蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№284 腹の声用の聴力

 食べるものはどんな風にして、私たちに影響を与えているのか?

今日、私はスペシャリティ・コーヒーを飲んだが、それがそのまま私の腸から血管に吸い込まれていく訳ではない。そんなことは当たり前だが、そんなスポンジ的な単純構造だったら、それはそれで面白いかもしれない。

人間同士は遺伝子の90%以上を共有しているそうだ。
それなのに、腸内微生物の遺伝子の構成は、人それぞれで全く違う。
任意の二人の間で、ほんの5%を共有するにすぎないという。

あなたと私の差は、実はお腹の中の菌の差?

そして、この菌を通じて、おばあちゃんが受けたストレスや、お母さんが受けたストレスの影響まで受け継いでいる可能性があるそうだ。

こういった「腸脳相関」の配線を変えたかったら、どうすればいいか?

前頭前皮質を使って脳神経回路の働きを覆せるらしい。
新たな行動を学ぶセラピーなら、この部分に影響を与えることができるだろう。
当然、上手に使えば、ヨーガの体操だってこの仕事ができる。

以前、ヨーガを始めてから、胃がん後に繰り返していた腸閉塞の再発が抑えられているクライエントさんがいた。それがどういうメカニズムで起こっていることなのか、この本を読んでようやく納得した。

「原因不明です」
「治りません」
「治療法はありません」
と言われて、絶望した人が、もしかしたら救われるかもしれない智慧が、あるかもしれない。その鍵を握っている(ちいさくて大勢いる)生きものと、実は、生まれてこの方一度もわかれたこともなかったなんて、まるで禅問答のようにも聞こえるではないか。

瞑想は、人それぞれが自分の「腹の声」を聴きとるのための”聴力”を上げる、取り組みなのかもしれないな。


 

№283 うちのお寺は?

皆さんは、自分のお家の宗派を知っているだろうか?

「そんなの当然でしょ?!」と言うなかれ。

今日のレッスンでお会いした若いお母さんたちは、お二方とも微妙な感じだった…。
今頃、お母上にお聞きして、「そんなことも知らんかったんかい!」叱られているかもしれない。

私が自分の宗派を意識したのは、某国営企業に就職した時が初めて。
身上調書に、宗派を書く欄があるのだ。万が一、殉職などした時のことを想定しているのだろうと思う。

母が亡くなったときは、姉の嫁ぎ先である出雲のお寺にお世話になった。こちらは浄土真宗のお寺。
「なんまいだ」と唱えるのは、人生で初めてかもしれない! 新鮮な驚き。
これって、あれですね、私の大好きな「まんが日本昔ばなし」で小僧さんが唱えるやつですね!「三枚のお札」とかで。

浄土真宗さんでは、般若心経を唱えてはならないと聞いた。これも初耳だった。知らなかったので、母のお骨を前にお唱えしちゃったよ…。姉には内緒にしておこう。

周囲で仏教ネタが多いので、お正月休みの間にほんの少し調べてみた。
ほんとうに豊かなんだな、日本の仏教文化って。ほんの少しでもしみじみ面白かった。

私は茶道を嗜むため、禅の文化と深い関りがある。
MBSR瞑想のジョン・カバットジン氏来日時に合宿したのは、曹洞宗のお寺(総持寺)だった。福井の永平寺にも参ったことがある。霊山の気に満たされた、素晴らしいところだった。
正法眼蔵随聞記」現代語訳も読んだ。
座禅は悟るためにするのではないそうだ。誤解している人も多いように感じる。
もし今、自分に何かがあったら、諸々こちらでお願いしたい。
しかしそもそも、そのような勝手が許されるのであろうか?

真言宗は別名「瑜伽宗」ともいうそうだ。
ヨーガとはご縁が深いよと、阿闍梨様が仰っていた。確かに、毎年行うアグニホトラ(火祭りの儀式)は、護摩炊きとほとんど一緒である。それにしても、ご真言といいたくさんの神様といい、とても絢爛豪華だ。

娘が仏教系の大学に進むことになった。ここは日蓮宗の大学だという。
日蓮宗…。まったくわからないのでWikiで調べてみた。
法華経」を根本経典とする。身延山久遠寺が総本山。龍の天井絵が有名。
「南無妙法蓮華経」とお唱えする訳ですね。これも「まんが日本昔ばなし」で聞いたことがあるなあ。

