刈りあがっているであろう点がちょっと違う。公式戦がない期間が続いていたためこんなキメキメカットは久しぶりで、渡米にかけるJK剣士の熱すぎる意気込みを感じてしまった。

 

出発前にうどん食べたいからひのきや(というお蕎麦屋さんがある)に行きたいなと言っていたが時間切れ。あたふたと歯医者に行き、長期滞在のハハの荷物発送をし、ついでに規夫師匠とリーダーに貢ぐ酒とNちゃんに捧げる自家製味噌を発送したら、もう夜になっていた。

 

 

ここ数日アレコレいろんなことがあって、ふと前職を辞めたときのことを思い出していた。あのころパワハラなんて言葉もなかったけど、今風に言うとそんな感じのすっごくわかりやすい嫌がらせを上司のY崎三佐に受けて、人に迷惑がかかったので泣く泣く辞めた。
最後の申告(ツボイは退職を承認されました、だったか?)のときも滂沱の涙を流しつつだったので、ほんとに泣く泣くだった。せっかく体調不良を克服して復帰したのにこれかよ…と思ったけれど、今思うとそれも含めて絶対者ブラフマンの采配なのであって、Y崎三佐が現れなかったとしても、なにかべつのかたちで私は必ずその場から駆逐されていたと思うし、それが必然だったんだろう。


だからものごとは、その瞬間には収めるべき“問題”に見えても、然るべきときに起こるべくして起こった恩寵だと思っておくとよいと考えている。その場面での登場人物として劇的にあるがままに、その瞬間の愚かな私として自分自身にウソをつかずに生きること。それが迷妄の世界でのミッションかもしれない。

 

人の数だけ真実はある。その点に関して名探偵コナン君は間違っているのだが、コナン君も実のところは重々承知のうえで役割を果たしているのであろう。コナン君のプロフェッショナルとしての姿勢に深い敬意を覚える。

 

なので私としては人に向かい合うときに、リアルにそばにいて触れ合うひとの主観をなによりも尊重したい。そしてその人がどんなことをしたとしても、「私は」説教なんてしないでそっと寄り添ってあげたい。そういう姿勢しかひとを救えないことを、私はDARCのみなさんに教えてもらった。みんないろんなところで散々、怒鳴られ小突かれ叱られてきているのだ。こんなバカな私までが責めることはあるまいし、そんな資格もなかろう。だって私もこんなに愚かなのに、この広い世界の中でちゃんと居場所があって、愚かな私の主観を尊重してくれる人がいてくれるのだから。それってほんとにうれしいことだ。



佐藤優が収監されたとき、ほんの一握りのひとだけが、彼を信じ支えた。多くのひとたちがが手のひらを返したのに、その人たちだけは、信じ、その思いを貫いた。私は自分が人を想う気持ちが、その時優さんを支えた人たちのようでありたいと思う。状況の中で「そんなひとの味方をするなんて」と諫言を呈してくる人だっているのだろうが、黙ってただ私の大事なひとの味方でいたい。たとえあなたが残忍な人殺しをして、世界中の人に石もて追われることになろうとも、私だけは味方でいてくれると思って欲しい。私が一緒に石を投げつけられることになっても、私はあなたの言葉だけを信じて、あなたの手を握っていたい。

 

まわりをよく見まわしてもらえば、あなたにもきっとそんな人がいるのがわかるはずだ。そういうひととの確かな交流を大切に生き、人それぞれがそれぞれの場で、心の底から安心してしあわせを感じていられますように。

 

場合によっては表面的に対立することがあっても、あなたとわたしは繋がっている。私は今夜も、大事なひとをこころの中で抱き締めるのと同じように、訳あって会うことのできないあなたの幸福を祈る。人みなが安らかに生きられますようにと。

目覚めたとき、その目覚めたことに感謝しつつ生きられますように。誰しもがあるがまま生きられますように。その自然な在りようを、けっして撓められることのありませんように。

 

 

 

№615 自由

息あつくわれをまく腕たへてきしかなしみをこそ抱かれたきを  沢口芙美

 

 

3月29日

二日前、JK剣士は久々の遠征に行った。広島県三次市へ。たぶん今年度の遠征は4回くらいしか行っていないと思う。本来であれば年間何十件もの遠征が予定されているのに。あまりにも久々の試合は、感が鈍っていてぜんぜんダメだったらしい。
やはり試合で勝つには試合稽古をするしかないんだねと訊ねると、「ママだって楽器は弾かんとうまくならんやろ」と返される。そうだなあ、脳内稽古だけではムリがあるしね。でも稽古はできるが本番(舞台)は一瞬。舞台の”感”などは、何十年もかけて養っていくものなんだろうと思う。だから先代宗家が「芸には刺激がどうしても必要だ」と仰ったのだろう。

