蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№374 姿勢と呼吸

アルジュナよ。それらの行為は我を束縛しない。というのも我はそれらの行為の中にあっても、何事にも執着せずに中立者のように座しているからである。」
 バガヴァッド・ギーターⅨ-9

 

アサナ(体操)で「ポーズをとる」ということは、ある姿勢でしばらく過ごすということ
その時自分はいったいどうしているのかを、意識下におき客観的に検証するのが体操をやる目的のひとつ。

ヨーガとは打撃である。
教師は打撃を与える存在である。

いったん自分という存在に打撃が与えなければ既存の器は揺らぎもしないし、そこに変化も生じないからである。ただ筋肉や関節に対して何かをするのとは、訳が違うのだから。

アサナは心身(食物鞘)と呼吸(生気鞘)を主に使った打撃であり、単に気持ちよくなるための動きではない(もちろんきちんと段階を踏んでから打撃を経験する)。

なぜアサナが打撃かというと、「思っていたようにはならない」から。
自己イメージがひっくり返るのだ。

自分自身(の体)は思ったように動かない。
動いているうちに呼吸を忘れ、歯を食いしばっている。
思考が暴走し、ムキになって体を動かしてしまう。

と、あれこれ想定していなかったことが起きる。

アサナの最中に起きることは、普段ストレス下で無意識のうちに起きていることである。
それを安全な場で追体験することで、意識的な動きに戻し変化させることができるようにしたい。


「普段の何気ない姿勢の健康」を取り戻すには、うまく呼吸する方法を改めて学んでいく必要がある。
これは誰が教えてくれるかというと、実は先生ではなく、自分の感覚が教えてくれる

自分自身の呼吸と調和し、どんな動きのなかでも平穏に在ることができる先生と空間や時間をともにすることで、その「感覚」を学びとることになるのであって、体操を習う訳ではない。
ヨーガを通じて私たちは、自らについて学んでいるのだから

自らの呼吸のリズムを、自分自身で感じ取るために、まずはやさしいゆっくりとした動きで身体を意識できるようにしていく。
その次に、少しだけ自分にとって難しいポーズに取り組んでみると、いったいどんなときに自分は息を止めてしまうのかが見えてくるだろう。

正しい呼吸のやり方は、その時行っていることによっても異なる。
だからこそ、アサナの練習には価値があるのだ。

横になっているときには腹式呼吸
プレッシャーがかかる状況では、胸でしか呼吸ができないかもしれない。

走る時には胸式と腹式を組み合わせる必要がある。


現代の、特に女性の着衣には、身体を締め付けるものが多い。
下着等で身体を圧迫していると、呼吸の自然な動きに対する意識は低下するだろう。
その負の影響は、実はとても大きいと思うのだ。

呼吸の働きによって身体は大きく動くものだし、自由に動くことのできる余地を服装の面からもサポートしてあげてほしい。

レッスンはゆったりした服装で行うことが大事なので、リラックスした環境でパジャマのような服装でも気軽にできるオンライン・レッスンの必要性は、これからますます増えていくのかもしれない。

 

 

№373 呼吸が先生

「喜ばず憎まず、嘆かず求めず、善悪の思いを捨てて我を信愛するものは我にとっても愛しいのだ。」 バガヴァッド・ギーターⅩⅡ-17

今日の山陰は雨。
雨の朝の空気は実に美味しくて、生命が滋養されていると感じる。


さて、過呼吸が慣れっこになってしまうと、様々な症状が慢性化するということについて昨日書いた。

過呼吸の身体的な原因としては以下のようなことがある。
・慢性痛

・喘息

・心臓病

・肺炎

・糖尿病

・発熱

・長時間の会話

・高地にいること

 

また女性の場合、生理中や妊娠中に過換気症状を体験することがある。
妊娠後期は特に胸でしか呼吸ができなくなっている人が多いため、マタニティ・ヨーガなどの取り組みがどれほど重要か理解して頂けると思う。
ポーズにこだわるものでは、救いにならないことも。

 