ほんの付け焼刃で調べてみても面白かったので、今後もアンテナを立てて色々と読んだりして見ようと思う。

早速「法華経」現代語訳を手に取ってみた。
法華経は、正式には「白蓮華のように最も優れた正しい教え」saddarma-pundarika-sutra というそうだ。名訳を今に残してくださった、鳩摩羅什さまに感謝したい。

まんが日本昔ばなし」に、お寺・お坊さん・尼さん・小僧さんの登場する率は高い。
無宗教などと言いながら、当たり前のように「なんまいだ・なむみょうほうれんげきょう」という語を知っている環境や文化が、育んでくれたものを改めて考えてみたい。

サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳 (角川ソフィア文庫)

サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳 (角川ソフィア文庫)

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  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/07/24
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№282 風邪を引いたら【対処法】

こんな夢を見た。

大きくて白い、豊かな乳房から搾乳をしている。
ある一部分から上手に絞れない、と思っていると「そこから絞る方法は、〇〇会社の〇〇さんに聞くといいよ」と、人から教えられる。

この〇〇の部分は聴きとれなかったのだが、象徴的な意味のことを考えると、あの人のことかなあと、思い浮かぶ。

…………………

風邪はほとんど回復した。

ただ、鼻を0時・背骨を18時として、副鼻腔内の20時の方向に炎症の名残りがあり、特に寝入りばなに咳が起こる。また、粘膜も完全な状態ではないらしく、ちょっとした刺激に影響を受ける。

さて、大晦日に風邪の経過を事細かに書いて、我ながら「アホか」と思わないでもなかったが、生徒さんのお一人が「からだって、自分で治せるんだと思った」と言って下さったので、書いた甲斐があったというものだ。

以下に、風邪を引いた際の対処法について書いておくので、参考にして欲しい。


【風邪予防】

*心と肉体は表裏一体。クヨクヨしない ~瞑想や集中法の活用

*消化力が高まり食べ物がおいしい季節だが、過食は厳禁。

*甘いものを食べると、食後数時間は免疫力が下がる。
 スイーツを食べた後に人込みを歩いたりしない。

*お正月の暴飲暴食に対する浄化として、肉体は風邪を選択するかもしれない。
 その場合は、”諦めて、体を風邪に捧げること”。
 重大な病気は、こういう小さいことを無視した先に訪れるお客様のようなものであ
 る。風邪は万病の元なり!

*風邪は首の後ろから入る。平素からショールなどを巻き、首を冷やさないこと。

*喉などに違和感を覚えた場合は、カイロをタオルなどにくるんで首の後ろを温めるとよい。風邪の引き初めに大変よく効く。ただし、予防としていつもこれをやっていると、効かなくなる。

*毎日入浴で血流を回復させる。シャワーなどで済ますのはご法度。

*高熱を発していない風邪なら、アーサナを行った方が回復が早い。鎮静化のポーズを中心にチョイスすること。


【引いてしまったら】

*「寝る」。目も、頭も、口も使わない。

*発熱時はものを食べない。消化力を治癒へ回すイメージ。

*水分は十分に摂取すること。白湯が良い。

*朝の起床時は、舌を清めてから水を飲むこと。

★大事! 
 体は、粘膜で菌を絡め取って、体外へ排出しようと必死の努力をしてくれている。
 痰や鼻水は絶対に飲んだりしないこと! とことん、出す・出す・出す!

*塩水を入れた温水で、鼻を洗ってみよう。特に朝が良い。夜はやってはいけない。

*何か食べる場合、乳製品と肉は避ける。暖かい消化の良いものを食べる。
 野菜はヘルシーなイメージがあるが、繊維が多く消化に重いものもある。
 体調不良時に、ダイエットのことを考えてはいけない。

*しょうがの搾り汁+レモン汁+非加熱のはちみつ = 浄化ドリンク
 適量ずつ混ぜて飲むだけ。

*いったん調子を崩した肉体が、完全に本来の状態に戻るのに、約1カ月はかかると心しておいた方が良い。よく自分の身体と対話をしながら、養生を続けること。

*「病は偉大な教師である」
 風邪を通じて何を学んだのか、改めて内省をする。


皆様、どうぞお大事に!