JK剣士たちの場合も試合と稽古はまったく違うと。よくチームメンバーの対話で理論と現場の違いについてはなしをするけれど、それとおんなじってことだな。

 

 

さてさて、三次遠征を終えて渡米準備のため稽古も休むことにしたJK剣士だが、カントク=もしかして次年度担任?から「待った」がかかった。4月1日から6月3日まで行っとくつもりだったのだが「単位足りなくなって夏休み前には留年決定」という天のお告げがあったのだ。がーん…留年はちょっとイヤよね、さすがに。しかも留年したら部活動できなくなるんだって。なんのために米子H斗にいるのかイミがわかんなくなっちゃう。

誰も聴いてないからいうけど、ニポンのコウコウのお勉強ってなんだかほとんど受験勉強じゃない?だったら「日数」とか「単位」とかもっと鷹揚に構えてくれてもよろしいんじゃなくて?まあモンカショウとかが決めてることとかあるのかもしんないけど。こういうこと書くと「医療の世界でも…」みたいなハナシになりそうだからここらへんでやめとこうっと。

 

それでJK剣士は再計算をして、今は残念ながら「自粛期間」というものがあるので帰国後すぐに学校に行けないことも勘定して5月半ばに帰国することにした。久々に登校する日がなんとまあインハイ予選だという。エントリーはしておいて棄権する方向で検討中。誰もが必死にそこに水準を合わせてくる場面で、恥ずかしい試合はできないからね。でもみんなの応援ができるのはよかった、大事な仲間だから。


JK剣士が渡米中、ハハは以前書いたように東京で延々と文章を書いて暮そうと思い、今ようやくあたまのなかに「こんなふうに」という絵が描かれてきたのでそれを温め育てつつ、長期滞在の準備をしている。一番悩ましいのは参考文献で、発送用のバッグに入れたり出したりして考えているところ。

 

まあでも私は世の中の多忙な方々とはまったく異なる空気の中で生きており、家にいようが外にいようが基本的にあんまり変わりない。大きく異なるのは猫の存在と楽器の有無くらいだろうか。


18歳で某国営企業に入り、「私物/シブツ」と呼ばれる、「官品/カンピン=国から貸与もしくは支給されたもの」以外を収めるスペースが衣装ケース1個しかないという生活を始めたとき、「なんとかなるんやん」と感動した。
またキエフでのヨーガ療法指導に出向いた時はホームステイだったので、当地の方のリアルな生活に接することができたのだが、旧ソ連時代に建ったという高層アパートの上階(18階)には技術的な問題でガスが届かないとのことで、小さな電熱器ひとつですべての調理をしているのを目の当たりにして、日本のライフスタイルってあれもこれも過剰だと思った。ちなみにご存じない方もあると思うが、ラップにも箱はない。中身のあの巻き巻きしているところだけが積んで売ってあります。

しかもお茶まで始めちゃって、そこは皆様ご存知の「ワビサビ」の世界であるからして、ムダなものは全然ないというミニマムな空間(茶室)に触れた。贅沢をいえば季節ごとのお道具をとっかえひっかえして遊びたいが、年がら年中同じ茶碗でもいっこうにかまわへんよね、という幅広い心持を教えてもらった。

私のスーツケースは、基本的に便利な国内での旅を想定していて10泊とかするわりには小さいけれども、このたびJK剣士が入手したような(JK剣士が丸まったら入っちゃいそうな)大きめのスーツケースにあれもこれもつめこんで、それでもう用が足りるっていうのはいいなと思う。

まあでもその思いが極まり過ぎちゃって、「ヒマラヤにもっていけないものはもういらん」とまで思うときがあったけれど、最近はそれを真逆にふってみたりもしている。だからヒマラヤにはゼッタイに履いていかない(履いては行けない)9㎝のヒールをいくつか保有して、茶道具のように季節のうつろいにあわせて履き替えたりしている。

ちなみに今シーズンはルノワールの描いた薔薇をモチーフにしたサンダルをゲットしたので、そうさね…6月の終わりあたりからお目見えできるのではないだろうか。その年の気候を見ながらだが、きものでいうところの単衣から薄物が来たくなる頃に、この靴を履きたくなるだろう。

迷妄の世界で遊ぶって決めてここに来てるんだから、アレダメコレダメっていうのを人には決めさせたくないよね。私は私のなかに在るアートマンと、そこに間違いなく繋がっている絶対者ブラフマンとともにいついかなるときも自由だ。怖ろしいほどに。もしだれかが私を押さえつけて屈服させようとしても、私のなかの真に私であるものはゼッタイに誰にも屈しない。