身体的なもの以外の原因としては、

・不安感

・鬱

・完全主義

・孤独感

・失業など突然起きた生活の変化

・離婚

・引っ越し など

今の時期に付け加えておきたいのは、マスクを長時間着用すること。

息苦しさが慢性化して、苦しさを感じなくなっていたら要注意だ。

 

息を無意識に止める癖のある人も多い。
ため息やあくびが多ければ、息を止めることと過呼吸が交互に起きている可能性が高い。

ヨーガのアサナと、他のトレーニングを同じように考えて欲しくない理由はここにある。
呼吸が何より優先なのであって、肉体を思いのままに使うことはその後の問題であるということが理解されていないように感じるからだ。

特にマシンを利用するような単純な反復の動きは、機械的になることで心身に対する意識的な気付きを低下させている可能性が高い。
これではますます呼吸は不自然になり、思いもよらない症状を生み出すことにつながっているかもしれない。

息を止めてしまうのは、それがある意味役に立つからである。
呼吸を止めると一瞬世界が止まる。
大事な試験のとき、怒りを抑えようとしているとき、集中するとき。
こんなとき、人は安定感を求める。

でも、息を止めても、よく考えたり理解したり、心を落ち着かせたりすることの助けには全くならない。むしろ脳にいく血液が減り、正反対の結果になる。
「緊急時の呼吸」を小さな緊急事態に使い過ぎると、その癖がカラダの化学反応を変化させてしまう。

身体は、想像しただけのことも現実であるかのように反応する。
それが身体の自然な在りようであるからこそ、瞑想のような取り組みが健康に寄与するのだ。
考えていないときに初めて、身体は安らげる。

ヨーガ・アサナでは、スーリヤ・ナマスカーラ(太陽礼拝)のような連続する動きがあるが、呼吸を意識して動くことで、肉体と意識、そして自分の心(印象)が分かちがたく結びついていることが理解される。

自らの心身を通じて、自分を活かす呼吸を学ぶ。
師は自分自身の内に存在している。

 

 

№372 ”自分”感度を上げる

「万所にある風(ヴァーユ)が空間(アーカーシャ)の中に永遠にあり続けるように、万物もまた我のうちにあると知れ。」 バガヴァッド・ギーターⅨ-6


この世界のありとあらゆるところに遍在している生命のエネルギーのことを、ヨーガを行じる者は”絶対者ブラフマン”と呼ぶ。
「絶対者」という言葉は人を感じさせるけれども、実は「場=フィールド」という意味なのだということが、井筒俊彦先生の本を読んでわかった。長く心にかかっていたことだったので、明快になって嬉しく思っている。


さて今日は「過換気」について

過呼吸のことを「過換気」ともいう
空気と過換気の関係は、食べ物と過食の関係のようなもの。
どんなによいものでも、身体が使える以上に多くとり過ぎると何かしら苦しむ

ストレス下で呼吸が速くなっているなら急性過換気だとすぐにわかるが、慢性的な過呼吸は気付かれていないことが多く、一般診療にかかる患者のおよそ10%は“過呼吸症候群”と呼ばれる問題を抱えているという。

過呼吸は様々な症状を伴う
頻繁なあくびやため息、はっきりした理由のない息切れ、めまいやふらつき、疼くような痛み、四肢のしびれや冷え、筋肉や関節の痛み、動悸、胸痛、胃のムカつき、過敏性大腸症候群、倦怠感、不眠症、悪夢、性機能障害、不安感、鬱 ……

ではなぜ、こんなにもたくさんの問題が過呼吸によって起こるのか?
過呼吸で血液のアルカリ度が高くなると、非常時の対応を担当する神経システムが警戒態勢に入るからだ。

心拍が上がり、アドレナリンや他のストレス化学物質が血流に放出されて、血圧が高くなり、筋肉は緊張し、消化活動は抑制され、体内のエネルギーが高活性状態になる。
また、ドキドキする心臓はパニック感を生み出すため、心理的にも不安感がかきたてられさらに上記のような体の反応に拍車がかかるだろう。そして悪循環に陥る。

二酸化炭素量が低くなると、身体は窒息状態にあるかのように反応する。
酸素をたくさん持っているにもかかわらず、血液細胞は組織に酸素を放出しなくなり、脳への酸素供給量は最大40%まで減少する可能性がある。