№281 急がせない、儲けようとしない

元旦の朝の初夢

家に何者かが襲撃してくるようだとのことで、皆が警戒している。
家の中にはたくさん人がいるが、皆それぞれ武装している。
裏口から侵入しようとしている男を見ると、何やらどこかで見たような顔である。
この家の中にいる人の兄弟であった。
すべて“悪ノリ“のおふざけであった、というオチ。
その場にいる皆で、腹を抱えて大笑いした。

…………………

さて、12月22日に、東京のとある会社が、米子にて勉強会を開かれた。
その際、現社長が書いた書籍をプレゼントして下さったので年末から読み始めていた。小説仕立てのもので、創業者であるお父上についてご子息が書かれたもの。

そのなかの文章に、非常に心惹かれた。

***
お前が美しいと思うことに集中すれば良いんだよ。
人の意見に左右されても面白くないだろ。

儲けちゃいけないんだ、
儲けは計算するものではないんだ。

まずは皆様に喜んで頂く。社会を豊かにするお手伝いをする。
そうしたら、頑張って、と皆に応援される。
儲けるんじゃない。儲かるんだよ。
本当に皆様が必要としてくれるなら勝手に儲かるんだ。
*** 

今日はチーム内でこの言葉をシェアした。
すると、経営学を学んでおられたチームメイトが、これまで「どうすれば儲かるか?」ばかり考えさせられてきたが、それがすべて嘘だと分かってしまったのだという話をしてくれた。
これからチームとして活動をしていく上で、上記のような「儲けたらいけない」という正気を保っていることは、実に大切なことなのではないかと思う。

 

津軽三味線奏者の吉田兄弟は、まだ幼い頃から、一流の師のもとで、一流の楽器を用いて稽古をしていたという。相当な費用が掛かったはずである。しかも二人分。

お父上は、二人の天分を見込んだのか、その為の費用を捻出し続けたわけだ。
吉田兄弟の家はあっと驚くような襤褸家で、同級生たちに馬鹿にされていたということだ。

私はこの話が大好きである。
腹の底から、熱いものがこみ上げてくるような気がする。
生活よりも芸を優先するこの生き方に、無理があるのはわかっている(普通はみんなやらない)。それでも、素晴らしいと私は思う。

芸は自分の心身に沁み込み、
どんなことがあっても決して奪われず、心を滋養する。
また、表現された芸は、会ったことも無い誰かの心を動かすかもしれない。
もしかしたら、後に続く人を生むかもしれない。
この国の文化というものに対して、少しでも貢献できるかもしれない。

自分の芸道に関しても、経済的な面と、指導の面で支えてくれた数名の方の存在無くしては、絶対にここまでは来れなかったという思いがある。
今、皆さんがご覧になる誰かの優れた妙技や芸も、どこかの誰かが、胸の中の理想を持ち続けて困難を乗り越えてきてくれたからこそ、目にできるもののはず。

先程の話には後日談があるそうで、海外にも凱旋講演をするようになった吉田兄弟は、ボロボロだった自宅を立て替えてお父さんにプレゼントしたそうだ。

お父上は、子供だった頃の吉田兄弟が演奏するのを見るのも聴くのも、大好きだったんじゃないかと思う。
いつか何かになるための稽古をさせていたのだとしたら、家を建て替えたりはしなかったんじゃないかな。絶対に急がず、「いいねえ、いいねえ」と言って目を細めながら、のんびりと成長を見ておられた結果なのだろう。

№280 新年

年越しに何をしようかという話を娘としていて、二つ案が浮かんだ。

①年越し「越後獅子」演奏
②年越しブログ更新

ということで②となった。
越後獅子演奏は、日が昇ってから改めて。

さて、今年。
まずゼミナール。2回目を風邪により断念したので、残りの会で悔いの無いように取り組みたい。

そして、大切なのは某企業さまとのお仕事。
継続させて頂けるに足る価値を提供していきたい。しかし焦らずに。じっくりと、”何か”を育てるための土壌を作るような取り組みができればと思う。

また、1月から新しい取り組みが動き始める。

11月から動き始めたのに、僅かな期間の、僅かな機会を最大限に用いて、関わる三者の互いに対する信頼感が育まれていったことが凄いと思う。
この方たちとの協働ならば、自分にできることをしっかりやっていきさえすれば、人を笑顔にする貢献ができるはずだと確信できる。これまで孤軍奮闘してきたからこそ、この協働の有難味がわかる。本当に嬉しい。