生きていてどんな苦しいことがあったとしても、絶対者とともに在るやすらぎと愛を感じることができる。昨夜、そのことを確認させてもらえた。

今この瞬間、限りなくしあわせだ。

 

 

№614 そのまま

手のひらのはんぶんほどを貝にしてあなたの胸へあてる。潮騒  笹井宏之

 

 

 

3月28日

昨日、桜が満開だった。そして昨夜はげしい風が吹いて花は舞ってゆき、春が極まりつつあると思った。

今朝、K山さん宅にお邪魔してタイヤを交換して頂いた。K山家には自動車の一級整備士がお二人もおいでになるのだ。交換して頂いている間、大きなお屋敷の奥座敷でK山さんとふたりあれやこれやとお話をする。先日膵臓癌でお逝きになったKさんのこと、椅子に座るときの姿勢や足裏のはなし、第二子を出産されたお嫁さんの産後ヨガのことなど。

 

自分のからだの感覚をじぶんでよくわかって、それを自信をもって(断固として)言葉で説明できなければ、ただそこに「おいしゃさん」がいたり「検診」を受けたりしてもほんとうに自分のために活用することは難しいんじゃないかという話が出た。Kさんはあんなに検診に行ってたのに、膵臓のがんが見つかって1年足らずで逝ってしまわれたからだ。

自分のなかにいつもと違う感覚があることに気付き、その「違う」という感覚に忠実でいることはとてもたいせつなこと。これってやろうと思って急にできるようなことじゃない。
だからふだんの自分をいつもいつも、よく感じ続けていないといけない。
どんな感覚があってもそれを「いい・わるい」で分類してしまわず、「そういう感覚があるんだ」とわかって貴重な情報としてあつめていくことが必要だと思う。

 

 

今日は色んなことがあってすこし戸惑っている。なのであまり面白くなくて恐縮です。しかも短いままお仕舞にしようとしている。こんなときこそほんとうの意味でのYogaや靈氣が必要。

自分のなかの最も尊いなにかに意識を向けて、呼吸を鎮めていくこと。踊るように揺れる内的なものをジャッジせずに見守ること。どんなに愚かであっても自分には価値があり、同じようにすべてのひとに価値があると信じること。どんなひとも受け容れられ、尊重され、愛されてほしい。いや、愛されなければならない。主義主張や世界観の違いを超越する智慧が得られますように。

胸の痛みとともにここに在って、人を愛することから逃げないと誓う。
理解し寄り添ってくれる人の存在に感謝を。いろんな表現の愛があるが、愛とはやすらぎを与えてもらえること、たしかにしあわせを感じられること。受け取るその人が「いま存分に愛されている」と確かに思えること。

いま、そのままのあなたを、愛おしいと思う。

 

 

 

 

 

 

№613 すなおなカラダ

みづみづしき相聞の歌など持たず疲れしときは君に椅りゆく  石川不二子

 

 

 

3月27日
お茶仲間の某氏と久々にお会いし、亡きおにいちゃんに献杯した。おにいちゃんがどこまでも目の前のひとに寄り添おうとしてきたことのエピソードのひとつに、また触れさせてもらった。そのときとても感激して、涙が止まらなかったって。

 

ちょっとマジメな話。
私の母はかなりキッツイ性格のひとで、国営企業に就職して寮に暮しているときにもなにやら怒って電話してくることがちょくちょくあった。そのトラウマで私はかつて電話が大きらいだった。「電話=怒られる」という図式が私の心素のなかにガッチリ出来上がっていて、電話の鳴る音を聞くとパブロフの犬のように「イヤだー」と即座に思う脊髄反射が構築されていた。こういうの、なんとなく共感してくれる人がたくさんいると思うよ。

おにいちゃんは私によく電話してきてた。たぶん脳内の回転が速すぎて、メッセージを入力する手に対する意思鞘の働きにイラッ!としたんだろう。おにいちゃんからかかってきた電話に出る私は「なんか悪いことした?」って必ず聞いていたらしい。完全に無意識で。

あるとき「ねえねえ、なんでいつもそう言うの?」と聞かれて初めて、私という存在のなかの【電話-怒ってる人―怒られる私】という図式が意識の光の下にパーッと現れたというわけ。ちなみにおにいちゃんのおかあさんは我が家以上に激しい感じだったらしいから、そういう点で私たちは間違いなく深い共感の下にあった。