皮肉なことに、過呼吸で身体は酸素不足に陥るのだ。
「空気飢餓感」という苦しい感覚はさらなる過呼吸を呼び、問題を長期化させることになる。

過呼吸は、心身のストレスに対する体の正常な反応である。
それが習慣化されてしまう理由は、
・常にストレスに晒されている
・ストレスの処理方法を知らない
・心身の感覚が鈍ってしまっていて、ストレスに無自覚であるため対処できていない
・現在受けているストレスが、過去に経験した嫌なことに似通っていること
などにあると思う。

過呼吸のきっかけとなった事象が目の前からなくなっていたとしても記憶は残っているため、それを常に反芻してしまうことも多い。
習慣はしっかり体に根付いて本能的な動きと化してしまっており、からだの組織もアルカリ性の化学バランスに慣れっこになってしまっていることもある。

そうすると、過呼吸の状態がカラダにとっての標準の状態になるため、様々な症状が慢性化してしまうのだ。

緊急事態が平常だなんて、ものすごく恐ろしいことである。
「ヤバい!何とかしなきゃ」と思える感性を、まず養ってほしい。

感じることを通じて「今の状態では嫌!」と自分が思えるからこそ、変化を生じさせることができる。既に無意識レベルで定着してしまっている心身の仕組みを外から変化させることはほぼ無理だが、あなたがそうしたいと決めれば必ず変化は生み出せる

外から他者がなんといっても、人は変わらないものだ。
あなたが“自分自身を感じるセンサー”の感度を高めていくことが、何よりも大事。

次回は、過呼吸の身体的な原因などについてお話を。

 

 

№371 吸ってばかりでは

「人が古い衣服を捨て新しい衣服を着るように、肉体に宿った神我は古い肉体を捨て、他の新しい肉体に宿るのだ。」 バガヴァッド・ギーターⅡ-22

 

 

二泊三日の東京出張を終え、昨晩遅く帰宅した。
4カ月ぶりの上京だが、久々にお会いした皆さんがお元気でほんとうに安心した。

オンラインでのやり取りが続いていたけれども、リアルに会って話ができるのは実に嬉しいもの。来月の出張もなにごともなく行けますように。


さて、今日から数回掛けて、健康的な呼吸について語ってみたい。

自分の呼吸を愛しなさい。他者の愛し方を学べるのは、それからだ
と言った人がいるそうだが、そのとおりかもしれない。

普段の生活の中で、身体を意識することなく、呼吸を忘れて仕事に没頭し、あとには疲れ切ったからだが残される、ということに多くの人が苦しんでいるように見える。

年齢が若くても、崩れた姿勢と足を引きずって歩く姿が老人のような人もいる。

作業に集中しすぎて知覚を失うことは珍しいことではなくても、どこか痛い時や苦しい時に、それが呼吸のせいだと考える人はほとんどいないだろう。


4-5世紀頃、聖師パタンジャリによって現在の形に編纂された「ヨーガ・スートラ」では、呼吸についてこんなことが書いてある。

Ⅰ-31 悲しみ、心の悩み、体のふるえ、不規則な呼吸があると、集中を続けることができない。
(集中は、心と体に完全な休息をもたらす。実践のやり方がまちがっていたり、十分に制御されていなかったりすると、このような障害がくる。)

Ⅰ-32 これを癒すには、一つの対象の実践がなされるべきである。
(心をしてしばらくの間ひとつの対象の形をとらしめること、それが、これらの障害を破壊するであろう。)

Ⅰ-34 いき(呼吸)を吐き出し、そして止めることによって。

 


頭痛、筋肉痛、手足の冷え、消化の問題、不安感、胸の痛みなどに悩んでいる場合、それは血中の二酸化炭素濃度が不足することから起こっている可能性がある。

 

呼吸は酸素を取り込み、二酸化炭素を吐き出すものであるのはみな知っている。
酸素は良いもので、二酸化炭素は悪いもの、と考えているかもしれない。

しかし、二極の対立の克服の教えはここでも大事なのであって、現実はもっと複雑だ。

極めて軽い活動にもかかわらず、気持ちが急いているせいで呼吸が多くなっていることが多いのではないだろうか。
頭のなかで想像している未来のことであっても(たとえそれがウキウキしたことであっても)、身体はそれが今ここで実際に起こっているかのように反応する。