しかももう一人の専門家は、仏様のような手を持つ人だった(水掻きがある!)。
多くの人を、その”手”で救う方なんだと思う。
この方との協働作業を通じて、私のヨーガ指導にも変容が起きる気がしている。

また、上京の機会を捉えて、ゼミナールで出会った仲間の方の心身の健康に寄与できれば嬉しい。
各地での自主勉強会も、継続していけるよう努力しよう。

これまでお世話になってきた講座のクライアントの皆様。
より楽しくて気付きに繋がるような内容を提供して、「人生にヨガという選択肢があって良かったな」ともっと思って頂けるように、枠に捕らわれずにどんどん色んなテーマを取り上げていきたい。

そして、普通の体操のクラスの皆様。
ここがやはり私のとっての、最も大事な基礎の部分。
肉体を通じて、今より”少しだけ”楽になることの繰り返しを通じて、その先にある新しい光景を一緒に見て頂きたい。



昨秋からの1年間、挫折を味わったこともあって、これまでの自分なら決してやらなかったようなことを色々と経験したと思う。涙すること、悔しいこと、不安なことがたくさんあったが、お蔭で自分の既存の器にヒビが入ったかもしれない。

これまで探し物をしながら、寄り道・迷い道で来たように思うけれども、この後の人生は、既に持っているものを如何に磨き上げるかということと、如何に表現するかについて考えたい。
そして、他分野を専門とする方と、力を合わせていくこと。

既に昨年のこととなった数日前に風邪で寝込んだわけだが、アーユルヴェーダでは「風邪は浄化」という。過剰に溜まったものを、体外に排出するための作用。
なんだかさっぱりした気分。

ヨガでもヨーガでも、何でもいいじゃないか。
茶は美味しければいい、という境地に、この分野でも近付いていきたい。
細かいことはいいから、まずは一服! ですよね。

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№279 大晦日に

仕事を納めた途端に風邪を引き、三日間寝込んだ。

病状としては全く大したことないのだが、普段との落差に対して敏感なのでこういうことになる。いや、あえて即座にこういう行動を取る。

ちなみに原因は、ある”心労”による。考えすぎた。

まず気管支に違和感を覚えたのが27日。その日の夕方、痰が出るようになる。

翌朝、違和感は上気道と呼ばれる部分へも広がっているのを感じる。
だるさと悪寒もある。ひたすら横になって、排出される痰などを絶対に飲み込まないようにする。食事はほとんどとらない。白湯は出来るだけ飲む。

寝込んで2日目、悪寒と体の痛みはピークになっている。違和感は副鼻腔の特に右側にも広がっている。息を吸うと鼻の粘膜が刺さるように痛い。ごま油を鼻腔に塗って対処する。
眼を開けると痛むので、なるべく目も開けない。
この日は年末最後のゼミナールだったのだが、頭も全く働かない上、声もまともに出ないのでお休みした。

三日目。最初に違和感を覚えた気管支の辺りに、「かゆみ」のような感覚を覚える。これは、私の感覚では治癒傾向にあることを示す。数回、寝汗をかき、体を吹いて着替え、家族に助けて貰って寝具を交換する。

四日目(今日)。
朝、再度寝汗で目を覚ます。体を起こしていることができる。多少の違和感は残っているが、炎症は引いたと分かる。さすがに年末にし残した用があるので、午後から数時間外出をし、活動する中で少しずつ調子を取り戻す。食欲は多少戻る。

懸念だった襖の修繕(娘と猫が穴をあけた部分)をし、正月前の買い物をした。年明けから雪が降るかもしれないとのことだったので、3日間は一歩も外に出なくともいいように準備をした。
これで何とか年越しを迎えられそうだ。

という訳で、ヨーガの先生は敏感であるがゆえにめんどくさいという話。
お蔭で回復が早い。

昨日、ゼミナール仲間のO石さんとZOOMミーティングをしていたのだが、実は多くの人が鈍感さを発揮して、体調があまり良くない中で、無理をすることをスタンダードとして生きているんじゃないのいうという話になった。
健康に物差しがあるとすれば、それが随分とぼんやりとした目盛りになっているような?