その電話恐怖症から解放されるのにずいぶん時間はかかったけれど、今はぜんぜん怖くない。近頃いちばんよく電話で話す人との対話は楽しくてたまらないので、ウキウキいそいそして「はいはーい!」と受けることができる。だいじょうぶ、人はちゃんと変われるよ。

 

 

そう、それで偲ぶ会だったんです。しげにいちゃんが気に入っていためちゃレトロな居酒屋・味小屋さんでイワシフライと名物だんだんどうふを食べ、お約束のMarujinに移動。しげにいちゃんへの献杯はこれと決まっているマンハッタン、長女ぶーちーが好きなジントニックを頂戴した。

昨日お相伴させて頂いた方曰く、ツボイさんのような強い女性は商売をしている家のお嫁さんには最高だよね!とのこと。ふーん、そうなんだ。でもこの森の子リス的な私をつかまえて「強い女性」とはナニゴトですか。お茶の仲間なので、大寄せの茶会の際などに無いアタマを振り絞って師匠のお役に立とうと必死に立ち働いている様子を見て、かようにご評価くださったのかもしれないが、もうちょっと私の繊細さをお点前の姿などから汲み取ってくれてもよろしいんじゃなくて?茶杓から手を放すときも「この愛しい人の手を放しがたい」というように心込めて動作をしているのに強いとかっていうその形容詞はいかがなものかしらね。
(*利休百首その8:何にても道具扱ふたびごとに 取る手は軽く置く手重かれ)

 

 

さて、本日数カ月ぶりのリアルセッションとなった某ハム会社のYoga同好会。
会場は平成25年全国植樹祭inとっとりの際に天皇皇后両陛下のご休憩所としても使われた南部町のまんてんホール。っていっても、私は毎週のように使ってるのだが。空調も照明も音響もなかなかのもので、とても秀逸な会場。しかも使用料はまさかの無料!なぜならば、K山さんが南部町民だから。すごいよね、南部町。

すこしステージの部分が高くなっているのでご指導もしやすいのだが、初めてここに来たJ子さんが私を見てすごくウケている。なにゆえ?

「センセイ、寄席みたい!」
ここは高座ってこと?そんなことはじめて言われた…。別に面白いハナシしないから。


さて無事に久々のリアルセッションを終えたあとの皆様のお声は、「オンライン、便利だとおもっとったけど、やっぱリアルなもんだわ…(米子弁同時通訳:オンラインセッションは実に便利だと思ってきましたが、やはりセンセイは生に限りますね)」とのこと。そりゃそーだよ。でもしょうがないよね。

 

 

帰り際に皆様にご挨拶申し上げるとここでまたJ子さんが「センセイ、やせた?!」と仰る。ええ、そうなんです。よくぞ言ってくださいました。
なんと服のサイズが1つ下がった。大きな声では言わないが服の下に着る衣類のサイズも下がった。でも出るべきところは出て、上がるべきところは上がった。この事実が判明したとき私はすぐにOセンセイにメッセージをして、その痒いところに手を届かせちゃう手厚いご指導に対しお礼を申し上げた。Yoga教師の意識化レベルをさらに上げる男・Oセンセイ。こんな理学療法士さん、なかなかいないでしょ?!


大きな動きのAsanaよりも粗雑体に対する影響が大なもの。
それはズバリ、姿勢維持における微細な意識化。

現在、通常のAsanaの頻度を最低限に減らし、日常生活の中での姿勢に対する着意を最大限に高めているところ。そしてからだの部分にある小さな“クセ”の矯正に努めている。例えば可憐なこの腕でテッポウを振り回していたために内旋してしまっている右肩関節のために、鍼や柔道整復も活用中。この肩のクセに真摯に向き合うことで、若い頃からコンプレックスだった肋骨の位置なども変化していっている。その結果としてのサイズダウンであって、この度は食べることなどは一切かかわりがない。

いやー、粗雑体ってホントに素直ないいこですね。もっとかわいがってあげないと。

 

 

 

№612 印象にのこる春

とびはねている犬 こども 全世界共通語 ねえ、ひかりましょうよ 笹井宏之

 

 

3月26日

“一筆書き人生”を是としている私。行って帰ってクルっと一周しながら用を済ませたい。という抑えがたい欲求のために、ここ二日JK剣士を送って行って近くで読書をしながら待機しようとしたのだが…

米子ってほんっとに!(ここ強調)カフェが少ないんですよね。必要ないんだろうね。JK剣士の通う米子H中高の近くに以前はファミレスがあった。そこには電源とWi-fiと水と、とてもじゃないが飲めないコーヒーがあった。なので長期休みで毎日送迎を要するときにはそのファミレスで稽古が終わるまでの3時間、仕事したり個人セッションしたりして(ダルシャナだけの場合ですね)有意義な時間を過ごせた。のに、ファミレスが消えた。ある日更地になってた。なぜなの?!