そのため血液の酸性度が高くなりすぎて、息切れを感じる。
そうして過呼吸が始まって、さらに吸って吐いてを繰り返されると、二酸化炭素を増やす身体活動が行われないまま、二酸化炭素を失い過ぎてしまう。

過呼吸によって血液はアルカリ性に傾く。
この状態は「呼吸性アルカローシス」と呼ばれていて、鬱から腰痛まで、さまざまな症状を起こす可能性がある


もう一度、スートラの文章を見てみる。
「いき(呼吸)を吐き出し、そして止めることによって(Ⅰ-34)」

吸うことについては、なにも言っていないことを確認して欲しい。

吐くことを徹底的に練習していき、吸うという行為は任せればいい
呼吸という活動の中で私たちにできることは、手放すことだけなのだ。



次回は、「過換気」の状態についてくわしく書いてみよう。


№370 どちらに揺れても

久々の出張。始発列車で出発し、東京へ向かっている。

先程まで岡山に向かう特急列車に乗っていたが、これはかなり揺れる。以前、福岡から大分に向かう特急にのったが(スーパーソニック)これもひどく揺れた。

揺れる列車の座席で、昨晩の睡眠不足を解消しようと、まず数珠を使ったマントラ瞑想を行い、その後仮眠を取った。

数珠を使用する瞑想は、集中しやすくおススメだ。
108個の玉を数える行為に、心をつなぎ留めておくことができる。
マントラを何回数えたかもカウントすることができる。

私が所有しているものは、聖名(瑜伽名)を拝受した際に師匠から下されたものだけれど、ネットでも購入できると思う。日本の数珠ほど高価でもないはずだ。

 

仮眠を取りながら揺れる車内で感じていたことは、こんな環境(状況)で「揺れまい」と努力しても無駄だし、この揺れに身を委ねているのが一番楽だということ。

からだが左右に揺れるとして、右を好きなこと、左を嫌いなことだとしたら、右にばかり揺れようとしたら体は痛み出すだろうが、身を任せてさえいれば、左に揺れたとしても大きな振れ幅にはならず、中庸を保とうとする。

人が努力をして良いことばかりを体験しようと欲し、ものごとを十全に体験する前に「悪い」と決めてかかって逃れようとしたら、とても不自然な動きになって無理が出る。
ただ、ああしたい、こうなって欲しいという「考え」を手放して、明け渡していさえすればいいのではないかなと、そんなことを思っていた。

少し前まで、私はヨーガのYama・Nyama(禁戒・勧戒)も単なる戒律と思っていた。
体操実習に入る前になぜ戒律学ぶのかと思っていたのだが、この戒に従うことは心身に変化をもたらすのだと理解できた。

例えば、人に親切にするとオキシトシンが分泌されて、心臓に良いのだという(血管拡張の作用があるらしい)。

戒の筆頭にあるのは「非暴力」。
これらの戒は身口意にわたって行じられなければならないので、自分を責めることもいけないということになる。

これまで自分のことを「こんなんじゃダメだ!」といつも思っていた人が、その行為を戒に従ってやめることができれば、思いや内的な言葉が心身に与えていた悪影響が解消され、血圧が下がったり痛みが軽減したりしてもなんら不思議はないと思われる。

「揺れてもいいのだ。どんな体験も、どんな感情もあっていいのだ」と思い定めて、揺れていることを恩寵と感じることができたら、それは「知足」ということなのかもしれない。

ヨーガの体操の修練を積んでいくと、ほんのちょっとしたことで感覚は容易に変わり、呼吸が美味しいこと、身体が気持ち良いことに気付くことができるようになる。

日々を生きる中で課題は常にあり、毎日を悶々と悩んでいたとしても、体操を終えた瞬間には「気持ちよい」と感じることができるというその事実をなんども体感すれば、私の言っていることも嘘ではないと、理解してもらえる日が来るだろう。

 

 