1月に、田端のS堂さんのクリニックで、コラボ・セッションをさせて頂けることに決まったのだが、最終目標は「みんなの健康スケールの目盛りには、もっと先があると気付いてもらうこと」であると思う。
質の高い健康の先にあるのが、”まだ見ぬ自分に出会う”という意味での発達なんじゃないかなと、私は思う。

しかも都合のいいことに、質の高い健康に取り組むということを通じて、自分が何やら変容していた、ということも起こり得る。
ヨーガでは、「病は教師である」と言うからだ。


風邪ぐらいで三日も寝込めんよ、と仰る方もおられると思うが、すべての不調に伝染病レベルの休養を取る覚悟で「養生」を行えば、三日も寝込むことは数年に一度あるかないかの話になるはずだ。その為には、肉体だけではない、心の鍛錬がいるわけで、この度の私のようなのは修行不足の証拠のようなもの。

とは言え、人間ってそんなに長く悩んだりしておられないもんですね。
これが、基本的に元気だということなのかと思う。

来年が皆様にとって、良い年になりますように。
大きな自己と小さな「名前のある我」が、より調和して生きられますように。
生きとし生けるものが、苦しみを克服できますように。


№278 馬鹿でもいいや

こんな夢を見た。

実在するある大きな会の講師が、小さな部屋で数名の人の質問に答えてアドバイスをしているのを、後列から見ている。せっかくだからあなたも何か質問したら、と声を掛けられて「特に聞きたいことも無いんだけどな」と思うが、「企業さんのメディテーションセミナーのことを話そうかな」と考えた。
しかし、社員が頻繁に戸口から覗き込むので、話の接ぎ穂を掴むことができない。(何か失態があったらしい) それがあまりにも長いので、諦めて帰ることにする。

フェリーに乗って帰途につく。ちょうど満潮時らしく、旅館やホテルなどの大きな建物も、屋根以外は水面下に沈んでいる。廃墟かと思うがそうではなかった。水は澄み、景色はとても美しい。

フェリーの中から鑑定を生業とする知人にメールをすると、「今はすべてが凶」と返信がある。すべてが、などという断言が軽々しくできるものではない。モノによるのだろうと思って問い直しても「なんでも凶」と言う。そんなことあるかい、と呆れてしまって、今後のやり取りはやめておかねばな、と思う。

船が着いた先は岡山の港だった。ここから今日中に帰るか、それとも1泊するのか決めなければならない。船の中に三弦の先生がいたので、みんなで稽古をすることになった。稽古をしながら考えようと思っている

…………………

今日の講座が仕事納めだった。
これから、来年の講座やセミナーに使用するレジュメの作成を始める。
企業さまでの2回目のセミナーに向けて、色々とアイデアを練る。

午後から、富山・須山窯 須山昇華先生のお作を受け取りに行った。
眼鏡箱を誂えて頂くことと、追作(同じものを、もう一つ作って頂くこと)をお願いしていたもの。

芸にはお金がかかる。覚悟の上だ。
昨日も、称号のお礼を師匠に差し上げたところ。

これを、馬鹿なことと笑う人も多いかもしれない。
でも、お金を理由に芸を諦めていたら、芸道はどうなっていくだろう。
免状システムに様々な意見があるのは認める。
でも、先生がそれでガッポリ儲けたりしている訳ではないのはわかる(少なくとも我が師匠は)。

稽古のための場を準備して、維持して頂くだけでも大変だと思う。
季節に応じた様々なお道具を揃えて頂かないと、できないことがある。自分ではそんな道具はとても買えない。
楽器もなしで、手ぶらで稽古に行けるのはお稽古場があるからだ。

ちなみにこの度、称号を頂戴したことに対する御礼を差し上げたのだが、先生はすぐに「看板(師範です、ということを示すもの)」を手配して下さったという。
無論、看板の申請は無料ではない。
そんなに高額なお礼は差し上げていないし、称号を手にするまでにどれほどのお時間を割いて頂いたかしれない。恐縮至極である。

お茶で免状に対するお礼を差し上げた際には、土田友湖さんという方が手作りした”袱紗”をお祝いに頂いた。袱紗とは、道具を清めたりするための道具だ。
この土田さんは、袱紗などの布のものをずっと作り続けているお家である。なかなか自分のために、このような袱紗を求めたりはしないものだ(値も高い)。そして真摯な仕事をなさる作家さんのお仕事を支え、伝統的な技を途切れさせないことも、茶人の役目だと思う。

お免状を頂く事が、自分たちの稽古環境に繋がっている。
お礼という形を通じて、思いを表現し、表現される。

馬鹿でもいいかなと思う。
私はこの環境を受け容れて、自分の芸を育てていこうと思う。