 

それでこの二日、私は車中でとことん本を読んでやろうと決め「インテグラル心理学」を手にJK剣士を送り、近くのスーパーの駐車場に陣取ったのだが…やっぱりダメだった。ここ数日すごく天気がよくて車内がポカポカして、少し窓を開けると春のやや冷たい風が舞い込んできて心地よく、気を喪っていた。私いったいなにし来てるのかしら。
なので今日は諦めて、行って帰って家で家事をしながらこれを書いている。そしてこのあと、また行って連れて帰る。

 

「お母さんは忙しくなるばかり」という名著がある。ご年配の知人に「今どきの若い人は恵まれている」系の話をされいつも釈然としなかったのだが、この本を読んで胸がスーッとした。太古の昔、家伝三種の神器などがこの世に存在しなかったころ、お母さんの仕事に車の運転は含まれていなかった。送迎とは実に大変な家事(育児?)なのである!

ちなみにスクールバスが春やすみをとっている間、行きと帰りの送迎をして賞味80分が失われる。その間私は何をしているかというと、JK剣士がバカ話で話しかけてくれれば一緒になってバカになるか、ひとりで“Just two of us.”を絶唱するかである。なぜに米子市の中心地と呼ばれる(東京だったら山手線のなかくらいの高級住宅地ということになっている)地域に住まいながらわざわざ送迎をするのかというと、JR境線というのが非常に不便だから…

と書きかけて、そういえば長女ぶーちーは中学高校の6年間、そしてこの2年間、雨や槍や雪、そして時には大粒の雹が降るなか一人黙々と道を歩んでそれぞれの場所に通い続けたことに思い至った。ハハがJK剣士を送迎するのは、単にJK剣士にある意味根性がないからかもしれません。同時にハハの仕事のやり方が変わって時間に余裕があるからに相違ありません。今後上京するたびに、ぶーちー根性の8年間に敬意を表して美術館を驕り続けてあげなければ。

 

 

で、お母さんが忙しいハナシに戻りますが、これもまた秀逸だった「存在しない女たち」という本に無償の家事労働のことが詳細に書かれていて、家事の6割は女性がやっているそうな。まあそうかもな。これ、女性の稼ぎが世帯収入に占める割合とは関係ないらしい。夫がいる家庭だと家事労働時間は週7時間増えるとか。男女の家事労働時間がもっとも平等なのは独身の男女らしい。

それで私は考えた(JK剣士の送迎はともかくとして)。
あれやん、某国営企業の独身寮に住んでるつもりで生きればいいんやん。

かつて私は「営内」と呼ばれるその居住区のトップにのぼりつめた女。単に序列の問題なのでここに居続ければいつかは誰もがなれるから別にどうっちゃないんだけど、住んでるやつらが全員実弾射撃ができる花のような女子の園のトップに君臨するというのは、結構面倒なものだったです。そしてそのむかしとったキネヅカ?を生かして掃除当番表とかをつくって万事平等にビシッと…

と思っていたのに、JK剣士が海外に高飛びすることになった。
JK剣士がそばにいると、おかしな動画を見せられて私が大笑いしてしまうゆえに更におかしな動画が繰り出され、笑い過ぎて腹筋が痙攣し二人ともがのた打ち回ってシカバネになるまでくだらない動画を見続けることになる。こんなことでは本など書けない!

ここのところ洋平センセイが「いったい書籍やPDF化はどうなっているのか」というテレパシーを送ってこられるのをビシバシ感じる。PDF化はオタクの協力を得てダンドリしています。独立することに相成ったオタクに仕事をあげるため、こういうことにしてみました。そして本のことですが、東京に行って自主監禁に入ることにしました。JK剣士が帰国する6月3日までに、6月3日までに!!!K原さんにデータ渡す!!(あー、言っちゃった)。

 

確定申告も無事終わったし、秘密の場所での仕事も資料作成はしばらくなさそうだし、今しかないって感じ。だから3月末に米子脱出して6月中旬まで、ときどきしか米子に出没しないこれまでとは逆な感じ。米子のひとは感染症に対して非常にセンシティブだから、帰ってきても最低限のしごとをするだけになると思う。そして季節の移ろいに合わせて衣替えをしLokiに行って髪を切って、また東京へ行く。いや、戻るのか。

人生で幾度か、印象的な節目となる春があった。今年も間違いなくそうなる予感。ただ今回は行った先にぶーちーがいる。だからちょっとうれしい。