№369 寝ることについて

「だがしかし、未顕現なるものに専念する者たちの労苦は実に大きい。というのも未顕現なるものを見極めることは、肉体にこだわる者たちにとっては達成しがたいからである。」バガヴァッド・ギーターⅩⅡ-5


3日前の6月20日は「天赦日」と「一粒万倍日」が重なる最強開運の日だったそうだ。
またその翌日の21日は夏至であり、国際ヨーガデイだった。
この二日間、深い意味のありそうな夢を見て、示唆を与えられた。

この週末はたくさん本を読んだが、そのなかに“ロルフィング”に関するものがあった。
「感じることを通じて心身が変容する」という視点はヨーガそのものであり、単にポーズをキメることにこだわるストレスフルなフィットネス・ヨガとは異なる、古来のヨーガの智慧と同じような取り組みが、様々に名を変え伝わっていることを心強く思う。

 

先週は、友人から“レイキ”のレッスンを受けた。
「気」という言葉自体が、変えられてしまったものなのだと教えられた。元来、「氣」という字だったそうだ。
毎日有難いという思いを持ってお米を食べて豊かな「」を養い、それを人にお返ししつつ生きたいと思う。

昨年末”マトリクス・エナジェティクス“に関する本を読んで感激したが、レイキ講習はその実践編のようだった。実習以来、クラスで出会う生徒さんにお許しを頂いて触らせてもらっているが、私の掌は非常に熱く感じられるそうだ。
今週は久々の東京出張なので、数カ月ぶりに会う仲間たちにも掌を当ててみたい。


さて、今日は「毎晩休むことについて」
要するに”寝る“という行為について書いておきたい。

快眠術のようなものはたくさんあるが、そのなかでもなかなかいいなと思ったものをヨーガ流に修正してここで紹介しようと思う。

【素晴らしい睡眠のために】


・ベストな睡眠時間は自分で決めよう

・朝、自然に目が醒めるまで眠ろう

心身を酷使する人は10時間でも足りないくらい。運動をした日やアスリートの方は十分な睡眠を心掛けてほしい。精神的なストレスの場合は、まずストレス対処に取り組むこと。

・日中に自然光(人工の照明でない光)を浴びよう

・運動しよう
激しい運動である必要はない。もちろんヨーガがイチオシ

 

・カフェインの摂取に注意
個人差があるが、眠れなくなるひとは午後以降の摂取は控える。
コーヒーもお茶も“劣化”したものはカフェイン以上に体に悪いので、生鮮食品と思って選び、早めに消費しよう
インスタントコーヒーなどもっての外(酸化しているため)。
浅煎りより深煎りの方が焙煎時間が長く、カフェインが焼失しているらしい。
(*ページの最後に、高品質の豆が入手できるお店を紹介しておきます)

・普段から、ベッドで仕事したり、食事したりしないようにしよう

 就寝前に紙の本を読むのはOK。

・就寝直前までアルコールを飲まない
自律神経が乱れ、睡眠の質が低下する。

・日中からブルーライト対策をしっかりやっておこう

・夕食後は、心身共に負担の大きい仕事をしないようにしよう

・あれこれ考えて眠れない時は“数息観”にトライ
息を吐くたびに「1、2、3…」と数えていく。わからなくなったら1に戻る、雑念が浮かんでも1に戻る。息を数えることに集中してみる。

・ウトウトしたらやりかけのことを諦めて、寝る

・寝室はできるだけ暗くする
暗いのが怖い人は、電気をつけてアイマスクを。

・寝室にスマホを持ち込むなら「フライトモード」に設定

・睡眠のアプリを使って、眠りの質を可視化してみよう
Sleep Cycleなどのアプリを活用

・日中にクタクタになったら、ヨーガの休息のポーズ”シャーバアーサナ“を。
15分ほどで心身共にスッキリするので、習って体得して欲しい。

 

 

心身にかかる負荷は毎日異なるし、あなたがどのようにその負荷を処理しているかも違う。

1日何時間寝るのが良い、などという紋切り型のアドバイスに従うのは危険だと思っている。

翌日が仕事だと自然に目が醒めるまで眠るなんてできないかもしれないが、長期的な視点で確かな健康を確立するためには、クタクタなら病欠で休んでとことん寝て欲しい
あとから、大きな病気に苦しんで欲しくないからだ。

思うに、今一つ調子が悪い方に「寝る」という養生法ができない方が多いようだ。
家庭内で「とことん寝る」文化を確立して家族の健康を守って欲しい。
(もうひとつ付け加えると、元気がない時には栄養を摂らないことも大事)

苦しい時にすぐ病院に行ったり、薬を飲んだり、マッサージに行ったりして人の手を求めるのではなく、「とにかくただ寝る」というのが養生法の根本になる。
うっかり不健康な人に触れられたら、もっと具合が悪くなってしまう可能性がある。
それが「氣」というものだから。

 

☆間違いなく高品質のコーヒーが買えるお店(お取り寄せできます)
 → http://www.caffe-vita.com/
 
 品質の良い新鮮なコーヒーには、抗酸化物質が豊富に含まれています!
  

 

 

№368 自分と調和する

アルジュナよ。常に我を思念するヨーガ行者にとっては、我が境地に達することは容易なのである。」 バガヴァッド・ギーターⅧ-14

 

 

ストレスによる心身摩耗の影響は大きい。
いつでもどこにいても常時つながっている今の時代は、絶え間ない危機感を人工的に生み出している。

 

哺乳動物が絶えず危機にさらされると、アドレナリンが放出され「闘うか・逃げるか」の闘争・逃走反応が起きる。(そして結果的に、血圧が上がったり、血糖値が上がったりする。)

この反応はトラに追われた時には役立つが、メール等に返信することは命に関わる緊急事態ではない。

 

注意力断片化の問題に関する科学的研究が進み、最小限の効果しかないとわかっているのに、人は相変わらず無理をして一度に多くのことをやろうとする。
(そして「時間が無いからヨーガはできない」と思ったりする)

「常時オン」の状態は解決策ではないし、優れた人ほど休息の重要性を十分認識し、積極的に“休むこと・やめること・減らすこと・厳選すること”を実行している。

よく考えると、クラスでアサナを行う時も、半分は休んでいる
ある姿勢を取りそこで数呼吸過ごしたあと、必ず休めのポーズを取る。
初心の方に自宅実習を勧めないのは、ポーズを取ることがヨーガだと誤解しているからだ。

長年頑張ってきた私たちは、何もしないことの効能をほとんど知らない。
ヨーガで「休めの姿勢」を排除し、ポーズを取っている時間のほうが上回ってしまったら、健康に対する有用な効果のほとんどは失われてしまうだろう。

ヨーガでは呼吸を疎かにしない。
呼吸はそのまま、あなた自身の生命のリズムなのだから、呼吸と調和して活動できるように練習をしてあげて欲しい。

体操を行うとき心はそぞろになり、ここぞとばかりに「この後やらなければならないこと」や「自分ができていないダメな点」などについて考えだす。
それに気付いたら、呼吸に、必死になって集中すると決めて欲しい。
そしてそっと意識を呼吸に向ける。そのことを何度も繰り返すだけでいい。

なんの練習も無しに、日常生活の中で“集中の達人”になるのは至難の業だと思う。
ヨーガは毎日の実践を「タパス」と呼ぶ。情熱のことだ。
ヨーガを実践することを大事にしている人たちは、肉体面の効能だけで続けている訳ではない。
精神面の効能のことを理解できるようになると、身体的な効能はおまけに過ぎないし、放っておいても自然についてくるものだと気づくだろう。

静かな場所で瞑想するのは確かに気持ちよいが、条件が整わないと心身を調えられないのでは片手落ちだ。
アサナをやってみると、からだは自分の思うようにならないこと、呼吸も難しいものであることに気付く。
だからこそ、自分のからだを使うアサナは有用な実践となる。

思うようにならないもの(=自分自身)と共同作業を行うなかで、努力だけでは何ともならないものがあることに気付くし、結果や効率に対するこだわりを捨てて、その時々の調和を求めていくことが大事なのだと腹の底で感じるだろう。

“呼吸と調和し、ゆっくり動く”
この練習は、あなたに計り知れない恩恵をもたらすはずだ。